山本博文『切腹』

江戸時代、非常に多くの武士が切腹をした。そう言うと、その「あまりの過激さ」に当時の日本人は、毎日、なんか変なものを食べていて、頭が狂っていたのではないか、とさえ言いたくなる。それくらい、あまりに当たり前のように武士は、切腹という自死をしていく(まあ、戦中という「つい最近」でも、カミカゼ特攻隊とか、似たようなことをずっとやっていたわけですけどね orz)。
しかし、人間のやることだと考えるなら、それなりに「合理的」な説明が可能なのではないか考えることは無謀だろうか。たとえば、これを「功利主義」で説明しようとした人はいるのだろうか(明らかに、「語義矛盾」だと分かりながら、あえて聞いているのだが)。
昔、宮本武蔵の「五輪書」を読んだとき、非常に違和感を覚えたことがある。それは、言ってみれば、宮本武蔵関ヶ原を戦った「傭兵」だということである。つまり、

  • 仕える主人を変える

ということが、彼のスコープにはある。つまり、彼は「天下統一前」を生きた人だということである。

なぜ、江戸時代の武士は、切腹を命じられるようになったのであろうか。それは、武士の気質の変化と無関係ではない。
戦国時代までの武士は、切腹を命じられたとしても素直には従わなかった。逃亡して他の主君に仕えることもできたし、逃亡できない時は抵抗もした。ただ、「切腹を命じる」と言えばそれで済む時代ではなかったのである。
もし切腹するとすれば、腹を割いて自分の潔白を証明するようなケースしか考えられない。しかし、成敗する主君も、その家臣に罪があると確信していたからこそ処罰するのである。
やがて江戸幕府が成立し、諸藩も同様に藩政を確立させてくると、武士は自分の属する組織以外では生きられないようになる。たとえ藩から出奔したとしても、他藩で召し抱えられる可能性はなく、武士としてはのたれ死にするしない。そのような社会にあっては、主君から死ねと命じられれば、死ぬしかなかった。

日本もドイツと似ているが、長い間、封建領主による、地方分権社会を生きてきた。戦国時代、各地域ごとの封建領主が、覇を競って、戦(いくさ)を行うようになる。こういった時代における武士とは、自分の能力を「売る」、いわば「傭兵」だということである。もちろん、その主人と馬が合わなければ、その主人の元を離れて、別の主人に仕える。
ところが、である。
いったん、天下統一が実現すると、何が起きるか。
あらゆる権力は、必ず、「頂点」をもつようになる。完全順序構造が、実現するわけである。
どんな末端も、さかのぼれば、「頂点」は一つになっている。つまり、ある「頂点」から離れて、別の「頂点」になるということは、不可能になる。なぜなら、必ず、頂点は「一つ」しかないから。
例えば、戦国時代なら、ある戦(いくさ)があったとして、どちらの「戦略」が優れているかで、勝敗の趨勢が、がらっと変わったであろう。だから、「真実」を民主主義的に競うということには意味があった。
ところが、天下統一後は、そういった「競争」が存在しなくなる。もう、「どちらが勝つのか」という「概念」が存在しなくなるのである。つまり、

  • 勝ったのは唯一、天下を取った将軍だけ

であって、それ以外の「勝者」というのは、原理的に存在しえないから。
ということはどういうことになるのだろうか...。

武士の喧嘩は、双方とも罰せられることになっていた。この喧嘩両成敗法は、甲斐の戦国大名武田信玄の分国法(信玄家法)などに見られるように、戦国時代に成立し、統一政権のもとで「天下の御法」としての地位を確立した。

この喧嘩両成敗は普通に考えれば、あまりにも無法だと思うであろう。つまり、正義のある方が、なぜ裁かれなければならないのか、と。しかし、天下統一とは、そういうことではないのである。たんに、

  • 天下人が、下々は「そういうふうに振る舞え」と命じたから、そうなっている

ということを意味しているにすぎない。天下人が考えていることは、

  • 自分を天下人として維持し続ける「システム」

である。なぜ喧嘩が、一方の死に対して、他方に「切腹」を命じるのかは、

  • 一方の死が、関係者による不満から来る「反乱」という「天下人の秩序を脅かす」、というシステムの不安定につながる可能性がある

という一点において、「お前が死ねば事は収まる」という一点において、喧嘩の両方が「処罰」されることには、合理性がある、ということなのである。
武士とは「名誉」と関係した存在である。そうであるなら、むしろ、「喧嘩」は「やらなければならない」行為である。この場合、名誉とは、

  • 天下人が自分をこの地位に採用した

という「名誉」である。つまり、自分が侮辱されたことは、すぐに、その行為自体が、その自分を採用した

  • 天下人への侮辱

につながる。よって、喧嘩は「しなければならない」のである。ところが、そう思って喧嘩をすると、

  • 必ず

両方が裁かれる。このことは、

  • 武士は「確率論」的に切腹する

ということになるであろう。武士はたんに武士であるという「それ自体」によって、確率論的に自らが切腹する可能性を生きる存在だということである。

三田村鳶魚氏は、武士とそれ以外の者との処罰の違いについて、次のように指摘している(『敵討ちの話・幕府のスパイ政治』)。

武士たる者は、善悪を弁えてないようではいけない。自分のしでかしたことを、自分で処罰出来ぬようでは、とても自主独立は出来ない。ですから、刑罰などの上においても、士は切腹ということになっておりました。(中略)町人・百姓になりますと、そういう場合に死罪を申し付ける。自分で自分のしでかしたことの始末がつかないから、その罪を贖うようにしてやらなければならぬ、ということになっております。

武士は、一方において、「傭兵」である。つまり、その天下人に「自分」から、志願した、という形になっている。よって、武士は、「だれからも<無理矢理>、今の天下人の命令に従うことを、強いられているわけではない」。だからこそ、

  • 死ぬときを「選ぶ」のも、自分で、そのタイミングを選ぶ(つまり、切腹する)。

他方において、武士は、幼い頃から、「天下人の意志」によって、育てられた存在でもある。そうであるからして、そもそも、

  • 善悪が分からない

などということがあってはならない。そんなことがあると思うことが、「天下人の養育に瑕疵がある」と「非難」しているのと変わないからだ。
そういう意味では、武士とは、「天下人の正しさ」を証明するために生きている、と言えるともなる。武士がどう生きるのかは、「天下人の考える世界秩序」が、だれにも非難される言われのない、「善」そのものであることを示すために、それと矛盾がないことを証明するために行われている、とさえ言えるのだろう。
他方、町人や百姓が、天下人に対して、「無関係」となっていることが分かるであろう。彼らは、そもそも、「ちゃんとしろ」と言っても分からない連中、という扱いだということである。つまり、むしろ、天下人や天下人の回りを囲む武士集団が、

する対象と考えられているわけである。他方において、武士は、町人や百姓に比べて、「より天下人と<区別>ができない」存在であることが分かるであろう。
武士は、天下人と行動を共にする人たちである。つまり、天下人の手となり動き、足となり動く。天下人に「失敗」があってはならないように、彼らも、失敗は「ありえない」。もし失敗があったとするなら、それは、「天下人の教育が失敗をした」というのと同じことを意味してしまうからだ(幼い頃から、天下人による教育を受けてきて、というか、そもそも、天下人にその「地位」を与えられていて、今ごろまだ、悪とはなにかを分かっていないなど、ありえないこと、というわけである)。
しかし、そんなに、次々と役人に「切腹」が行われていて、まるで「使い捨て」のように捨てられて、どうやって「求心力」を維持するのか、とは疑問にならないか。

江戸幕府が旗本に切腹を命じた事例が少ないことは確かである。それには、次のような事情があったと推定される。
幕臣であった村山鎮は、旗本に嫌疑があった場合の処置について、以下のように回想している(「大奥秘記」)。

旗本の者いよいよ罪人となると、それ以前に悉く探索してあるから、間違いはないけれども、評定所から御老中の封書御尋ねということになる。それは、頭、支配でも見ることは出来ぬもので、全く自分へ直に来るのです。この封書御尋ねが切て申訳がなければ、直ぐ屠腹自殺すれば、単に病死とし、倅あれば跡式家督を願い、そのまま家は立てて下された。

内密に封書でお尋ねがあり、申し開きができない時は、切腹して果てれば子供に家を継がせることができたのである。
その内容は、頭や支配にも知らされないのであるからあ、自らの罪は周囲に知られないで済む。死ねばすべてが許されるのであれば、切腹するのもやむを得ないと思ったのではないだろうか。
こうした慣行を生んだ最も大きな理由は、本来将軍の直臣である旗本に、罪を犯す不心得者はいない、という建前があったためであろう。旗本にそのような者がいることは容認しがたいことであり、本人に切腹させることによって建前を維持しようとしたのである。

寺子屋でひたすら勉強をしていた、彼ら武士階級は、ある年齢に達すると、武家の屋敷に「出勤」するようになる。すると、まず最初に行うのが、「嫁探し」となるのだろう。そして、さっさと跡継ぎを産む。
なぜ、そんなに「急ぐ」のか。それは、「いつ死んでもいいように」ということである。
武士は、ひとたび、主君に仕えた、その時点から、「いつでも主君の都合によって、自死を選ぶことに「至る」ことを、常日頃、覚悟して生きている」というわけである。
なぜ武士が「切腹」を行うのか。それは、そうすることによって、自分の「イエ」が存続されるからだ。自分の子孫の「地位」が確約されるのである。
武士はたんに「名誉職」ではない。子々孫々に渡る役職への「努めあげ」が求められる。自分が死ぬかどうかは、問題ではない。自分が今努めている役職を、自分が死んだら、その子供が「代わり」を努め上げなければならない。問題はその「連続」の継続性だということである。
武士とは、「天下人」との関係において存在する。つまり、武士として産まれた時点で、その人は、武士以外に「なれない」のである。
上記の引用は非常に重要なことを示唆している。
そもそも、武士の切腹は「隠される」ということである。隠して、「病死した」ということにされる。公の記録もそうなる。つまり、

  • 何も起きていなかった

ということにするのである。これが「武士システム」である。武士の世界は、「嘘」の世界である。本当はなにが起きたのか。なにがあったのか。
しかし。その「真実」が、もしも、「天下人の名誉」を傷つける事実だったら、どうするのか。よって、世界は、

  • 何も起きてはならない

ということに必然的になる。歴史は、「今日も何も起きない平凡な毎日が続きました」と書かれることになる。
こうして、徳川幕府の歴史は、「平和」となる。カラクリはこうだ。まず、「事件」が起きる。武士同士のトラブル、喧嘩である。ところが、このトラブルは一瞬で解決する。一方が、他方を斬り殺した後、もう一方が、その場で、ハラキリをするから。そして、この事件は、

  • なかった

ことにされる。お互いは「病死」したことにされる。お互いが所属していたポストは、彼らの「子供」が引き継ぐ。そして、「正規」の歴史書から、この事件は、抹殺される。そして、

  • なにも起きない

毎日が続き、それが、「平和」と呼称される。次々と陰で「人々」が自死しているのにも関わらず、である。
この姿は、どこか、現代における、ラノベの「日常系」に似ている。何も起きない毎日は、実際には、なにも起きていないわけではない。そこでは、「重大」な決定をしているはずなのに、重大な問題が、眼前に存在するはずなのに、むしろ、それは

  • ないかのように振る舞わなければならない

といった「構造」になっているわけである。もし、あなたの学校で、いじめ自殺があったなら、本当なら、あなたは、学校の生徒全員に訴えかけて、生徒会を招集して、

  • 真の正義

を目指さなければならないのではないか。そうでなければ、そんな学校に通い続けることは、倫理的に許されないのではないか。教師を糾弾して、真の「あるべき姿」へと変革していかなければならないのではないか。そうでなければ、死者がうかばれないではないか。
つまり、こういった意味においても、武士における「切腹」と、「いじめ自殺」は似ているわけである...。

切腹 日本人の責任の取り方  (光文社新書)

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