山本博文『殉教』

お金持ちの人にアンケートをとったら、子供の頃に親から「いい人」になれと教育を受けた、と答えた人が多かったというネタから、

  • お金持ちになるために「いい人」になろう(倫理的な動機からなる「いい人」、ではなく)

と主張しているブログがあった。つまり、

  • 今は「お金持ち」になるために「いい人」を演じる時代なんだ

と言いたいのであろう(つまり、世間体に対して「いい人」を演じるが、本音の付き合いでは、鬼畜に暮らすのが「楽しい」のだ、と)。
この「黙示録」的な予言が「むごい」のは、典型的な「原因と相関の違い」を理解していない例だからだ。お金持ちと「いい人」に相関があるからといって、

  • いい人「ならば」お金持ちになる

とは言えない(必要条件だが十分条件ではない)。むしろ、このことは、

  • お金持ちのほとんどは、裕福な家の出の子供だ

ということを意味しているにすぎない、と考える方が自然であろう。
どうして、原因と結果の取り違えを、人々は繰り返すのだろう。それは、

  • 自分が「いい人」でないことを理解している人が、それでも、自分は「幸せになっていい」し「幸せになれる」と世間が「承認」している

と、世間に言わせたいからなのであろう。つまり、そう世間が言っていることを前提に振る舞うことで、他人に「そのことを有無を言わせず、黙認させたい」ということである。
私たちは絶えずこういった「認知的不協和」を生きている。私たちは、自分に都合の悪いものを正面から対峙し、生きられるほど

  • 強くない

ということなのだ。
しかし、ある関係において、この「認知的不協和」は、「真実」と変わらない機能を果たすことになる。それが「共同体」である。共同体とは、

  • 同じコードを共有しあう

関係を言う。ここにおいて、上記の「認知的不協和」に「共感」する人たちは、まったく「無意識」に、お互いが「認めている」真実のコードを共有する。例えば、日本における「左翼批判」や「活動家批判」は、どこか戦前の共産主義者を、大衆が「進んで」特高に密告することの「執拗さ」を想起させる。
問題はその「執拗」さ、である。左翼批判や活動家批判というのは、彼らにとって「認知されたイジメ対象」なのである。むしろ、彼らは、そういった「イジメ」発言によって、その共同体内において、「存在感を認知」され、「発言権を獲得」してきたのだ。つまり、彼らは左翼や活動家を馬鹿にしたから、この共同体の中に存在する場所を獲得した。彼がこの共同体の中にいることと、左翼批判や活動家批判は区別できないのである。
(例えば、漫画『20世紀少年』における、クラスのいじめは、「忘却」という形態をとる。彼らが徹底して、現代の左翼や活動家や、江戸時代の隠れキリシタンを「いじめ」て、その結果として、彼らが自殺することになっても、そのことを反省する契機はない。「公認された<いじめ>」は、むしろ、いじめられっ子が、最終的に死に、「いなくなる」ことによって、始めて、

  • 幸せ

になる、といったような形態となっている。彼らいじめっ子は、いじめられっ子が、「いなくなった(=死んだ)」ことによって、始めて、

  • 嫌なことを忘れられる

という形態となり、一つの「安定」系に落ち着くわけである...。)
この日本における、「村八分」文化の伝統の起源には、もしかしたら、江戸時代のキリスト教徒への迫害の伝統の「遺伝子」があるのかもしれない。
統計物理学に「相転移」という言葉がある。コップの水を温めると、いずれ、沸騰して、水蒸気になる。逆に冷やすと、氷になる。液体が気体になり、液体が個体になる。ここでおもしろいのは、ある

  • 境界

を越えると、全部水蒸気になるし、全部氷になる。つまり、その

  • 全体の状態

が変わった、ということである。この現象が興味深いのは、ある一個の分子がどうなったのかを追跡したからといって、この現象が解析できるわけではない、ということである。つまり、全体の

  • 統計的

な動きが、まるで、「相転移」しているかのように、ある時期を境に、まったく、違った状態になっている、ということなのである。この場合、

  • なぜ、その時だったのか?

と問うことには、果して意味があるだろうか。もちろん、「その」一個の分子に対して、その「原因」を考えることには意味があるだろう。しかし、問題は、

  • なぜ「全体」のその「相転移」がその時だったのか?

なのである。
大衆運動が、どのような力学によって、さまざまな「相転移」を繰り返すのかは、もしかしたら、同じような「法則」があるのかもしれない。しかし、いわゆる評論家のどれだけの人たちが、こういった問題に自覚的なのだろうか。

殉教は、ラテン語で「マルチリヨ」という。「マルチル」は殉教者をいい、「丸血留」の字が宛てられた。まさに血だらけになって死ぬイメージがある。
イエズス会宣教師たちは、ことさらに名乗り出て殉教しようとはしていないが、教義の中では殉教を勧めている。
殉教の勧めは、当時のイエズス会らがキリストの教えとして日本に持ち込んだものだった。明治二十九(1896)年に長崎県庁で発見され、弾圧時代に日本人キリシタンが愛読したと思われる「マルチリヨの栞」と名づけられた古写本には、次のようなことが書かれている。

丸血留になるためには死ななければならない。まず第一に、人から殺されることを喜んで堪え忍ぶこと、たとえどんな困難を凌いでも、生きている間は丸血留ではない。死ぬというのは、首を切られ、焼き殺され、磔にされて死ぬだけではない。たとえば食物を与えられないで餓死に及び、流罪に処せられて死ぬだけではない。たとえば食物を与えられないで餓死に及び、流罪に処せられているうちに死に、牢獄の難儀に耐えかねて死ぬなど、どんな形であっても辛労難儀をして死んだ場合は丸血留である。

ただ、殉教と認定されるには厳しい基準があった。殺されるのを嫌がったり、処刑の場から逃げよういたら殉教とは認められなかった。
そのため、殺されたキリシタンが本当に殉教と認められる死かどうかが問題となる可能性があったので、殉教を報告する文書には、死んだときの状況が非常に詳しく書き留められている。
そして、キリシタンとして殺されるのは喜ぶべきことであるから、抵抗して戦うことは許さなかった。
また、キリシタンが捜索されているとき、よそへ逃げて隠れているのはかまわないが、殉教の望みに燃え、進んで申し出て殺されれば、これは優れた殉教である、とされた。
さらに、なぜキリシタンが迫害されるのか、なぜ迫害者は天罰を受けないのか、殉教にはどのような功徳があるのか、などの点についても、懇切に解説されている。
まず、キリシタンが迫害されるのは、迫害の場ではじめてその信者が真実の信仰を持っているかどうかがわかるためである。
したがって、迫害者が天罰を受けないのは、そのような悪人は善人を鍛えるために生かされているからである。神の罰はいずれ必ず加えられるから、急ぐ必要はない。
棄教を迫られたとき、神を否定することは重罪である。表向き棄教するだけでも、心から棄教する者と同罪である。迫害の短い苦しみの中で、快く殉教を受け入れることが必要だった。
そして殉教すれば、神の前で最高の位につくことができる。すべての罪が許され、煉獄の苦しみは免除され、天国では光背を頭にいただき、受けた傷は光り輝く。つまり、日本人キリシタンにとって、表向きだけでも棄教することは許されず、むしろ進んで殉教することが求められていたのである。
こうした書物を読むと、あらためて日本人キリシタンキリスト教の教えを積極的に実行しようとし、あるいは素直に従い、自ら進んで殉教者になろうとしたのだと理解することができる。
さて、本章では、遠藤周作氏の小説『沈黙』のストーリイを借りながら、殉教時代の日本キリシタンの置かれた状況を解説してきた。そして、『沈黙』に登場する宣教師たちが、当時の宣教師としては特異な思考方法をしており、むしろ現代人のメンタリティに近いと思われることを述べた。当時の宣教師、「マルチリヨの栞」に述べられたように、喜んで殉教することを勧めていたのである。

掲題の本は、遠藤周作氏の小説『沈黙』における、宣教師が、

  • 現代人のメンタリティ

に基いて、行動していると指摘する。それは、彼ら宣教師は、そもそも、この日本に来る以前に、すでに、殉教とはどういうものなのかを、十分に理解して来ているはずだ、というところに前提がある。つまり、彼ら宣教師が、日本人キリシタンの「殉教」行為を、

  • 喜ばしいこと

と考える「所作」を行う前に、彼らの「受難」に対する、神からの「奇跡」による救済の「跡」が、いつまでもあらわれないことに対して、神を恨む(=棄教する)というロジックになっているからだ。
いつまでたっても、神による「奇跡」の「跡」が現れないことに対して、神に「恨み事」を言うこと自体には、問題はない。そうではなく、彼ら宣教師が、なぜ、日本人キリシタンの「殉教」行為を、こういった「神の奇跡による救済がない」という視点からしか、考えないのかが、明らかに

と言っているわけである(つまり、殉死はキリシタンにとって「喜ばしい」ということを「よく分かって」いるか、彼らは宣教師なのであり、だから、はるばる海を越えてまでも、日本に来たのだから)。
そもそも、なぜ、日本において、これほどのキリシタンの増加が起きたのであろうか。

最初にキリシタン大名になったのは大村粋忠で、大伴宗麟・有馬晴信らもキリシタン大名となった。彼らの領内では、領民がなかば強制的にキリシタンに改宗させられた。
カブラルは、キリシタン大名のために食糧や武器・弾薬の援助も行った。彼らが比較的弱体で、独力では周囲の戦国大名の圧力に抗しきれなかったからである。

いまだ迷信の世界から脱していなかった民衆にとって、イエズス会が病院を作り、病人の治療にあたったことは画期的なことだった。イエズス会日本年報でも、日本では、病を得たり臨終に際して洗礼を受ける者が多かったことが指摘されている。

しかし、病院を作って献身的に行われたバテレンたちの治療は、いかにそれが現代人の目から見ていかがわしいものだったとしても、日本の民間信仰による治療よりも優越したことは確かだっただろう。

最初、日本の百姓に対する、キリシタンの普及は、大名による「強制」から始まった。その時代、まだ、戦国時代において、大名は、宣教師たちとつながることによって、武器の調達など、生き残りに有利に働いた、という実利的な意味が大きかった。
他方、庶民においては、宣教師たちが行う「近代医療行為」は、圧倒的な「治療の精度」において、土俗の民間治療に勝っていた。つまり、庶民は、宣教師による、治療という

  • 贈与

から、ほとんど必然的にキリシタンに入信していく、という構造があった、ということは言えるのではないか(つまり、その時期、ある

が起きていたのである)。
しかし、他方において、宣教師たちは、そうして入信してくる日本人キリシタンの「質」の低さを問題にしている。というのは、そもそも、なぜ日本人が信者になったのかの、非常に大きな理由が、

  • 自らの「所属」のなさ

に関係していたから。もし、ある人が、武士だったり、商人だったりして、自分の「所属」をもっていたとする。その場合、その人の行動は、「その所属の意向」を無視してはありえない。つまり、まずもって最初に、キリシタンになった日本人とは、どこにも所属していない、浮浪者のような人たちだったことがわかるであろう。

すでに紹介したが、日本布教長カブラルは、「私は、日本人ほど傲慢で、貪欲で、不安定で、偽装的な国民を見たことがない」と言い、その理由として「彼らが(修道会に入って)共同の、そして従順な生活ができるとすれば、それは他に生活手段がない場合においてのみである。ひとたび生計がたつようになると、たちまち彼らは、まるで主人のように振舞う」ことを挙げている。
修道会に入る者には、「生活手段がない」者が目立った、ということである。生活に窮した者が修道会に入り、そこで共同生活をする。すると、修道会内部での地位も次第に上がっていく。すると、「まるで主人のように振舞う」のである。
つまり、修道会に入ることは、ある者にとっては生活のための手段であり、普通なら得られないほどの地位を得ることができるほとんど唯一の道でもあったのである。

当時の民衆にとって、教会や修道院は、いままで経験したことのない信仰において平等な共同体的世界だったと想像される。

彼ら、どこにも所属をもたない日本人は、この修道会に入ることで「所属」を得る。すると、今度は、この所属の中における、

  • ステータス競争

が始まる。つまり、

  • 身分

が始まるのだ。最初に修道会に所属するときは、このコミュニティが、いかに「フェア」にお互いを扱うかに、驚嘆し感動し感謝する。まさに、「共産主義社会」である。
ところが、彼らは、そうして、この修道会に深くコミットしていけばいくほど、今度は、また、このコミュニティを「村」にしていくのである。
私が不思議なのは、なぜ、徹底して、根底から考えようとしないのか、ということであろう。彼らは自分の主張が、非常に「党派」的であるのではないか、ということを疑わない(恥ずかしげもなく、「自分の立ち位置」という言葉を使う)。もしかしたら、自分が行っている「左翼」批判が、同じ理屈で、「右翼」にもあてはまるのではないのか、という疑いをもたない。自分が主張していることが、まともな「科学」になっているのかを問わない。つまり、「ソーシャル」なのだ。自分の「友達」たちが、「遠慮」してお世辞を言ってくれているのを、「まともな科学的議論」だと、本気で思い込んでしまう。
そういった「お友達」ソーシャルの中では、「公認された<いじめ>」を、まるでスポーツのように、いじめ尽すことによって、「ストレス発散」をする。赤信号みんなで渡れば怖くない
そうして、「仲間」の「団結」を確かめ合う。「共感」の確かさで「安心」する。しかし、その「共感」には、江戸時代のキリシタンは入っていない。現代の左翼や活動家は入っていない。
こうして、さまざまな「空気」が、寄せては返し、さまざまな「相転移」を起こしながら、村的感受性を翻弄していく。つまりは、そういった「波」の揺れ具合によっては、切腹のように、

でさえ起きうる、という、なんとも「芯」のない、ふわふわした「日本的感性」とでも言うしかないものが、私たちをとりまいていて、往々にして、そのようなものを「日本的誇り」と呼んでいたりするという、なさけないことことになるのだろうか...。

殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書)

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