福嶋亮大『復興文化論』

この本は、非常に「気持ち悪い」本である。なぜなら、

『復興文化論』と題したこの本は、当然のことながら、二〇一一年に起こった東日本大震災との関連において読まれることと思う。

と著者が「あとがき」に書いているように、本文において、東日本大震災について、まったくふれていないのだ。そして、さらに、気持ち悪いことは、まったく、原発についてふれていないことである。
私は、これが「関西」に住んでいた人の感覚なのではないか、と思った。彼らは、不思議なことに、東日本大震災

  • 体験

していない。つまり、これは一般的な日本の「歴史」における<復興>という一般論の一つでしかないのだ。この本の、終始貫かれている「観念論」は、結局、何が言いたいのか、さっぱり分からない。つまり、著者は、本気で、東日本大震災について語っていない。そのことを「自慢」すらしている。
著者は、原発をどうすべきだと考えているのだろう? 驚くべきことに、著者は、そのことについて語る必要がないと考えている。つまり、そんなこととはなんの関係もなく、著者は「復興」とは何かについて語れると思っている。
しかし、他方において、そうなのか、とも思わなくもない(以下は、私のそれについての考察であり、「妄想」である...)。

振り返ってみれば、白村江の戦い元寇豊臣秀吉朝鮮出兵第二次世界大戦んどいくつかの事例を除いて、日本における戦争とは基本的に内戦であり、根本的に異なる「倫理的実体」(ヘーゲル)を備えた国家どうしの戦争ではなかった。にもかかわらず、『太平記』の著者は臆することなく、日本式の内戦を中国式の国家間伝送に仕立てあげた。よく指摘されるように、『太平記』に朱子学の倫理思想(大義名分論)が反映されていることは確かだろうが、この作品の真の意義は恐らく儒教思想というより中国の歴史的環境を複製したことに認められるべきだろう。『太平記』が国家間戦争のフレームを象ったからこそ、そこに後からナショナリズム朱子学的倫理思想という内容を注ぎ込むこともできたのである。
もっとも、もう少し詳しく言えば、『太平記』が国家間戦争の「先例」として見出すのは春秋戦国時代や唐の安禄山の乱であって、北宋南宋が滅亡させられたことはあまり参照されない。南宋滅亡からすでに百年ほどが経過していたのにもかかわらず、『太平記』は近世ナショナリズムの時代の滅亡形式に対して不思議なほど冷淡であった(巻十六の兵庫海戦の場面では一応南宋の滅亡が想起されているが、それも通りすがりに触れられる程度である)。したがって、『太平記』を真の意味で「近世化」するためには、別の操作が必要であった。
それは具体的には、楠木正成の近世化によって実現された。戦国時代には「軍学の英雄」として扱われていた正成は、光圀に招聘さた明の遺民・朱瞬水によって近世的な「忠臣」のアイコン、すなわち「楠公」として再発見される。思想史家の山本七平の言葉を借りれば「瞬水は光圀を通じてさまざまな影響を与えただけでなく、当時の学界に直接的な影響も与えたが、日本の民衆一般への絶対的影響は楠木正成の再発見であり、彼を文天祥と同列に置いたことである」。モンゴルに仕えることを最後まで拒んだ南宋の遺民・文天祥と類比されたとき、正成は超能力を備えた中世の不思議な軍略家から、逆境の後醍醐天皇のために尽力する近世的な忠臣(ロイヤリスト)に生まれ変わった。文天祥及び朱瞬水という異邦人の司祭を通じて、正成に「遺民のナショナリズム」の洗礼が授けられたのである。

なぜ、原発は日本にこれほどあるのか。一体、誰がそれを「選んだ」のか。一つだけ言えることは、この日本における原発政策に、<大量のお金>が注ぎ込まれてきた、ということだ。
お金の<存在>は、そのお金に依存して生きていく人たちに、究極的の「忠臣」を生み出す。これは、必ずしも、東芝などの原発製造会社だけに限ったことではない。地方のさまざまな美術館、文化事業。ことごとく、その地域の電力会社の

  • あぶく銭

によって、成立していた。彼らは「その」お金の前に、拝跪する

  • 忠臣(ロイヤリスト)

だった。そして、その構造は、3・11以降も変わっていない。このお金の前に群がる彼らは、その「恭順」を競う。そして、これからも、この恭順競争が続く...。

絅斎は『靖献遺言』において、忠という至高の価値を語ることによって人倫の回復を目指した。絅斎の実存を賭したこの著作は、危機に生きた中国の義士を顕揚する一種の「信仰告白」のようにも見えてくる。例えば、この書物を詳しく分析した山本七平は、絅斎について「「伝導に基づく回心(コンヴァージョン)によって世界を変え得る」と信じているパウロのような人間、少々日本人離れがした日本人」と評していた。朱子学といえども、たんなる知識=空言に留まっている限り、現実的な力を持つことはあり得ない。したがって、絅斎は前王朝への大義のために命を投げ捨てた「殉教者的中国人」(山本)としての遺民を選び出し、その「事歴」から強烈な情念と忠誠のモデルを引き出す。『太平記』と同じく『靖献遺言』も、朱子学の倫理を抽象的に語るのではなく、あくまでそれを実践として生きた人間たちを導入した。そして、中国人遺民に取り憑かれた絅斎のパウロ的純粋さは、やがて簒奪者(簒臣)としての徳川幕府の正統性を否定する思想と結びつき、幕末の勤皇家を突き動かすことになる......。
私たちは、尊皇攘夷を掲げた「維新の志士」の遠い源流が、文天祥や朱瞬水ら中国人遺民や亡命者にあったことを軽視すべきではない。命を賭けて新王朝に「否」をつきつけた中国の愛国者的=殉教者的遺民たちは、ある意味では宗教者よりも宗教的であり、だからこそ彼らの遺文を集めた『靖献遺言』は世俗化一辺倒の近世日本社会において一種の「超越性」をもたらす契機にもなり得た。一神教を生み出さなかった東アジアの風土においては、超越性は神ではなく滅亡体験に宿ったのだと言っても、あながち的外れではないだろう。

1今後の日本に原発は必要だろうか? 日本は、海外に原発を売り続けるのか? 恐るべきことに、彼ら原発マネーの前に拝跪する殉教者たちは、まさに、パウロのように、原発という錦の御旗を守り続ける。
彼らの売り物は、自らのその「純粋」さである。彼らは、決して、原発反対側に回らない。その「徹底」さ、「根源」さにおいて、原発マネーからの

  • 信頼

を勝ち取る。その根底的な態度において、その「徹底」さにおいて、自らの「商品価値」を競う。
こういった「純粋主義」に対して、精神分析的に「抵抗」しようとしたのが、著者の見立てによれば、本居宣長だ、ということになるらしい。

一八世紀後半の国学者本居宣長の「漢意(からごころ)」批判というのは、恐らくこうした現実的状況と関わっていたのだろう。例えば、宣長最初の歌論『排蘆小船(あしわけをぶね)』では「唐人議論」に基づく「近世武士の気象」が鋭く批評されている。例えば、君のため国家のため、一命を捨てて潔く死のうとする義士は、男らしくきっとしていえ、誰もが皆願い羨んでいる。しかし、その彼にしても今際の時には、故郷に残してきた妻子や老いた親のことを思って「かなしく哀をもよほす」ものではなかったか? 「男子は心にはあくまで悲しくあはれに思うことありても、人の見聞をおもんばかり、心を制し、形をつくろひて、本情をかくしつくろふにたくみなるやう也」。「人の見聞」を気にする男性的な義士」(近世武士)は、聖人凡人変わることのない人間の「本情」を隠しているが、そうした振る舞いは所詮「世間の風」や「書物」の拵え物にすぎない。だからこそ、宣長は「唐人議論」に感化された男らしい態度よりも、親や妻子を思う女々しい心こそを進んで肯定しようとする。
宣長の議論はたんなり日本礼賛ではなく、ある種の危機意識=批評意識に基づいていた。「東洋的近世」の余波が日本にも及び、遺民や忠臣の文学が大衆や知識人のあいだで広がったとき、宣長はその中国的な「義士」に強く反発した(ゆえに『排蘆小船』は、楠木正成大石内蔵助、和藤内といった近世的アイコンに対する間接的な批判にもなっている)。そして、宣長は自己を超えた超越者と一体化しようとする「愛」としての忠誠心の代わりに、さまざまな女性に「恋」をする光源氏、すなわち「恋のみだれおほく中にはたぐひなき不義もある」(『源氏物語玉の小櫛』)、この不埒な虚構の人物を高く評価する。中国的な「愛」の宛先が一元的であるとすると、日本的な「恋」の宛先は多元的かつ分裂的であり、宣長は後者によって前者を克服しようとしたのである。

さらに、近世ナショナズムという「漢意」によって縮尺の混乱に見舞われた日本近代に対して、本居宣長が王朝文学の恋心や「もののあはれ」を処方したことは、彼なりの優れた批評的=医療的行為であった(ちなみに、宣長が松阪の医者であったことを思い出しておくのも無駄ではない)。

宣長は、彼ら、「純粋主義者」の、原発マネーの前に拝跪し、全てを捧げる連中のその「徹底」さにおいて、

  • 彼らの「本音」

を対置する。彼らのサブカルチャーとしての「殉教」のパウロ的純粋さは、彼らの「リアル」の前において、その欺瞞をさらけだす。実際は、

  • 故郷に残してきた妻子や老いた親のことを思って「かなしく哀をもよほす」

ではないか、と。むしろ、こちらの方が、日本人の「そのものの姿」だったのではないか、と。
偉そうに、かっこつけるんじゃねえよ、と。
お金儲けがしたいんだろ、と。原発マネーに群がっていれば、一生、喰いっぱぐれしない、と思うから、だから、原発に賛成してるんだろ、と。
掲題の著者の、この現代社会の

  • たてまえ

批判は、三島由紀夫の長編小説『金閣寺』において、その極点に至る。

しかしながら、ここで強調しておくべきなのは、三島が美的=芸能的な世界に耽りつつも、やがて川端の盲点を暴き立てていくことである。とりわけ、一九五三年の『金閣寺』には、川端ふうの「観客」に対する明確な批評が書き込まれていた。
周知のように、この長編小説は、一九五〇年に金閣寺を燃やした実在の僧侶をモデルにして書かれた三島の代表作である。三島は金閣寺という「美の劇場」を、この上なく壮麗なレトリックを駆使して描き出した。しかし、三島の真のたくらみは、この金色の美の劇場に心奪われている観客にキャメラを向けたところにある。川端のキャメラはもっぱら美の劇場(芸者)に向けたれているが、三島はそれをくるりと一八〇回転させて観客の生々しい姿を捉える----、すると、そこには一人の日本人僧侶・溝口の惨めで弱々しい姿が映し出されるばかりなのだ。「体も弱く、駈歩をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃(ども)りが、ますます私を引込思案にした。[...]吃りは、いうまでもなく、私と外界のあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない」。

三島はここで、アメリカ化した衛生的な舞鶴と、日本の醜さやうら寂しさを凝縮した由良を対比しながら、主人公には「肌理の粗い、しじゅう怒気を含んでいる、あの苛立たしい裏日本の海」に面した故郷を再確認させている。「それは正しく裏日本の海だった! 私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力の源泉だった」。そして、この認識の直後に、溝口は「金閣を焼かなければならなぬ」と決意する。不幸と醜さを背負い込み、美の観客になることも許されないこの一人の日本人は、乾坤一擲のテロに打って出ることによって、世界の宿命的構造を引っくり返そうとするのである。

例えば、市民社会からの落伍者がテロリストになるのであれば、話は分かりやすい。しかし、劇場からの落伍者がテロリストになるというのは----しかもそんな設定に基づく小説を三島の傑作としてひとびとが崇めてきたのは----、何とも奇妙なことではないだろうか? 『金閣寺』の三島が、社会に爆弾を仕掛けるよりも、美の劇場を燃やすことを「悪」と見なしふぁ事実は、私を考え込ませる。国家や社会から疎外されることが主人公の尊厳を奪うのではない。劇場か疎外されることが彼の尊厳を奪う。私の考えでは、『金閣寺』の最大の倒錯は、最も人間らしい人間は市民ではなく観客であり、それゆえ観客になりそびれることこそが致命的な屈辱であるという哲学を示したところにある。
演劇者の文学と観客の文学、<わたし>の文学と<われわれ>の文学を行き来した三島は、日本近代文学の劇場的性格を最もうまく利用し、かつそれをひび割れさせた作家である。川端の描く「不能の観客」は、<われわれ>読者を何ら傷つけない。それに対して、「肌理の粗い」裏日本の自然が生み出した『金閣寺』の溝口は、<われわれ>の見たくなり醜い自画像である。三島は<われわれ>観客の根底には実はどうしようもない愚劣さや恥ずかしさがあること、その恥辱に耐えられなければテロに走るしかないことを、実に鮮烈に暴き立てた。

私は、徹底して、福島第一の「金閣寺」化に、抵抗する。それは、福島第一の「芸術作品」化の裏に、彼らの隠微な

  • 裏日本

への徹底した無視があるからだ。言うまでもなく、3・11の前、中越中部地震において、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は、非常に危機的な状態の直前にまで至っていたことが、今では知られている。というのは、当時、その情報は「隠蔽」されたため、詳しい情報がなかなか、外に出てこなかったからだ。
もしも、このときのことを、私たちが真剣に受けとめていたならば、3・11における福島第一の事故は、避けられたのではないか?
そして、また、同じことが、繰り返されようとしている。言うまでもない。
原発マネーの前に、拝跪する、殉教者たちは、今。福島第一に人々の目をとらえさせている間に、日本中のその他の原発を動かそうとしている。彼らは、しつこいまでに、福島第一について、人々の目を集中させようとしながら、驚くまでに、新潟県東京電力柏崎刈羽原子力発電所について、言及しない。まるで、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は、福島第一と同じ原子力発電所ではないかのように、徹底してシカトする。
掲題著者が、前記の引用で示唆しているのは、そういった、東京、関東圏の原発マネー殉教者たちの「演技」の

  • 傍観者

である、裏日本。新潟や、その他の、日本の周縁をかためる、周縁ゆえに原発を押し付けられてきた人たちの「他者」の視線を強調する。彼ら関東圏の人たちのパフォーマンスが、実際には、そういった地域への

  • 差別感情であり、恥(はじ)

を「隠す」ことによって成立していること、徹底して無視することによって、偉そうに、かっこつけてられていること、自意識を保ていることを、『金閣寺』の溝口の視点によって、曝け出すのである...。
(私は、掲題の本は、『福島第一観光地化計画』という本への鋭い「批判」だと思っている。この本を見た人は、その「恐しい」未来図に、ヘドが出るのではないか。この本では、未来の日本は、<フクシマ>を中心にして、東京と関西の三点がリニア新幹線で結ばれる。この未来図の何が、

  • 恐しい

のか? それは、徹底した、「裏日本」の無視である。この本は、一方において、東京とリニアで直結した、<フクシマ>の観光都市化という「復興」を提唱しながら、その裏で、裏日本を

として維持し続けることを隠微に「欲望」しているわけである orz。この本は、悪魔の本だ。私は、あらためて、掲題の本を読んで、いわゆる、吉本隆明に続く「原発思想家」と戦っていかなければならないな、と決意をあらたにしたのだが、あまり、私の決意(=妄想)に賛成してくれる人は、どうでもいいくらいに、少ないようだ...)。

復興文化論 日本的創造の系譜

復興文化論 日本的創造の系譜