専門家はどこにいるのか?

以前、この田崎本を、このブログで紹介したとき、私の感想としては、前半の物理学関連の話は、大変に興味深い内容と思って読んでいたが、中盤からのより生物学に関係してくるところに入っていくと、著者の「素人」的な「憶測」が、まともに読める文章でなかった、といった、まとめ方にさせてもらった記憶がある。しかし、それだけに、この本の「問題点」をより、専門家の視点で整理されているものが必要なのではないか、という印象を受けていた。
うーん。結局、3・11以降、さまざまに繰り返されてきた「安全厨」の議論とは、なんだったのだろう? 私には、正直、そういった態度を、どのように理解すればいいのか分からない。
私はこういった態度を、例えば、水俣病において、さまざまに専門家たちが「言い訳」をし続け、今もしていることや、今の農業で使われている農薬や、合成着色料、合成保存料の危険を訴える人たちを攻撃する専門家たちの「動機」と同様に考えてきた。
しかし、一歩退いて、俯瞰的な位置から、冷静に眺めさせてもらったとき、むしろ、彼らは本当にこの議論を深めたいと思っているのかが怪しくなってくる。例えば、以下の論文に対して、なぜかこの論文で批判されている本の著者の田崎さんは、議論に乗ってこない、という。

以下のような田崎晴明氏の本「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」についての意見を「物性研究」に投稿し、議論を行おうとしましたが、田崎氏が議論に応じず、掲載されないことになりました。
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

あー、そうなんだ。
逃げるんだ orz。
それは、どういう意味なのだろうか? 真面目に、この低線量放射性物質の国民への健康の影響の議論にコミットする覚悟があるのだろうか? それとも、あまりにも見事に論破されすぎて、人前に出てこれない、ということでしょうか。こうやって、逃げるというなら、今だに人前に出てこれない、コピペ博士小保方と、どんな違いがあるというんでしょうかね。
なんていうかな。
間違っていたら、訂正すればいいよね。そうでなかったら、そうでないって言えばいいよね。結局、最後は、正直であるしかないと思うんですけど。人前から逃げるってなに?

この設立経緯から推測されるように、ICRP原子力開発が前提となっており、人類の安寧から見た原発そのものの是非はその検討課題に含まれていない。
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

しかし最近では、このICRP勧告のみに基づく考え方と、それは時代遅れであるとしてチェルノブイリ事故で発見された新しい内容を加える考え方とが鋭く対立している。国際原子力機関IAEAICRPチェルノブイリ事故の被害として甲状腺がんのみを認め、他の健康の破壊を一切無視している姿勢が批判されているのである。
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

A.V.ヤブロコフらの「チェルノブイリ被害の全貌」のまえがきでディミトロ・M・グロジンスキー教授(ウクライナ国立放射線防護委員会委員長)は次のように述べている。3) 「立場が両極端に分かれてしまったために、低線量被曝が引き起こす放射線学・放射生物学的現象について、客観的かつ包括的な研究を系統立てて行い、それによって起こりうる悪影響を予測し、その悪影響から可能な限り住民を守るための適切な対策を取る代わりに、原子力推進派は実際の放射性物質の放出量や放射線量、被害を受けた人々の罹病率に関するデータを統制し始めた。放射線に関連する疾患が増加して隠し切れなくなると、国を挙げて怖がった結果こうなったと説明して片付けようとした。と同時に、現代の放射線生物学の概念のいくつかが突然変更された。例えば電離放射線と細胞分子構造との間の主な相互作用の性質に関する基礎的な知見に反し、『閾値のない直線的効果モデル』を否定するキャンペーンが始まった。」
「この二極化は、チェルノブイリメルトダウンから20年を迎えた2006年に頂点に達した。このころには、何百万人もの人々の健康状態が悪化し、生活の質も低下していた。2006年4月、ウクライナキエフで、2つの国際会議があまり離れていない会場で開催された。一方の主催者は原子力推進派、もう一方の主催者は、チェルノブイリ大惨事の被害者が現実にどのような健康状態にあるかに危機感をつのらせる多くの国際組織だった。前者の会議は、その恐ろしく楽観的な立場に、当事者であるウクライナが異を唱え、今日まで公式な成果文書の作成に至っていない。後者の会議は、広大な地域の放射能汚染が住民に明かに悪影響を及ぼしているという点で一致し、ヨーロッパ諸国では、この先何年にもわたって放射線による疾患のリスクは増大したまま減少することはないと予測した。」
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

田崎本は、欧州放射線リスク委員会ECRRなどICRPに批判的な見解は、ICRPが受け入れないので、科学者の一致を見ていないという口実の下に一切採用しない。これでは必然的にICRPの姿勢を踏襲したものにならざるを得ない。
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

田崎本は、この本が、一般向けに、人々の評価を受ける覚悟があるなら、どう考えても、この問題から逃げることはできないんじゃないだろうか。まずもって、この件に関して、「説明責任」があるんじゃないか。
なぜ、ICRPであって、ECRRと正面から向き合わないのか。そんな態度で、これが

  • 一般向け

として書かれたことの「アカウンタビリティ」は、限りなく大きいように思われる。たんに、恣意的に選択した、というだけでは、すまないんじゃないか。だって、これは、こと、日本国民の健康に関することであろう。恣意的に、ICRPにした理由はなんなのか。もしもそのことによって、日本国民が安易な選択をしてしまった結果として、被害が拡大したとき、どう責任をとるのか。
詳しくは、リンク先の論文を見てもらえばいいと思うが、一点だけ、あえて、最後の指摘をとりあげたい。

p110「1日の放射性セシウムの摂取量が30Bqなら、体内のカリウムセシウムの量はだいたい等しくなる。後は、どこまで内部被曝が増えるのを許すかで、これは個人の考え方だろう。もともとあるものが数倍に増えても気にしないというなら、結局1日に200Bq程度のセシウムを摂っていいことになり、最初の厚生労働省の基準に戻る。もともとある物と同じくらいなら許そうという人は、放射性セシウムの摂取を1日30Bqに抑えることを目指せばいい。」
これはとんでもない主張である。バンダジェフスキーたちの研究によれば体重1キロ当たり20Bq/kgでも心電図に異常が出る。それは心臓疾患につながり、心臓発作による突然死に至ることもある。これはカリウムと異なり、心臓に取り込まれた放射性セシウムによる健康破壊である。その点を理解しない田崎本はカリウム40の数倍として、毎日200ベクレルまでも許容する。そして厚生労働省の古い基準まで正当化する。一方、バンダジェフスキーは基本的にはゼロであるべきだという。それは脆弱な生殖系や脳、心臓など血管系への被害も考慮してのことである。それ故、この田崎本の記述を信じて毎日30〜200ベクレルを摂取することは極めて危険なことである。カリウムセシウムは臓器に取り込まれ方が異なり危険度が全く異なる。毎日200ベクレル摂取すると100〜200日くらいで2〜3万ベクレルが蓄積する。体重60kgの人なら、体重1キロ当たり300〜500ベクレル以上となり、心電図や生殖系の異常の起こる濃度20Bq/kgの10倍以上を容認しているのである。たとえ毎日30Bqの放射性セシウムを摂取したとしても、約3000Bqが体内に蓄積し、体重60kgなら1キロ当たり50Bq/kgであり、心臓病や生殖異常の危険領域の値である。この記述だけでも田崎本は危険な書物になってしまう。ドイツ放射線防護協会は、こどもは4Bq/kg, 大人は8Bq/kgを食品基準とすることを提案しているが、生殖系などの被害を考えるとこれでも高すぎるようである。
田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐ 山田耕作 | 市民と科学者の内部被曝問題研究会

私がよく分からないのは、いずれにしろ、誤解を受けやすい議論をしていたなら、訂正すればいいんじゃないのか。そうでないなら、堂々と、議論をされたらいい。まったく訂正の余地がないくらいに間違っていたなら、発禁処分にしてもいい。いずれにしろ、なんか言ったらどうなんだろうか? 違うかな?