エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』

酒鬼薔薇事件のとき、私たちを恐怖させたのは、この犯人の子供が、実際に、殺人を行う前に、すでに、多くの猫などの動物に対して、同じことをやっていたことであった。
同じことは、オウム真理教についてもそうであった。オウムも、地下鉄サリン事件を起こす以前に、坂本さんの殺害などで、サリンを使っていた。
彼らは、ある「練習」や「反復」を経て、実際の犯行に及ぶことになった。つまり、「行為」が結果する前の「プロセス」として、その完成型の「前段階」の型を完成させ、その「遷移系」として、実現されたわけである。
このことは、そもそも「悪」とはなんなのかを考える、一つのサンプルとして、重要に思われる。
悪は、最初から悪ではない。悪は、あるトランスフォーメーションを経て、悪という「結果」をもたらす。
しかし、上記の例でも分かるように、悪の前段階が悪「でないわけではない」ことである。
酒鬼薔薇事件で言うなら、子供の殺人に対して、猫の「殺害」が、地下鉄サリン事件で言うなら、地下鉄利用者という「たくさんの殺害」に対して、坂本さんという「一人の殺害」という、

  • 比較

がされていることに、注意がいる。
つまり、悪は「エスカレート」するのである。
両方に共通するのは、最初の、「悪」が社会からサンクションを与えられなかったため、犯罪者は、それを「見過ごされた」と受けとる。最初の「悪」に対して、社会が、なんの反応も返してこないことで、次の「悪」に、スライドすることに、非常に意識の「閾(しきい)」が

  • 下がっている

ということなのだ。
ここで大事なポイントは、社会がなぜ、犯罪者にサンクションを与えなかったのかの理由は、ひとえに、社会の側が、その事実を検知できなかったところにある、ところがポイントだ、ということである。
言うまでもなく、ノラ猫を勝手に殺せば、犯罪である。
では。
この問題を「ヘイトスピーチ」に流用することは、妥当であろうか?
言うまでもないことであるが、日本において、「ヘイトスピーチ」を取り締まる法律がない。そのため、在特会のデモは、かなりひどい差別発言が繰り返されながら、取り締まれることはなかった。
ところが、他方において、ヨーロッパでは、さまざまな国で、「ヘイトスピーチ」を取り締まる法律が存在する。
ところが、興味深いことがある。それは、実際のその法の運用が、一体、どのように行わているのか、なのである。

国際的なスターとして活躍した映画界を引退してから、バルドーは動物愛護運動に献身的に尽くし、自分が若かりしころのフランスを賛美するようになった。動物愛護とフランス賛美、この二つの関心から、彼女はフランスのムスリムに照準をしぼることになった。バルドーにとっては、犠牲祭(そこでは事前に失神させて苦痛を小さくせずに羊の喉を切り裂いて血を滴らせる)はムスリムの残酷さの象徴であり、フランスの伝統的な文化と栄光への脅威であった。
彼女の怒りが最初に世に示さたのは、「怒りの叫び」という題の文章である。これは、1996年4月の犠牲祭なたって、国内の主要誌『ル・フィガロ』に発表された。バルドーはまず、自分は二つの大戦でドイツの侵略から父や祖父が守った祖国に「身も心も根差している」と書いた。その上で、バルドーは自らの立場について次のように述べた。

1. 私の国フランス、私の故郷は、今や再び侵略されようとしています。歴代の政府の祝福を受けて、外国人が、とりわけムスリムが激増しています。私たちはそんな政府に忠誠を誓い、そんな政府の法律に従っているのです。2. 年々フランス中にモスクが増え、その一方で司祭の不足により教会は減っています。毎年、動物を犠牲に捧げる儀式が、秘密裏に、悼みの緩和なしに行われ、儀式の場をテロの舞台に変えてしまいます。そこでは動物が、私っちの動物が、最も残忍な異教徒の犠牲となり、苦痛や拷問に苦しんでいるのです。3. 数万の哀れな動物たちが、必ずしも鋭くないナイフで、喉を切り裂かれています。不器用な儀式の執行者が、下手に切り裂かれた頚動脈から恐しいマグマのようにほとばしる血の海に浸りながら何度もこれをやり直し、子どもまで血まみれになっています。4. 近い将来、私は、血と暴力の土地となったこの国を離れるしかなくなるのえしょうか。国を離れ、移民となって、ここで日々拒否された尊厳や誇りを、どこか別の場所で見つけるしかないのでしょうか。

ムスリムの団体や反人種差別団体は、彼女を告訴する法的な手続きを開始した。彼女の記事の論調は、すでに十分非難されているとはいけ、儀式の実践に対する正当な批判を超えているとされた。バルドーは1996年12月の裁判で、自分はレイシストでも極右政党の活動家でもなく、動物の権利を素直に擁護しているだけだと主張した。告訴した反人種差別団体はこれには同意せず、バルドーはムスリムや不法移民に対する人種的憎悪を扇動していると述べた。反人種差別団体は10万フラン(およそ2万ドル)の賠償金を要求したが、検察官は判決の結果をメディアに公表することを求めただけだった。
1997年1月に判決が出され、バルドーは無罪となっった。その理由は、彼女の表現は「暴力的で目立つ」ものだが、「彼女が標的にしたのは事前に失神させることなく羊を殺す実践を行う人々だけで、ムスリム社会全体をその出自を理由に標的にしたわけではない」というものである。裁判官は、フランスへの侵略についての彼女の主張が「逸脱」であり、「誇張された過剰な視点」であると付け加えた。しかし裁判官は、多元的な社会においては、標的とされた人々が否定的な反応を示すという理由のみでは、こうした発言は禁止されるべきではないと主張した。これは、言論の自由を支持する強力な自由主義的傾向に沿ったものである。裁判官によれば、それ以外の判断は「多くのタブーを設定したり、立法者が意図していない「意見にかかわる犯罪」を運用を通して作り出したりするものであり、我々の民主主義の原理に反する」。このように、フランスの裁判官は、アメリカのほとんどの論者もきわめて合理的だと思うようなやり方で、先導的な言論を保護する方向で法律を解釈したのだった。
反人種差別団体は、判決が法律の条文と立法者の意図の両方を読み違えているとして、控訴した。1997年10月、二審の一審の判決を覆し、バルドーがフランスに住むムスリムを脅威として表現したとして、彼女に1万フラン(およそ2000ドル)の罰金を言い渡した。金銭的な意味では、これはとるに足らない額である。しかしこれによってバルドーは、人種的憎悪および差別の扇動により、明白に有罪となった。これは、困難な事例において超有名人に規制法を適用する、ということのわかりやすい象徴となった。先に見たバルドーの主張のうちの一部は、儀式での犠牲についてのものであり、ムスリム一般を標的としたものではない。しかし全体として、一つめと二つめ、および四つめの主張は、フランスにムスリムが多すぎるという意見を述べたものとして解釈される。あるいは、ムスリムがフランスを覆い尽くし、服従を要求し、もともとフランスにいる人々の尊厳や誇りを否定し、フランスを血と暴力の国に変えようとする侵略者だと主張したものとしても、解釈できるだろう。こうした解釈の違いは、意見を表明することと、ある集団に対する差別や憎悪、あるいは暴力を煽ることの間の違いである。
二審でなぜ、バルドーに「疑わしきは罰せず」が適用されなかったのだろうか。はっきりしたことは言えないが、これはバルドー自身がもたらした結果とも言える。二審の判決が下される前に、バルドーは1997年の犠牲祭について4月に公式声明を出し、ムスリムへの攻撃を繰り返した。一審の無罪判決で勢いづいたのか、バルドーは犠牲祭を批判し、こう述べたのだ。「犠牲にした羊の血でフランスの土が染められています。ムスリムの伝統行事のために。そしてこうした行事は、フランスの祝日として、年々少しずつ定着しつつあります」。またバルドーは声明で、アルジェリアイスラーム過激派とフランスの状況を関連させ、次のように言った。「女性や子ども、私たちの修道士や公務員、旅行者、そして羊たちが殺されています。いつか私たちも殺されうでしょうが、それは私たちが招いた結果なのです。今やムスリムのフランス、北アフリカのマリアンヌです。こんな状況で、なぜ何もしないのか」。バルドーの最初の主張が許されるラインぎりぎりだったとしたら、二度目のそれはほとんどの人々が行き過ぎだと感じるものだった。

上記の裁判の過程は、大変に興味深い印象を受ける。最初の裁判において、裁判官は、彼女の発言と、その具体的な差別性との比較において、言論の自由の範囲において、許容されなけれなばらないだろう「範囲」の中と、とらえた。
ところが、である。
二審において、逆転有罪となったわけである。その間に何があったのか。彼女は、一審の「無罪」判決によって、

  • 強気

になってしまったわけである。そのため、より、発言が「エスカレート」してしまった。
発言の「エスカレート」性とは、どういった意味をもつのだろうか。そこにおいて、おそらく、彼女の

  • 意図

が明確化された、ということなのだ。なぜ、こういった「挑発」的な方向に発言が変化するのか。それは、一審の判決を

  • 嘲笑

しているからである。裁判所なんて、ちょろいぜ、って彼女は思ったわけだ。いくらでも、だまくらかせる、って。
裁判所が、二審で、「あえて」有罪にしたのは、こういった「挑発」行為「そのもの」が、

  • 差別「意志」に実証となる

という考え、だと言えるだろう。なんらかの「エスカレート」が、悪意の「実在」を構成しうる、と判断する、というわけである。

とはいえ、すべての潜在的な扇動的表現が罰せられるわけではない。2001年9月、毒舌で知られる作家ミシェル・ウエルベックは、『リール』誌のロングインタビューの中で、「アングロサクソン」(とりわけ「アングロサクソンの女性」)やドイツ人、一神教、そしてとりわけイスラーむについ、ひどい侮辱やステレオタイプ、ぶしつけな発言を連発した。そこには「最もくだらない宗教はイスラームだ」というよく知られた発言も含まれる。これに対して多くのムスリムの団体、および人権連盟(HRL)が激怒した。パリのモスクの責任者は、次のような声明を発表した。「イスラームが憎悪に満ちた言葉で非難され、攻撃された。これは我々のコミュニティにとっての屈辱だ」。ウエルベックは起訴され、彼の見解がイスラーム差別であり宗教的憎悪を煽るものかどうかが争われた。裁判所はこれを認めず、彼はイスラームを軽蔑する発言はしたが、ムスリムを標的にしたわけではなく、人々にスリムを差別するよう仕向けたわけでもないとして、ウエルベックを支持した。要するに裁判所は、集団としてのムスリムに対する憎悪を煽るものでない限り、宗教的教義としてのイスラームを論難すること、あるいは侮辱することすら認められるとしたのである。もしこの訴えが認められていたなら、イギリスの宗教的扇動法に反対する論者が恐れるように、宗教についての自由ん討論は損なわれることになったかもしれない。しかしそこで無罪判決が出たことは、裁判所が反イスラム的言論と反ムスリム的言論を区別し、前者を許容し後者を罰することが可能だということを示している。

この引用の例も、おもしろい。なぜ、この場合には、有罪とならなかったのか。それは、そもそも、言語の「指示」性が、非常にデリケートだということなのではないか。
ある言葉があったときに、それが、どこまで具体的な「対象」を限定し、指示しているのか。上記にあるように、その集団の指示性、明らかな「出自」に対しての「差別」か、といった基準によって、あまりにも自明な場合には、犯罪を構成する。しかし、上記の場合は、まだ、どこか

  • 抽象的

な議論であると(つまり、議論の範囲と)、判断された、ということなのである。
リベラリズムの立場からすると、そもそも、ヘイトスピーチを犯罪として、取り締まることは不可能なのではないか、とさえ思えてくる。それは、リベラリズムとは、結局のところ、各自の言論の自由は、何よりも優先して、守られるべき権利と考えるから、となる。
しかし、実際に上記のフランスの例は、ある種の、プラグマティズムの範囲において、慣習的に、ヘイトスピーチ規制法が実践されてきた、ということの意味を考えさせる。
というのは、実際に、問題のある発言をしたのならば、それを「放置」することは、最初の、酒鬼薔薇事件や、オウム真理教地下鉄サリン事件のように、犯罪者に非常に間違ったメッセージを社会の側が送ってしまうことを意味するのではないか、という危惧があるわけである。
しかし、だとするなら、その「境界線」はどこにあるのか? 私たちは、そのことの具体的な意味について、それを「プラグマティズム」的な発想において、考えることを迫られているのかもしれない...。

ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか

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