コピペ社会

すっかり有名になったSTAP細胞なるものの小保方さんの話は、聞けば聞くほど、うさんくさくなる。ネイチャー誌に掲載されてから、何日もたたない段階で、国会でとりあげられてたなんていう話まである。
しかし、私なんかの感覚からしたら、科学の世界だろうが、どこの世界だろうが、ゴッドハンドが現れることは、日常茶飯事なのではないかと思っている。だから、そこが「驚くべき」かどうかは、あまり、どうでもいいところがある。もしかしたら、科学の世界なんていうのは、そんなものなのかもしれない。科学者となって、死ぬまでの間に行った成果のうちの、99%はゴミクズだったとしても、残りの1%が、輝かしい発見だった、ということは、普通にありうるのかもしれない。
しかし、そのことと、博士号を「コピペ」で取得していた、というのは、次元の違う話なのではないか。
この場合、別に、ゴッドハンド小保方さんが、生まれてから、今までの人生が、手付けの悪い「やんちゃ」な手をもっていた方で、つい、でき心でやっちゃいました、ということに対して、問題視しているというより、「その程度」で、いとも簡単に、博士号を「プレゼント」しちゃう、今の日本の大学ってなんなんだろうな、って思ったのだ。
つまり、なんで、そんなにあせって、博士号の「プレゼント」をするのか。そのバカバカしさに、うんざりした、ということである。おそらく、博士過程といっても、本人は、授業料として相当の金額を大学側に支払っているのであろう。だから、留年させられない。短時間で、ペーパーをジャッジしろ、というプレッシャーの中で、ろくに読むこともなく、OKとしたのだろう。つまり、彼らはゴッドハンド小保方に、足元を見られ、なめられていたのだ。
しかし、ひるがえって、そもそも、この「コピペ」というのを、現代社会において考察したとき、もう少し違った意味が考えられるのではないか、とも思うわけである。
私が、小学校、中学校、高校くらいまでは、田舎だったこともあるが、それほど、パソコンが一般化しているという印象がなかった。つまり、学校で、そんな使うという感じではなかった。もちろん、ケータイなんてなかった。大学に入って、パソコンを使う授業があったり、学科の教室にパソコンが何台か常備されていたり、コンピュータ専用の部屋があったりして、この頃から、自分でウィンドウズのパソコンを買うという選択肢が普通に考えられるようになったくらいだろうか。
ところが今の子供たちは、普通にケータイやスマホを持ち歩き、毎日「コピペ」をしている。
おそらく、大学などを中心に、なんらかの宿題を電子媒体で提出するなんていうことも普通になっているのだろう。
そうすると、そもそも「日常」が「コピペ」なんじゃないだろうか。
なにか、宿題を提出しろ、と言われる。子供たちは何をするか。ネットを検索して、その宿題のお題に、いい頃合いの文章を見つけてきて「コピペ」する。
学校の作文なんてのも、今の子供は、ネットでいろいろ検索して、手頃な文章を切り貼りして、完成させるのだろう。だから、「お前、この年齢で、こんな文章が書けるわけねーだろ」みたいな作文が、テンコモリなんじゃないだろうか。
というか、もっと、本質的な問題を指摘させてもらいたい。
そもそも、学校の成績が良かった生徒って、みんな「コピペ」が上手だった人たちだったんじゃないか。なぜ、予備校が重宝されたのか。おそらく、予備校に行くと「模範回答」がもらえるわけである。予備校組は、その「模範回答」をみんなで回し読みして、暗記して、それを提出する。
もちろん、こういった回答を見せられた先生たちは驚いたかもしれないが、おそらく、例えば、予備校文化において、こういったことは普通であるだけでなく、「正しい」とさえ考えているのであろう。自分のところの、模擬テストにおいて、自分のところの生徒たちは、この「みんな」が回し読みしている「模範回答」のコピペの連続を目の前にして、ある意味において、彼らにゲタをはかせている、とも言えるだろう。
つまり、自分で考えたら「負け」なわけだ。自分で考えて、自分の文章で書こうとするような、子供たちは、なかなか、成績が上がらない。それは、こういった子供たちが、学校の先生の言うことを素直に聞いて、学校の先生の言う通りにやろうとしているから。
おそらく、学校というシステムは、どこか歪(いびつ)なのだ。どう考えても、学校の授業内容は、そんな短時間でこなせる量ではないのに、それらを

  • 自分の頭で考えろ

と強いてくる。これを真面目にやっていたら、時間がない。部活動なんて、もちろん、やれるわけがない。よって、要領のいい子供は、次々とコピペをする。コピペでもしてなけりゃ、デートもできる時間もない。
そして、おそらく、学校の先生たちは、この「喜劇」を知っているのだ。だって、毎日、そういった彼らの、先生たちをバカにした、コピペ回答を見ているのだから。しかし、彼らも何も言わずに、「丸」にする。しらじらしい、大人の作法というわけである。
予備校組の成績優秀者たちは、学校の先生を鼻の先で笑っている。勉強なんて、模範回答を、ペタペタ貼っていく作業のことであって、自分で少しでも考えたら負けだと思っている。
この、手くせ、足くせは、おそらく死ぬまで直らない。大学に入っても、社会人になって、会社の社員になっても、時間がないからと、なにもかも「コピペ」で済ませておけば、どうせバレないし、なんとでもなる、と。
おそらく、これが、現代の、いや、はるか昔からの、「コピペ」社会の実相なんだろうな(棒。