見える化

見える化」という言葉は、ウィキペディアを見ると、主に、IT系の人たちやビジネス関係で使い始めたもの、となっている。
つまり、「見える化」という言葉は、たとえば、IT系の開発段階で、どうやって、さまざまな課題に私たちが「気づける」のか、そういった課題発見のためのシステム作り、日々の「日常」

の漸進的なマイナーチェンジに関係していたわけである。
たとえば、ある人が、まず会社に訪れたとき、まず最初に

  • 目に入る

ところに、例えば、ホワイトボードがあるとして、そこに、今日、もっとも注意してやらなければらないことが、「勝手」に書いてあったとするなら、私たちの作業は、それによって、「注意喚起」され、必要な作業を、やることを忘れていた、というミスを少なくできるのではないか。
しかし、この場合に、問題は、では、私たちが「注意喚起」されなければならないこととは、なんなのだろう? ということなのである。
例えば、なにかを買い物するとする。スーパーで、食品添加物がテンコモリのお惣菜を買うとする。すると、裏面を見ると、確かに何かが書いてある。なんか省略的な「暗号」のように書いてはあるが、どう考えても、そんな狭い所に全てが書けるわけがないことは、だれでも分かるであろう。
だとすれば、どうすればいいか?
一つの案として、そこに、ケータイで画像で認識させるバーコードを書いておいて、それで読み込むと、より詳細な添加物についての、

  • どこのメーカーのものを使ったか
  • どれくらいの量を使ったか
  • いつ製造されたものを使ったか

を書いておくことにしよう。そして、今度は、そのウェブサイトから、それぞれの添加物の製造メーカーのサイトのその添加物商品のリンクをつける。すると、今度は、その添加物が、実際には、どういった成分構成でできているのか、といった、より詳細な情報を表示する、という感じにするわけである。
大事なことは、その「アラート」は、その情報が欲しいときに、あがるようになっている、ということなのである。

  • なにかの情報が知りたいときに、その情報を与えるアーキテクチャーになっているか?
  • 一般に、こういった場合に、自らにアラートがあがってほしいと思っていることがあったときに、それを実現するアーキテクチャーになっているか?

これらは、おそらく、現代のユビキタスITテクノロジーの最も得意とするところであり、そう難しくなく、さまざまな分野において、実現できるはずのものであると思われるのだが、こういった方向での

の歩みは、成長分野として音頭をとっているわりには、年寄り政治家たちはなにも知りもしないし、興味もなく、遅いようだ...。