科学という「中二病」

どうも科学の世界というのは、ある一定の割合において、こういった「嘘」が必然的に混入してしまう世界のようである。
なぜなら、あらゆることが「申告」ベースで話が進むため、ゴッドハンドで「見つけました!」と言う「申告」を無視できないからではないか。
つまり、そういった「ノイズ」を取り除くシステムを、科学コミュニティは、必然的にビルトインできない。
科学の世界は、いつの時代も、一定の「トンデモ」を常に内包している。実際に、歴史をさかのぼれば、数々のゴッドハンド事件が一定の割合で世間を騒がせ続けてきて、それらは時間の経過と共に、歴史の審判を受けてきた(どうもネットを見ていると勘違いをしている人がいるが、そもそも、今回の「事件」は、2ちゃんねるのようなネットで、彼女の論文の「不正」が<発見>された「から」、起きている騒動なわけで、もしも「彼ら」が発見してくれていなかったら、私たちは今も小保方に、「嘘」をつき続けられ、だまされ続けていた、ということなのである。自分が

  • 今も

嘘にだまされ続けていたかもしれない、という事の大きさを、どこまで自覚しているのか、ということなのだ。だとするなら、彼女を安易に「許す」ことは、許した「あなた」自身が、そのことの「責任をとれるのか?」と問われているわけである...)。
これを、最近の言葉で、電波系とか中二病と言ってもいいが、その「認知的不協和」をゴッドハンドにまで「こじらせてしまう」、その、やれやれ系な感じを、どう受けとめればいいんですかね orz。
しかし、逆に言うなら、それで、彼らは一時(ひととき)の「名誉」を獲得し、少なくとも定年くらいまでは飯の食いっぱぐれはしない。実際に、原発関係者がそうであるように、「自分にも家族がいて、飯を食べさせなきゃならないんだ」と言われると、共感ベースでしか考えられない大衆は、反論できず、つい最近の3・11までは、原発安全神話を否定する京大の小出先生を狂人扱いしてきたわけであろう orz。
だとするなら、それは「個人的功利主義=利己主義」においては、

  • 合理的

だということになるのではないか?
さて。歴史上のゴッドハンドは、結果として、次々と研究対象を変え、その中には、一つくらい、興味深い結果を導けたものもあったのかもしれない。そして、その他の「ゴッドハンド」には、どうせ、世間はそんな流行事など忘れてると、適当にお茶を濁す発言だけを、後世に残して、トンズラと。
しかし、もっと言うなら、どんな科学者だって、自らの成果の中に、一つや二つは、こういった「ゴッドハンド」があるんじゃないのか。そして、それを「適当」にお茶に濁して、できるだけ目立たないようにしているだけではないのか。
私たちは、もう少し世界をアナーキーに眺める必要がある...。