水口憲哉『これからどうなる海と大地』

原発は考えれば考えるほど分からなくなる。
なぜ、原発は、その設立当初において、「ビジネスモデル」に乗ると考えられたのであろう?
というのは、あの膨大な放射性廃棄物のゴミを前にして、なぜ、「儲かる」と思えたのかが、さっぱり分からないのだ。
しかし、そういった「雰囲気」をうかがわせるエピソードが以下にある。

一九七八年八月、福島第一原発の放水口の地先で採取したホッキガイという二枚貝から、東大アイソトープ研の小泉好延さんたちの計測により、コバルト60とマンガン54が検出された。その結果、紆余曲折はあったが、結局一九八〇年一月二八日に、その六年後に冬の剣岳で二人の息子さんとともに遭難され芝浦工大の水戸巌さんや、請戸漁協(後に相馬双葉漁協に統合)の、この四月一五日に避難先で心筋梗塞により亡くなられたススム兄イこと桜井奨さんたちと、福島県副知事に放射能を海に捨てないよう厳しく監視することを申し入れた。
翌朝の新聞には東京電力福島第一原発の担当者の「実は少しだけれど捨てていた。海に流さないようにするための設備を現在建設中で、二年後には完成の予定だ」という談話が載った。これを知った漁協が、「その濾し取ったものどうするんだ」と言った。その時、東京電力は、その濾し取った放射性物質をドラム缶にコンクリ詰めし、低レベル放射性廃棄物として太平洋に海洋投棄しようとしていたのである。

大阪万博の時代、夢の「原子力」の時代、
この時代において、なぜ原子力は夢のエネルギーだったのか。おそらく、その時代に、こういった死の灰を全部、海に捨てることを考えていたのではないか。
だから、「安い」だったのではないか。

おそらく、こう考えていたのだ。
おそらく、時代が、そういった「雰囲気」だったのではないか。まだ、水俣病を代表とする、環境病が知られる前、日本中の、どこの工場の煙突からも、鼻をツンと刺激する、化学薬品が周辺地域にばらまかれていた時代。それは、今の中国の都心部の環境汚染状況と比較できるであろう。
なぜ原発は「夢の技術」であったのか?
それは、なぜ原発の廃棄ゴミが、電力会社によって

  • 資産

に計上されていることにある。つまり、

  • 再利用

と呼ばれている物理学変換である。原発から吐き出されるゴミが、再度「エネルギー源」に変わる、というわけである。
しかし、である。
これは、どういうことなのか?
日本でも、青森の六ヶ所村で、「再処理」を行おうとして、実験をしている。
しかし、よく考えてみてほしい。
再処理ということは、今の原発から出る放射性廃棄物を、さらに、「物理反応」をさせて、再度、エネルギーの原料を抽出しよう、ということである。
つまり、ここで何が起きるか。
言うまでもないであろう。

  • より「危険」な放射性物質が、この変換過程の「余剰生成物」として<大量>に生まれる

ということである。
たんに原発から出る放射性廃棄物を、「はるかに凌ぐ」放射性濃度を含んだものが、まったく比べものにならない「レベル」で、高濃度で、生成される、ということである。
これらの「余剰生成物」を、どうするのであろう?
もう一度、思い出してほしい。普通の、原発は、法律で決められた「量」の放射能汚染された「水」を、海に捨てている。それは、

  • 法律で許されている

わけである。じゃあ、青森の六ヶ所村の「再処理」工場は、どうなるか。
普通の原発でさえ、海に捨てることを許されているわけである。この「再処理」工場が許されなわけがないであろう。許されないで、運転できるわけがない。

  • 一度動かした膨大な量の放射性廃棄物が水と一緒に海に捨てられる

なぜなら、一緒に捨てなければ、「再処理」工場なるものを、動かせるわけがない、からだ。
(よく考えてほしい。「こんなもの」が、本当に「資産」になるのだろうか? ゴミを、さらに「危険」なゴミに、大量に増やして、海に捨てる、というわけだ。私は、つくづく、京大の小出裕章さん以外の、なんの危険のアラートを上げてこなかった、再処理工場に今でも、表向き反対していない、日本の物理学者たちが「悪魔」に思えてしょうがない orz。そもそも彼らは、一般の素人とは違って、3・11以前から、この「危険」性を

  • 確信犯

として知っていながら反対してこなかったのだろうから、きっと「本当の悪魔」なのであろう orz。)
しかし、である。
そんなもので、済むだろうか?
もし、この「再処理」工場で、<事故>が起きたら、どうなるか? 普通の原発など比べものにならない濃度の、毒物を生み出す、この工場が、今の福島第一のような、

状態になったら、どうなるだろうか。

イギリスのウィンズケールは、再処理工場そのものはほとんど動いていなくて、いまから一〇年ほど前につくったソープという名前の再処理工場に変わりました。そのソープが去年大事故を起こしまして、リンピックプールと同じくらいの大きさのところに、大変な放射性廃液が流れ出して、手をつけかねています。たぶん工場は中止になるだろう、会社も潰れるだろうと言われています。稼働していないです。

上の図は一九九四年のプルトニウム239と240の分布についての調査です(カーショウ他、一九九九)。下のほうにセラフィールドの再処理工場があります。ずっと北のほうへ行って、ノルウェーの沖を通って、なんと北極近くまで行っています。おして、ノルウェー沖の値よりも、北極近くのほうが高いんですね。八・八とか八・七という値が見えます。ノルウエー沖は三・〇。二段飛び、三段飛びに行って、北極近くに吹き溜まりになっているんです。再処理工場が動き出してから、もう四〇年近く経っていますが、プルトニウム240の半減期は六五六四年という長いものですから、絶対に消えないんです。消えないか、どこかにちらばって溜まていくわけです。その結果がこういうことにっているんです。

今、北欧から北極までの海は、「死の海」と化している。
そして、なかなか、放射性濃度が下がらない。
これが、日本の、青森周辺の海の末路である。

半減期が一五七〇万年のこの人工放射能ヨウ素129]は、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)によって、再処理工場から放出される放射性物質の中で、地球的影響調査が必要な、最も重要な核種の一つとして認められている。にもかかわらず、六個所再処理工場においては、国、青森県、事業者のいずれも運転開始当初そのモニタリング調査を行っていない。しかし、アイルランドでは褐藻類のヒバマタの一種を島の周り一八個所で採集し濃度を測定したところ、東海岸では西海岸の二ケタ大きな値が得られた。東海岸セラフィールド再処理工場の二〇〇キロ対岸に位置している。
ヨウ素129は131と同じように海藻によく蓄積されるので、戦前ら世界中の海藻をよく調べることにより汚染状況を知ることができる。その結果、海域別に次の三つの時代区分がなされていることを知り戦慄を覚えた。
Keogh et als.(二〇〇七)によれば、それは、

  1. 核兵器使用以前のプレ・ニュークリア。ヨーロッパの極海や北米・日本でヨウ素129の存在比が同じような値でケタが最も低い。
  2. 核兵器使用以後のポスト・ニュークリア。世界中どこの海も同じように一ケタ高くなる。
  3. 英・仏の再処理工場運転開始以後。イギリス、フランス、デンマークノルウェー、ヨーロッパ極海と五〜一ケタ高くなる。

放射性物質は、海に捨てれば、捨てるほど、その海の、放射性物質の「濃度」は高くなる。
まあ、当然である。
だって、たとえ海に捨てたとしても、上記にあるように、半減期の長いものは、何万年も経たなければ、なくならないのだから。
海に捨てれば、たんに、海のどこかに「ずっと」ある、ということを意味するしかない。絶対に「どこか」にあるのだ。
一つの考えとして、「均一」に希釈されれば、それは「薄い」んだから、気にするレベルじゃない、と思う人もいるかもしれない。
しかし、この主張には二つの欠点がある。
どうして「均一」に希釈すると考えられるのか、ということである。ある一定の地域は、ずっと滞留するかもしれない。また、モル状に、一定の「塊」として、海のどこかにあり続けるかもしれない。また、たとえ海底に沈んだとしても、海流の関係で、また、上昇してくるかもしれない。もちろん、生物濃縮も考えられる。
また、上記にあるように、それなりに希釈したとしても、再処理工場をずっと動かせば、「ずっと海に高濃度の廃液を捨て続ける」ことになるのである。

  • ずっと

である。すると、どうなるか。当然、何年か経てば、今以上に、海の

  • 平均汚染濃度

は高くなるであろう。どんどん、高くなるであろう。果して、いつまで、この濃度の上昇を続けるのであろうか。
体育会系の野球部の「しごき」のように、バッチコーイ、マダマダーの、マッチョ系の精神で、一体、いつまで、放射能をばらまき続けるのであろうか...。

これからどうなる海と大地―海の放射能に立ち向かう

これからどうなる海と大地―海の放射能に立ち向かう