松本大洋『ピンポン』

ずいぶん昔に読んだ、この漫画が、今さらのように、アニメ化され地上波で放送されているのを見ていて、これを、どのように受けとればいいのか、みたいなことを考えていた。
この漫画のストーリーが、典型的なビルドゥングス・ロマンであることに、だれも否定はしないであろう。
この作品は、二人の「主人公」がいる。そう言った場合、おそらく、多くの人が思い浮べるのは、月本(スマイル)と星野(ペコ)であるだろう。
しかし、それは違う。
星野(ペコ)は、主人公ではない。主人公は、月本(スマイル)と佐久間(アクマ)だ。この二人に共通する特徴は、彼らは、星野(ペコ)を含めて三人が小学校の頃に、同じ地元の卓球クラブの道場に通っていた、ということにある。
佐久間は、作品の早々において、星野に勝ちながらも、月本への道場破りで、徹底的に敗北し、自らの才能に見切りをつけ、学校を辞め、この卓球の世界から卒業する。
月本に負け、学校を辞め、次の人生を歩もうとしている佐久間は、今、スランプを向かえ、卓球を辞めようとしている月本に、卓球を止めないでくれ、と頼む。

お前の卓球センスはずば抜けてんよ。
そいつは俺が保証する。
現実から逃げてばっかだと
前進まねえぞペコッ......
必死で打てって話だよっ!!

なんで、いつも逃げることしか考えねんだよっ!!
どうしてそれだけの才能を殺す?
お前 目指してプレーした、俺の身にもなれよっ。
戦型もラケットもフォームも全部お前を真似たよっ。
俺だけじゃなく......
当時同じクラスで打った奴 皆...
お前に憧れてたよっ!
俺らとってお前はっ......

これは、月本にしても同じである。月本は作品の最初から、ほとんど笑わない、感情を現さないキャラクターとして登場する。しかし、それはなぜ、なのか。
月本の特徴は、その徹底した「受動」性である。彼は、ほとんど自ら行動しようとしない。卓球も、勝利に対する貪欲さがない。彼は、一体、何を目的に生きているのかが分からないキャラクターとして描かれる。
ところが、作品を細かく見ていくと、そんなに単純でないことが分かってくる。
作品の合間に挿入される、彼の内面描写であり、子どもの頃のエピソードを見ると、キーワードが

  • ヒーロー

であることが分かる。つまり、彼は「救われた」のだ。小学校の子どもの頃に。一体、だれにか?

  • 星野

に。彼はそもそも、自分が「なぜ」卓球をやっているのかを、とてもよく分かっている。彼は、「星野の助けられた」から、卓球をやっている。
まったく、無愛想で可愛げのない彼が唯一、星野とは行動を共にし、星野の趣味の卓球に、彼の相手として、付き合う。
なぜ、彼が常に不機嫌なのか。
それは、星野が「本気」ではないからだ。
それは、月本も、佐久間も同じ、だと言えるであろう。
彼らは、「過去」を生きているのだ。彼らは、過去の子どもの頃、自分たちのヒーローだった「星野」が、自分たちより先に、みんなの群を抜いて、卓球がうまく、みんなの憧れで、みんなに卓球を教えてくれた、彼の「その時」の姿を、今も、今の彼に重ねている。
彼らが「不機嫌」なのは、星野が「強くない」からではない。彼らが不機嫌なのか、彼らの、そういった「ヒーロー」が、強くても弱くても、当時のように、本気で、心底、快感のままに、自分のやりたいことに打ち込んでいないからなのだ。つまり、彼が、自分たちの

  • ヒーロー

でないからなのだ。

星野:来い、月本。
月本:えっ......
星野:こっち来て一緒にやるべぇよっ!
月本:僕はいいよ...... 見てるだけで面白いから......
星野:見て分かるもんじゃねえのよコレは...... 算数テストとはちと違う。
月本:でも......
星野:オイラが教えてやんよ。
月本:......うん。

そういった視点でこの作品を見直してみると、月本が「上機嫌」なときとは、星野が前向きになっているときであることが分かる。子どもの頃。一人も友達がいなく、いつも、クラスで一人ぼっちだった彼に声をかけてくれたのは、星野だった。月本は、ずっと、星野に

  • 感謝

しているのだ。月本に卓球を教えてくれたことも、そういった延長にあることであり、つまりは、彼は、ずっと彼への「感謝」の中を生きている。月本にとって星野は、どんなときも「ヒーロー」なのだ...。

ピンポン (1) (Big spirits comics special)

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