放映権料サッカー

今回の日本代表の結果について、マスコミを含めて、SNSにおける反応は「批判禁止」に近いものなのではないだろうか。
なぜ、こういった反応になったのか。その一番の理由は、巨額に膨れ上がった「放映権料」であろう。つまり、選手は

  • ヒーロー

でなければならなくなってしまった。その選手がCMに出て、「かっこいい」ということになって、企業の

  • イメージアップ

に結果しなければ、この巨大な「放映権料」がペイしなくなってしまった。よって、その結果、代表批判は「タブー」になってしまった。
おそらく、あらゆる「価値判断」は、ここに集約されたのではないだろうか。
前回の南アフリカ大会は、非常に変わった経緯をたどることになった。
つまり、オシム監督の突然の病気によって、急遽、岡田監督に変わったこともあり、奇妙な形ではあったが、岡田監督に妙な

  • 発言権

が与えられた、ということである。
あの大会において、岡田監督が最終的に選んだ戦略は、徹底した

  • 弱者

のスタイルであった。つまり

  • へたくそ

が勝つための、確率論的な戦略であった。岡田監督は、「理性的」に考えて、今ある手駒から、どのようにしたら「勝てる」のかを、純粋に導き出して、しかもそれを結果にした。
ところが、である。
岡田監督は、予選を突破しながら、

  • 批判

されたのだ。なぜなら、その戦い方は、守りを重視した、一見「消極的」に見えるものだったからだ。
特に、批判の大きかったのは、中村俊輔を使わなかったことであろう。もちろん、中村選手が明らかに、調子を落としていて、全盛期のプレーができていなかったことは言うまでもない。しかし、世論は、そういった「説明」に満足しなかった。単純に、「かわいそう」という雰囲気になった。いわば、岡田監督は日本サッカー協会の「ブランド」戦略に、真っ向から、そむいたわけである。
サッカー人気は、「ヒーロー」人気である。ヒーローたちは、次々と、CM出演をしており、ビックマネーを稼いでいる。ヒーローが「みじめ」な醜態をさらす結果は、サッカー人気の凋落を結果し、ひいては、協賛企業のブランドに傷をつける。つまり、日本サッカー協会は、大会での成績よりも、ヒーロー「ブランド」の維持を重視した。
かっこよい選手が、かっこよいプレーをすると、試合に負けても、ブランドを維持できる。興味深いことに、それは試合の結果とは関係ない。なぜなら、負けの原因は、

  • 適当に、だれかに、なすりつければいい

からである。その人身御供が、今回であれば、ザッケローニ監督であった。というか、彼はそのことをよく自覚していた。自分が最後は、「悪役」を引き受けることを求められていることを、よくわかっていた。そのために、大金をもらっていることを、よく分かった上で、代表の監督を引き受けていた、ということである。

ザッケローニ監督のチームづくりが岐路に立ったのは昨年10月の東欧遠征だった。
縦に速いシンプルな攻撃に磨きをかけようとしていた指揮官に、主将の長谷部、本田、遠藤が直談判に訪れた。短いパスで手数をかけた崩しにこだわりたい―。本田の熱弁を聞いた監督は長谷部だけを残して「チームの総意なのか」とただした。主将の答えは「そうではない」。
状況は複雑だった。
ザック「縦に速いシンプルなサッカーをしろ」→本田・遠藤「だが断る」 結果ノロノロモタモタ・・・ 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲板

上記の信濃毎日新聞という「地方紙」の記事は、興味深い(つまり、なぜ、こういった記事が地方紙にしか載らないのか、という意味で)。まず、監督は「より勝利しやすい」と考えた「合理的」な戦略を構想していたが、選手が

  • 従いたくない

と拒否した、というわけである。そして、もっと興味深いのが、上記にある「チームの総意」かどうかを選手に、監督が聞いているところであろう。つまり、明らかに、監督はブランド選手たちの「意向」を、もはや無視しては、自らの戦略すらたてられない、ということを自覚した、

  • マネージャー

的な存在でしかありえなくなってきている、という証明なのではないか。だからこそ、今回、ザッケローニ監督は、あんなに「さばさば」しているわけであろう。

リスクをどうとるかだと思うんですけど、たとえば、長い時間ボールを保持する勇気も僕は必要なんじゃないかなと思っています。待っているところにぶつかりにいくだけが、特にこの天候、湿度でのブラジルワールドカップ。効果的だとは思わないので。止まる勇気も必要だと思うし、バックパスする勇気も必要だと思います。
本田圭佑 4分25秒 ロングインタビュー 2014/6/16 ギリシャ戦に向け - YouTube

これは、コートジボワール戦の後のギリシャ戦の前に、本田選手が記者たちに向けて行なったロングインタビューであるが、非常に興味深いのは、この内容を見ても、本田選手は、よく言えば、

  • ポゼッション・サッカー

批判的に言えば、

を、「あえて」選択すべき、と言っていることであろう。つまり、彼は、それでも勝てるんじゃないのか、という「自信」のようなものが、あったのではないだろうか。
いや。「ノロノロモタモタ」は、最も、彼の特徴が生きる、彼を中心にチームが回って、攻撃を行うことになる、「目立てる」サッカーだ、ということなのだろう。つまり、もしこのスタイルを選択していないならば、このチームの中心は彼ではなかったのかもしれない、という意味で。「ノロノロモタモタ」

  • だから

本田選手が中心選手であり、実際に、試合においても、本田選手を起点にして、得点があげられている。
しかし。
試合とは、そもそも、「確率論」的なものである。もしも、試合に勝つか負けるか、というポイントのみに重点を置くならば、より「確率論」的に、勝利に近い「戦略」を選ぶことは、合理的だということになるであろう。
つまり、そういった視点で考えると、これは、何を意味していたのか、ということになるのであろう。

日本は敵陣での攻守が良い。逆に、自陣に引いて守る力は弱い。だから、敵陣に押し込んで攻撃的にプレーするしかない。ということは、次のポイントを克服しなければならない。
(1)相手に引かれても得点できること
(2)悪い形でボールを失わないこと
(3)奪われたら素早くプレスする
(4)カウンターに数的同数でも対応する
このうちできていたのは(3)だけだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00205863-soccerk-socc

一言で言えば、日本のノーガード戦法は、もしも、日本の実力が相手を上回っているなら、合理的であるのだが、そうでない場合は、相手が次々とミスをしてくれる、という

  • 運命

に全てを委ねる選択だということになるであろう。日本は、自分たちより実力が上のチームに対して、

  • カウンターに数的同数でも対応する

という守備が、できるようなチームではない。だとするなら、全員で守って、一人を二人でカバーし合って、相手のいい所を消していくような戦略しか、勝つ選択肢はなかったのかもしれない。
しかし、それでは、今の中心的な選手たちである、攻撃的な選手の「いい所」が

  • 目立てない

というジレンマに悩まされた。そういう意味においては、そもそも、今回の大会に日本は勝利を至上目的として挑んだわけではなかった、なにか他に守りたかった「価値」があった、と総括せざるをえないのだろう...。