小林敏明『廣松渉 ---- 近代の超克』

つい最近、最高裁において、永住外国人に「生活保護」の権利(の憲法的裏付け)がない、という判決が下され話題になっていたが、私がその記事を見て思ったのは、東浩紀さんが以前、さかんに言っていて、このブログでも何回か言及した、ゲンロン憲法なるものについてだった。
この憲法案において、私が気になったのは、国民と「住民(つまり、日本在住の外国人)」を分ける、ということの「意味」についてであった。つまり、疑問は逆で、なぜ近代の国家は、どこでも、こういったことをやってこなかったのか、ということの方である。
つまり、思ったのは、この「国民と住民を分ける」という表現のあ

  • 危険

さ、についてなのである。
つまり、ここで大事なポイントは、「住民」とは、「国民でない」存在でありながら、憲法において、「国民に準じる」一定の「権利」がある存在とさている、ということである。
つまり、どういうことか?
これを、素朴に読めば

  • 差別

をする、ということであろう。同じ条文の中で一方には、100%の権利が与えられているが、他方は、50%だけです、と言っているわけであるのだから。
人によっては、国民と外国人は違うんだから、違うのは当たり前だと言うかもしれない。しかし、そういうことではないのである。この立憲主義における、憲法とは、国民が自分たちで自分たちのことを決めた内容であるわけであろう。じゃあ、ここにおいて、外国人は、その決定に参加しているのだろうか? もしも、参加しているのだとしたら、どうして

  • 50%の権利

に制限されるのか。こういうのを「差別」と言うんじゃないのか。
つまり、最初の話に戻るなら、永住外国人に、今の日本国民並みの生活保護を与えないことは、そもそも、近代国家として、ありえない、ということであろう。なぜなら、そうでなければ、あまりにも非人道的であり、世界のNGOなどの人権への視線の厳しさから考えて、国際世論の配慮をやらざるをえなくなる、と考えるからだ。
しかし、そのことと、

  • 2級市民

という被差別民として「憲法」で扱うことは、まったく、別のことではないのか、と思うわけである。
こんなことを考えたとき、なぜ、このゲンロン憲法なるものが、アカデミズムからジャーナリズムから、徹底的に無視されているのかの理由が分かったようにも思われる。
というか、そもそも、私は、この東浩紀さんという人の「意図」を疑っている。彼は、こういった

  • 差別

をやりたかったのではないのか、やりたかったから、大学の教授を今は辞めて、一種の「自費出版」的なコミケ的な、海賊版的な出版活動をしているんじゃないのか、とも思うわけである。つまり、こういった小規模の活動であれば、かなり、自由に差別表現を行うこともできるだろう、と。
上記の「2級市民」のアイデアは、当然、東京都民に対しての、

  • 地方出身者

を、2級市民として扱う発想へと簡単に拡大していくでしょう。つまり、彼は、そもそも、こういった「差別」を頭の悪い国民に受け入れさせることに、なんらかの嗜虐的な欲望のようなものをもっているんじゃないのか、といったところまで、私は疑ってしまうわけです。
つまり、これが本音であれ、そうでないとしてであれ、こういった外国人や地方出身者への「差別」的な態度が、なんの疑いもなく、実に「自然」に、まるで、空気を吸うように、水を飲むように、口から次々と出てくるというところに、なにか、都会出身者と、地方出身者の根本的な「差異」のようなものを感じるわけである。

「私らは侮辱のなかに生きている」
二〇一二年七月一六日、東京の代々木公園で行なわれた「さようなら原発10万人集会」において、大江健三郎中野重治の言葉を引いてそう言った。この言葉は、三・一一以来われわれが置かれている状況を見事なまでに的確に言い当てている。

この大江健三郎の発言は、日本の脱原発を求めている地方生活者が、東京人の原発再稼働の何が悪いと、ひらきなおる、政府や行政官僚に感じているものを、非常に的確に指摘している。しかし、このことは、なにも原発に限らないわけである。戦後からずっと続く、彼ら都会人の地方人や外国人に対する、根深い、ほとんど本能と変わらないまでの、

  • 差別感情

が、自然と彼らに、そういった「ホンネ」の差別的な態度をとらせてしまい、ずっと、地方生活者や外国人は、こういった都会人たちの「侮辱」に、はるか昔から、ずっと

  • 耐えて来た

わけである。つまり、この話は、つい最近始まった話では全然ない、ということなのである。
彼らの地方人を馬鹿にする態度は、ほとんど、無自覚のまま、無意識のまま、「欲望」のまま、放出される。原発再稼働すればいいじゃない、と言う彼らの態度には、

  • そこに人が住んでいる

という「想像力」は感じられない。つまり、本気でそれが「相手に悪いことをしている」とは思っていない。つまり、その差別は「無自覚」なのだ。
しかし、地方出身者も、在日外国人も、こういった態度の都会人に対して、大江健三郎のように、相手を「侮辱」といった強い言葉で非難することは、多くの場合、行われていないのではないか。なぜか、非常に

な態度で、戸惑っているように思われる。なぜなら、彼らは、そういった「態度」を知っているから、である。つまり、それは彼らが「地元」にいたときの自分であり、地元で見ていた人々の、普通の

  • 村の作法

だったからだ。つまり、彼ら自身も、地元にいた頃は、その程度の人権感覚だった、ということなのである。しかし、なぜ、そういった「田舎者」が都会に出てくると、こういった「アンビバレント」に囚われるのか。言うまでもない。自分たちが「余所者」として、つまり、被差別者となることが実際にどういうことなのかを、

  • 当事者

としてリアルに肌で感じるからだ。
これが「差異」である。
私たちは、なんらかの「差異」を生きている。私がいわゆる「フラット革命」なる侮辱的戯言と、前から戦ってきたのは、こういった差異の意識(=田舎者的アカ抜けなさ、愚直さ、愚鈍さ)が、なにか克服されるべき目標であるかのように嘲笑う都会人の、

  • 村的感性

に抵抗するため、と言えるだろう。

一般に日本語という既成の言語システム(ラング)の住人たるわれわれは「matsu」という音声が「松」という意味内容を表すことを自明だと思っている。ある意味では、たしかにその自明性をもとにわれわれの言語的コミュニケーションが成り立っている。だが、廣松の眼から見れば、そうした自明性とはあくまでれわれの「共同主観性」から生み出される一種の「倒錯視」ないし「物神崇拝」にすぎない。言い換えれば、それはちょうど商品の「価値」が抽象的人間労働の凝結であるように見えるのと同様に、本来さまざまな言語行為の交錯し合う共同主観的な関係から生み出された意味が、あたかも「客観的に」それ自体で存立するかのように見えてくるという「倒錯視」である。では、その本来の基礎を成す共同主観性とはどのようなものなのか。ここで再び先に述べた主体面の二肢、すなわち「自己分裂的自己統一」問題にんってくる。

「表出されている意味」の了解とは、しかし、表現者の意識か聴取者の意識に、謂わば物を移すような具合に、何ものが乗り移ることではない。また、言語音声を機縁にして生ずる”共感”でもない。(......)「叙示されている事態」に関する措定意識、この入れ子型の全体が、発話者の意識事態として、聴取者の意識において、発話者に「帰属」せしめられること、この「融即」participation が「表出的意味の伝達」の内実をなす。(同 八六頁)

重要なのは、「発話者の意識事態として、聴取者の意識において、発話者に「帰属」せしめられること」の部分である。つまり、聴取者が発話者の叙示することを理解するのは、前者がこの側のパースペクティヴに立って、その内容をそちらに属するものとみなすことにおいて、はじめて自分の側の理解が成立するということである。言い換えれば、ここでは前者は自分の「主観」の中に相手の「主観」を取り入れなければならないということである。廣松の「共同主観性」は、さしあたりこういう動態的なパースペクティブヴの「交換」ないし「変換」として成立する。この動態相が固定したとき、あの意味の「自明性」が生じてくるのであり、けっして自明性の方が前提となって意味のやり取りとしての言語的コミュニケーションが成り立っているのではないおいうことである。

廣松渉の「物象化」であり、四肢構造とは、たんに、マルクスが分析した資本主義社会における商品の構造だけではありえない。その構造は、私たち自身にまで及ぶ。ここで、

  • 自分の「主観」の中に相手の「主観」を取り入れなければならない

ということが、なにを意味しているのか、をさらに分析する。

前節の認識論場面で使われた「ワンワン」の例をもう一度見てみよう。引用を繰り返す。

例えば、牛が或る子供にとって「ワンワン」としてあるという場合、牛がワンワンとしてあるのはその子供に対してであって、私にとってではない。とはいえ、もし私自身も何らかの意味での牛をワンワンとして把えるのでなければ、私は子供が牛を”誤って”犬だと把えているということを知ることすら出来ないであろう。(......)ここには自己分裂的な自己統一とでもいうべき二重化が見出される。私本人にとっては、牛はあくまで牛であってワンワンではない。しかし、子供の発言を理解できる限りでの私、いうなれば子供になり代っている限りでの私にとっては、やはり、牛がワンワンとして現前している。簡略を期するため、ここで、私としての私、子供としての私、という表現を用いることにすれば、謂うとろの二つの私は、或る意味では別々の私でありながら、しかも同時に、同じ私である。

廣松のあげるこの例で重要なポイントのひとつを成しているのは、私が「子供としての私」でもあるという点である。これは一見たんなるパースペクティブの交換を表しているけのように見える。だが、もう少し突っ込んで言えば、私はこのときその子供「として」、いわばその子供を「演じて」いるのである。廣松ならこれを「扮技」と呼ぶだろう。つまり、一見パースペクティブの交換と見えるだけの事態の中にもすでにそのつど相手や状況に応じた「として」を演ずるようなわれわれの社会的行動の原形が見出されるのである。

廣松の考えるこの「人間関係」における「物象化」は、いわゆる「共感」という言葉で表現されるものと違っていることに注意がいる。共感は、どこか「言葉」に、1対1で反応している「何か」という印象がある。つまり、共感とは、なにが具体的な「対応物」が想定できているかに関係なく、なんらかの反射を自らがやっている、という事実を示唆するにすぎない。
よく考えてみよう。「共感」している人は、

  • それ

を知っているのだろうか? もしも知らないとするなら、ここで「共感」と言っているのは、なんなのか? 都会人が田舎者を「馬鹿」と言い、彼らは、何も考えていない頭の悪い奴等だと言い、つまりは、東大出身じゃないから、頭が悪いと言うとき、もしもその田舎者が「考えている」こと

  • 自体

を知らない都会人の言っている「共感」ってなんだろう?
言ってみれば、「共感」なんていう言葉を、ナイーブに使ってしまう連中というのは、どこか、本気で、物事をつきつめて考えたことのない人たち、だということになるのではないか。
廣松は、そういう意味で、非常に言葉を厳密に使おうとする。
上記で言う、廣松の人間関係における「物象化」とは、

  • 私自身も何らかの意味での牛をワンワンとして把える

ということなのである。つまり、私がその子供の「シミュレーション」をしている、と言うことと変わらないであろう。つまり、私が

  • その子供になって、その子供が「牛をワンワンと言っている」行為を行う

という「シュミレーション」を頭の中で行っている、という、かなり生々しい行為だ、と言っているわけなのだ。
そして、これ「自体」を、私「そのもの」と区別できない。だから、「物象化」なのである。
大事なポイントは、「共感」は、この「物象化」にまで至っていない。言語の記号的「表層」の範囲で、なにか「反応=反射」しているにすぎない。つまり、ここでは、その具体的対応物が、「無」、つまり、「共感したふり」でもいいわけである。なぜなら、それを「隠し」たって、だれにも分からないのだから。
他方、物象化は、そういった「自分が頭がいいように他人に見せる」といったような、

  • はったり

と、まったく関係ない行為であることが分かる。なぜなら、それは、すでに「シュミレーション」の域にまで行かざるをえない、といったような、

  • 自らがそこまで追い詰められる

行為だからである。つまり、このシュミレーションはそうせざるをえない本人の、なんらかのリアルが関係している、ということなのだ。
掲題の著者は、さらに、廣松がこだわった「近代の超克」論へと議論を移す。しかし、非常に興味深いことに、この「近代」化論においても、基本的に上記の構造が反復されるのである。

廣松と京都学派や日本浪漫派の間にある大きな相違とは別に、その共通性の方をいま一度確認しておけば、それは近代をひとつの限界のある時代システムないしパラダイムととらえ、らにそれからの脱出ないし超克を図るという構図であった。私の関心を依然として引きつけてやまないしの、この基本姿勢を生み出す背景的原因である。そのひとつの手がかりが、さきのプレスナーの引用にあるように思う。この引用はプレスイナーが「あまりに遅くやってきた国民、先行する手本の国々とははじめから対立することを余儀なくされた国民」(前掲書 三七頁)としてのドイツの抱えた思想史的状況を分析解明する文脈の中で述べられたものでる。むろんこの場合の「遅れ」とは近代化の遅れのことである。つまり、プレスナーによれば、ドイツのような近代化の遅れたところでこそ先のような「反近代」の風潮が生まれてくるということなのだが、そうだとすると、この「近代化の遅れ」という時代条件は「近代の超克」という発想法を生み出した土壌にもなりうるのではないかというのが、私の考えていることである。

ドイツ哲学であり、ドイツ・ロマンティシュであり、ドイツが、例えばイギリスやアメリカといった近代化をいち早く達成した近代国家に対して、

  • 遅れて

近代化を目指した国であることが、そのドイツと、日本や日本と同じように遅れて近代化を目指している東アジアの国々の間での「相似」性を示していることは間違いないであろう。
つまり、日本や、ほかの東アジアの国々は、どこか、「ドイツ」に似ているのである。
そして、こういった「ドイツ」や日本のような国々でばかり、

  • 近代化

であり、それさえなまぬるいと言う

といった言葉が、まるで偏執病のように、繰り返し、使われる状況が起きるその意味とはなんなの、というわけである。

近代が始まろうとしているのに、すでに近代の終焉や超克が語られるというのは一見パラドックスに見える。しかし、これはけっしてありえないことではない。「遅れてきた」ということは、すでに近代を体現した先行する国や地域を「外部」にモデルとしてもっているということである。だからここでは近代は初めから「他者」としてたち現われる。論議においては時代の流れに見えるものが、じつは地理的空間的な内容を孕んでいるのである。
これはマルクス主義とて無関係であない事態だった。マルクスエンゲルスの資本主義批判がドイツではなくイギリスの労働者階級の状況をもとにして書かれたことを考えるだけでもよい。資本主義社会の全面的批判とその乗り越えという発想は、イギリスというすでに近代を体現している他者を目の前にして生じたことである。それは他者んるがゆえに特定の輪郭や生活をもった対象、場合によては抽象的な理念としてさえとらえることができる。逆に言えば、もし自らがその世界の中にどっぷりと浸かりこんできたら、そうした対象化はもちろんのこと、それを全体として超克するというような発想は生まれえなかったかもしれない。

そもそも、イギリスやアメリカにとって、彼らは、言うまでも「近代」そのものを生きているわけで、つまり、彼ら自体が「近代」なのだから、

  • これが何か?

を問う必要がない。なぜなら、自分が「そう」なのだから。だれも自分が何者なのか、などというものを定義したいと思わないであろう。つまり、そんな問い自体が無意味なのだ。自分は今、「このまま」で自分なのだから、こんな自分を「疑う」なんて、その意味自体が理由の分からない行為であろう。
他方、ドイツや日本のような国では、すでに最初から、外部に「モデル」が存在してしまった。つまり、この

  • 差異

に、どうしても直面しないわけにいかない。まさに、フロイト心理学の言葉を使うなら、イギリスやアメリカといった

との関係において、自国を考えないわけにいかなくなっていた。つまり、これが好きであろうが嫌いであろうが、どっちであろうが、この対関係において考えることを、最初から強いられる関係の中にいた、ということなのである。

私は廣松の文体の起源に「田舎」ないし「辺境(ペリフェリ)」ということが与っていると述べておいた。この辺境性は一国の内部で生ずる都市と田舎という近代化の落差に基づいているわけだが、廣松の場合、この日本という一国内部での「遅れ」と、今度は日本というネーション事態がかかえた「遅れ」の二重の遅れを体験していたことになる。ここでも時間のずれがそのまま空間的差異となって現れているのである。同じことが総じて「地方出身者」であった京都学派四天王にも当てはまるだろう。くりかえし断っておけば、私は何も彼らをたんなる「田舎者」に仕立て上げて喜んでいるわけではない。この凡庸な事実の中に思想史を考える上で何か大事な事柄が潜んでいるのではないかという問題提起をしようとしているまでである。

日本において、非常に生産的に膨大な言説を残した哲学者を見ていくと、上記のように「地方出身者」が多い。そして、彼らは、一見すると、他人には理解できないような、

  • 不思議な文体(=スタイル)

で、そういった文章を書いている場合が多い。つまり、

  • 何が彼らをそうするように強いているのか

なのである。
ここで、前半の認識論に戻ろう。子供が牛を「ワンワン」と誤解していると私が理解するとき、この状況を物象化論において、どう把えるか。

  • 子供:牛 --> ワンワン
  • 私:牛 --> ワンワン

つまり、私は子供が牛を「ワンワン」と思っているのを、「実際に自分がその子供になり、牛をワンワンと思っていることを、シュミレーションとして、

  • やってみる

ことによって、始めて、

  • この子供は牛をワンワンと「誤解」している

と物象化する、ということである。
同じことが上記の近代化論においても見られる。廣松は確かに、東京大学において、近代の超克について考えた。しかし、彼は東京人ではない。彼の少年時代は、一貫して、地方の田舎において、身に付けた「作法」によって構成されている。つまり、彼は地方の田舎と、この東京という都会の「差異」について、嫌々ながら考えさせられ続けた、ということである。
たしかに、田舎は都会に比べ、「遅れている」。しかし、だからといって、都会は田舎に比べて、優れているのだろうか? 田舎は東京と同じになれば、嬉しいのだろうか?
(これと同じような違和感をもったのが、東さんの福島第一観光地化計画という本の

  • 気持ち悪さ

であろう。まるで、福島県を、東京と「同じ」、近代科学テクノロジーの産物を並べ、まるで、東京の「パロディ」を作ることで、福島県が「幸せ」になるかのような、想像力の「貧困」を見たわけである。なにか「幸せ」であることが、イコール、東京と同じにすればいいんでしょ、という、よって、そういったものを「押し付ける」ことは「当たり前」といった、暴力性、都会的鈍感さを感じるわけである。)
そして、この構造は、今度は、日本と、近代の「モデル」である、イギリスやアメリカとの比較において、反復される。
たしかに、日本はアメリカに比べ、「遅れている」。しかし、だからといって、アメリカは日本に比べて、優れているのだろうか? 日本はニューヨークと同じになれば、嬉しいのだろうか?
ここで、先ほどの「牛をワンワン」を考えてみよう。
日本とアメリカのような近代国家との「差異」とは、なんだろうか? それは、あるのだろうか? 具体的に、どういったことを意味するのだろうか? 大事なことは、これを

  • (言語反射的な)共感

で考えようとしても、生産的ではない(表層的な言葉遊びでしかない)、ということである。つまり、その「シュミレーション」は、もっと具体的な、

  • 同型の差異

の「リアル」から求められなければならない。それが、廣松にとっての、生まれ育った田舎の子供の頃の「リアル」と、今、都会で、東京の中心で、この日本を考えている自分との

  • あまりにもの大きな差異

なわけであり、このギャップが大きければ大きいほど、私たちの思考を嫌々ながらも、どこまでの強い続けるわけである...。

廣松渉-近代の超克 (再発見 日本の哲学)

廣松渉-近代の超克 (再発見 日本の哲学)