小林英夫『関東軍とは何だったのか』

福井地裁における高浜原発再稼動の差し止め裁判で、樋口裁判長は、すでに、4月1日で名古屋家庭裁判所に異動されていたのに、名古屋高裁が福井地裁職務代行の辞令を発令したために、今回の判決をだすことができた。つまり、これまで長い時間をかけて、この裁判官で審議がされてきたのだから、急に異動になったからといって、他の裁判官が代わりなどできない、ということらしい。
多くの人が思ったように、この人事は明らかな「懲罰人事」であり、

  • 左遷

であろう。なんで急に、家庭裁判所なのだ。あまりにも、不自然かつ合理性がない。なんらかの行政側からの政策的な「意図」が、司法の人事に「介入」してきたことは、自明なように思われるが、いっちょまえに「知識人」を名乗っている連中が、こういった事態に何も言わないことが、言わずもがなの印象を受けるわけである。自民党に政権が移って、原発再復活を「国策」としたとき、自分たちの気に入らない判決を出した裁判官は次から次へと、左遷していく。つい最近の、古賀さんが官僚を辞めた件にしたって、早い話が彼を「窓際族」にして、追い出したわけであろう。
私が興味をもったのは、この「異動」という人事が非常に早いということだ。確かに、この人事は露骨であり、突然の印象を受けるが、私は思ったわけである。つまり、こういった人事はむしろ、日本国家の「伝統」なのではないか、と。
以前も書いた記憶があるが、日本の「近代」政治学が、丸山眞男の「史観」によって、荻生徂徠から考えられていたことが特徴であった。その場合、徂徠の興味深いのは、いわば

を「肯定」したところにあったわけである。彼は人材登用において、全分野における「完成者」に興味をもたなかった。むしろ、

  • その分野

において、特異なまでの才能を積極的に採用することは「合理的」だと考えたわけである。このことは、はっきり言ってしまえば、「人格がちょっとくらいおかしくたって、一芸に秀でた人は、重用すべきだ」ということである。
しかし、こういった考えは、伝統的なアジア的政治では、一般的ではなかった。アジアの政治思想は「朱子学」だったわけである。朱子学とは、「科挙」試験のことである。科挙の試験は、減点主義である。つまり、

  • 完璧

であることが、「合格」の必要十分条件である。むちゃくちゃ高得点でなければ、見向きもしてもらえない。つまり、少しでも「忘れた」なんてものがあってはならない。全部覚えていなければならない。
しかし、この考え方は、日本の「大学入試」を彷彿とさせないだろうか。東大に入学する子供たちは、ものすごい高得点をとる。むしろ、そうでなければ、入学できない。その「ピラミッド」は、日本中の大学において、東大を頂点にして、作られている。
つまり、こういうことである。まず、東大入試で「東大序列化」が

  • 完成

する。つまり、この時点で「すべて」は決定するのだ。東大を卒業する子供たちは、国家官僚になるのだが、この官僚たちの

  • 序列

はすでに、この「東大入試」での「序列」によって「決定」しているわけである。この「順番」によって、ほとんど、だれとだれが将来、どの役職に付き、だれがその出世競争から落ちるかも、すでに、彼らが東大に入学した時点で、「予測」ができる。
大事なポイントはなんだろう。そもそも、なぜ東大入試でこれらが「決定」するのか。それは、彼らが官僚になった後の彼ら自身による

  • 権力闘争

を防止するためである。この「すでに決定している」という自明性が、彼らに「出世」への無理な「闘争」を忌避させる。これが、官僚社会の「安定」性を担保するわけである。
ここまで書いてきた時点で、ビジネスの場面で戦っているサラリーマンの人たちは大きな違和感を覚えるかもしれない。ビジネスの世界では、なによりも、

  • どれだけ儲けたか

の「結果」が全てを決定している。つまり、どれだけ儲けを増大させる「ビジネス・モデル」を採用したか、どれだけ市場競争力のある商品を発明して儲けたか、が社内の競争相手に対する「説得力」を生み出すわけで、つまりは、こういった

  • 実績

がなければ、なにを言っても相手にされない、という側面がある。
ところが、官僚社会には、それがない。なぜなら、「それ」は東大に入学した時点で「決定」しているから。

この戦争は誰かが責任を取らなければならなかったのである。どんな小さなミスでも、それを必要以上に拡大してでも「生贄」を作りだす必要があった。前線指揮官の死によって、事態の真相を語るものが消え、さらに上司に累が及ぶことなく「責任」の所在があいまいになったのである。
逆にその後出世を遂げたものもいる。その筆頭は、服部卓四郎と辻政信だった。服部は、参謀本部作戦課長に返り咲き、辻もそのもとで参謀本部作戦課兵站班長として現役に復帰した。両者は、アジア太平洋戦争を緒戦から指揮し、ガタルカナル島占領作戦を指揮して、多くの将兵を飢餓のなかに追い込んでいった。「上」にやさしく「現場」に厳しい日本社会の責任追求体制は綿々として続き今日に至っている。

上記の引用は、いわゆる「ノモンハン戦争」における記述であるが、あれほどの日本軍に被害を与えた事態であっても、「上司」たちは、驚くべきまでに、まったくなんの「責任」も問われない。この事態は、国策として進めた原発において、福島第一のあれほどの事態を起こしながら、国家官僚は誰も責任を問われていない今の事態に完全に符号するであろう。
なぜ、責任を問われないのか。なぜなら、彼らは「言われたことをやった」からなのである。例えば、天皇に逆らうようなことを彼らがやったなら、彼らは「反逆罪」に問われるであろう。しかし、彼らはそうやらなかった。天皇の命令には「従った」。だとするなら、天皇の命令通りにやって「大量の日本人が死んだ」ことは、

  • 罪に問えない

わけである。なぜなら、それでは「天皇が悪かった」ということになってしまうから。つまり、この事態は

  • しょうがなかった

で鉾を収めなければならない。大事なポイントは「彼らが頭が良い」ことは、「天皇がシステムを作った」東大入学試験システムによって「証明」されてしまっているため、もしも彼らが「できなかった」とするなら、

  • 日本の頂点の「頭の良い」人ができなかったんだから、だれがやってもできなかった

ということを意味「しなければならなくなる」というわけである。
ばかばかしい、と思うだろうか?
日本の官僚制は、そもそも「成績」という概念がない。じゃあ、人事は徹底して固定されているかというと、まったく、その逆だ。どういうことかというと、「成績」や「責任」が問われない代わりに、非常に頻繁に渡る「左遷」が起きる。それは、いわば「国策」に反する意志を、その官僚が示していると見られたとき、政敵によって、パージされるということは頻繁に起きる。大事なポイントは、この場合、その人事異動は

  • 合理的な説明ができない

ということである。なんらかの「成績」や「責任」によっての異動が起きない代わりに、ほとんど意味不明なまでの、頻繁な人事異動は起き続ける。
これは、何を意味しているだろうか?
つまり、彼らの仕事は実は、徹底した「ジェネラリスト」だということである。はっきり言えば、彼らは「名誉職」であって、いてもいなくてもいい人たちなのだ。だから、そこら中の意味不明な人事異動による左遷が繰り返される。
そのことは例えば、掲題の本でも指摘されている「満州国」が、関東軍による満州事変から、たったの一年足らずで成立したことを考えてもいい。大事なポイントは、この一年という短い間に、

  • 役職のツリー図

だけは、あっという間に作られ。日本の官僚たちが、その役職を果たすために、満州国に「異動」になった、ということを考えてみればいい。官僚とは「誰でもできる」、というか

  • 誰かを「区別」しない

なにかだ、ということなのだ。もっと言ってしまえば、国家のそういった「役職」というのは、そもそものその「仕事」自体が、特殊なプロフェッショナルな技術がなければ行えないような

  • 仕事であってはならない

ということを意味しているわけである。このことは、国家が「何を行っているのか」をよく説明するであろう。国家は一種の「グローバル」である。そのことは、「細かな」地域的な差異に「意味がある」ものは、国家の仕事で「あってはならない」ということを意味している。国家は、徹底して、

  • 一般的

でなければならない。これが国家の「弱点」なのだ。
私たちは今一度、

  • 日本に原発は必要か?

という問いと共に、

  • 日本という国家(=官僚制度)は必要か?

と問わなければならないのではないか。原発を止めるべきだと言うことと、「官僚システムの現状維持」は切っても切れない関係で深く繋がっていないだろうか。それを、今回の福井地裁の樋口裁判長の人事はよく示しているように私には思える...。

関東軍とは何だったのか 満洲支配の実像

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