町田明広『グローバル幕末史』

今、国会で、中谷防衛省大臣の答弁の二転三転の奇妙な醜態をさらしているが、ようするに、防衛大臣は国民に事実を隠すことに対して、なんの恥かしさもないわけであろう。その予兆はすでに、特定秘密保護法の頃から予想はされていた。この法律が言おうとしていることは、政府は国民に「嘘をつく」ということである。なぜなら、この法律は国民に「隠す」ことを最初から前提にしているのだから、こうやって防衛大臣が恥かしげもなく、次々と「しらばっくれて」嘘をつき、それがあばかれるということを繰り返していることが、すでにその文書は、最初から、特定秘密にすることを前提にしていた、ということを意味するわけであろう。しかし、国民はそれでいいのか? この事実が、そんなに簡単に国民から隠されていいものでないことは、こうやって、内部告発によって、共産党が暴露してくれて、実際に私たちがその内容を知ったことによって分かったのではないのか。
今回の安保法案の審議がなぜ、これほど「異常」な状態になっているのか。それは、早い話が、防衛問題は全て

  • 特定秘密

なのだ。特定秘密保護法に関係した情報なのだ。だから、この問題をフレームアップしようとした与党議員がいるなら、特定秘密保護法で逮捕される、ということを意味しているわけである。
特定秘密保護法を今回の政権が成立させたことの意味は、もう一度

  • 戦前のやり方に戻る

ということを意味していたわけであろう。つまり、「大本営」である。あの戦争中、首尾一貫して、国民に嘘をつき続けた、国民の誰も彼らを信用していなかった連中。さて。戦後、国民はこの「大本営」を総括してんですかねw 今。日本国家に、もう一度、大本営が復活しようとしている。それでいいんですかね?
安倍総理って、本当に、国民に嘘をつくのが好きそうだよねw 生き生きと嘘をつくよね。子供の頃の、日米安保で、おじいちゃんの岸信介が国民に糞味噌にされたことを今でも根にもってんだね。彼の大衆嫌い、左翼嫌いは、顔にでてるよね。
あーあ。
こういう人を、自分たちの国のリーダーにしてしまった日本人は悲しいね。国民と真面目に向き合わないリーダー。やだな。生理的に嫌だな。
国家は国民に嘘をつく。実に「楽しそう」に国民に嘘をつく。彼らは最初から、国民の方を向いて生きていないのだ。今まで、産まれて一度も国民の方なんて向いたことがないのだ。どんなに国民が大きな声をだしても、どんなにそれだけは止めてくれと、全国民が頭を下げ、祈ったとしても、彼らリーダーは決して、国民の方を振り返らない。残念だけど、彼らは「そういう人」たち。残念だけどね。
日本という国を考えるとき、幕末から明治にかけての政治の主体の主導権の交代、つまり、徳川幕府の崩壊と明治政府の誕生は、非常に大きな事件であった。つまり、この事態は日本という国の有り様に大きな影響を与えた。
それが、具体的になんだったのかを、時系列に考えていくことは、非常に重要である。

さて、「水戸学の三傑」である。まず幽谷であるが、寛政三年(一七九一)に後期水戸学の草分けとされる『正名論』を著した。その中で、「幕府、皇室を尊べば、すなはち諸侯、幕府を崇び、諸侯、幕府を崇べば、すなはち卿・大夫、諸侯を敬す」と唱えた。
これによって、幕府の存在を肯定し、大政委任論を補強した。尊王を全面に押し出しながらも、巧みに幕藩体制を擁護しており、封建制の存続を志向したことは間違いない。
時代は下り文政七年(一八二四)、イギリスの捕鯨船員十二人が水戸藩内の大津浜に上陸し、水や食料を求めた大津浜事件が起きた。幕府の対応が薪水給与を命じるものであったため、水戸藩では征夷大将軍職掌を放棄した弱腰外交と非難し、過度な攘夷論が跋扈することになった。
しかし、批判を浮けた幕府は、後述する宝島事件などの勃発に鑑み、翌年には無二念打払令を発布した。この事実を踏まえ、会沢は尊皇攘夷の思想を理論的に体系化した『新論』を著した。

こてによると、日本は神の国であり、太陽が昇る国で元気が生じる国である。天皇は、日本はもとより世界の元首であり、天皇政治は万国が規範とする政体である。天皇の威光は世界に輝きわたり、皇化が及ばないところはないと、会沢は説く。

日本の政治の理論的支柱は、「小中国主義」であったことはいまさら、説明は不要であろう。つまりミニ中国を作って、中国の真似をやって日本はその統治機構を制御してきた。これを通用させるためには、まず、中国と交渉してはならない。なぜなら、ミニ中国である日本と、中国との関係をはっきりさせることを求められるため、お互いがお互いをどう考えるのか、といったことをお互いが考えてしまう状況を作ってはならないわけである。
よって、国民レベルでは、中国との一切の干渉を認めない「鎖国」を行うことになる。
さて。そもそも、中国の政治がどうできていたかと言えば、朱子学である。つまり、儒教なのだが、朱子学にはその「正当性」の理論をもっていた。それが、正名論で、一人一人がどういった諸関係になっているのかを定義する理論である。これによれば、この国を統治する国王を頂点にした、ピラミッドの命令体系が存在する、ということになる。
この場合、これを日本に適用する場合に、二つの困った要素があった。まず、徳川幕府が形上はその統治の根拠を「征夷大将軍」に置いていたように、皇室を前提にしていた、ということである。しかし、本来において、被統治者である国民が、そのことに関心を良せなければならない理由はなかったはずなのである。なぜなら、統治者である徳川幕府が、たんに諸藩であり、武士たちに、命令をすれば、すべてが必要十分であったはずなのだから。
ところが水戸学は、その日本の

  • 歴史

の編纂の過程において、この徳川幕府の統治の正当性の話をしないわけにはいかなくなった(儒教の歴史は、歴史書の編纂の歴史でもあるわけで)。そのため、どうしても皇室の存在と、徳川幕府の関係についてふれないわけにはいかなくなったわけである。
しかし、それは今までの日本の政治慣習を考えたとき、あまりにも奇妙な印象を受けざるをえなかったわけであろう。なぜ、今さら天皇なのか。それは、信長から秀吉、家康といった当時の統治権力にとっても、どう考えても実質的な意味のない形式的な関係であったことは、だれでも自明だったはずである。
ところが、上記の会沢の『新論』にまでなると、徳川幕府の政策の批判と、本来の統治の「頂点」としての天皇との話をどうしてもパラレルに書かなければならないような慣習が、彼ら水戸学の中ではできていたのであろう(それは彼ら水戸学の研究成果に関係していたわけであるから)。あたかも

といったような解釈として、読者に受けとられていく。特に長州藩、特に、吉田松陰などが、まさに「あげあし取り」的に、フレームアップしていく。

安政五年六月に、幕府は勅許を得ずして日米修好通商条約を締結してしまう。松陰の運命は、加速度を増して暗転することになる。これまで述べてきた通り、松陰は決して通商条約自体に反対の立場ではななかった。
しかし、松陰はあくまでも押し付けられたのではない、対等な立場での締結を求めていた。さらに、当然のことながら、挙国一致のためにも、そもそも我が国が皇国である以上、孝明天皇の勅許は必要不可欠な条件との立場であった。

安政五年の日米修好通商条約が言うほどの不平等条約であったかどうかについては、この本でも書かれているように、比較的フェアな内容だったようである。

文字通り不平等条約となったのは、慶応二年(一八六六)五月十三日に英仏米蘭の四カ国代表との間に結ばれた改税約書からである。輸入税が一律五%に改められたことにより、安価な商品が大量に流入して、国内に激しいインフレーションを巻き起こした。
そいて、国際貿易収支が不均衡になったのみならず、日本における産業資本の発達が著しく阻害されることになった。改税約書は、四国連合艦隊による下関砲撃事件(一八六四)の賠償金を三分の二に減免するためであり、文久期以降の攘夷運動のツケであったのだ。この事実を見逃してはならない。

私たちは歴史を今から見る。しかし今の歴史は、薩長が政権をとって、歴史を書き変えた後の残滓に過ぎない。そこでは、すべての不平等条約の「原因」は、徳川幕府に押しつけられている。旧態依然とした徳川政治が、諸悪の根源だったから、薩長政権交代には正当性があったんだ、といった物語は、あまりにもナイーブなのではないだろうか?
そもそも、攘夷論とはなんなのだろうか? 私はこれは「鎖国」政策と同値なのではないか、と思っている。なぜなら、鎖国政策においては、他国から船で日本に上陸してきた相手を武士は

  • 切り殺す

ことが認められていただけでなく、そうすることを強いられていた側面もあったからだ。つまり攘夷論者たちは、そういった幕府が選択していた「鎖国」政策に忠実に行動しようとしていた側面もあったのではないか、と思っているわけである。
ところが、幕末に近づくに従って、幕府の「鎖国」政策は揺れに揺れる。さかんに黒船が日本近海に来るようになり、上陸したから、その場で切り殺せといった指示は、あまりに現実的ではなくなってきたわけである。たんに、燃料が無くなって、ついでの食料の補給がしたいだけなら、それだけ済ませて、さっさと海の外に戻した方が、外交問題にもならず、自然だとも考えられる。
こういった徳川幕府の、優秀な官僚による「ソフトランディング」に、狂信的に反逆したのが、長州藩であり、吉田松陰だった、と言うことができるであろう。松陰は、とにかく「天皇」にこだわった。この態度は驚くべき、意味不明さ、と言わざるをえないのではないか。なぜなら、当時はまだ、徳川の政権だったわけであろう。つまり彼は、徳川幕府「の」武士なのだ。その彼が、急に「天皇」ばかりに恭順を示し始めるという態度は、あまりにも頭がおかしい。実際に、松陰はその後、幕府によって逮捕され、死刑にされるのだが。

次いでラッセルは、長州藩主は自らの命をかけて国禁を犯し、家臣を西洋に派遣しようと考えるほど、西洋文明を理解し、その技術を学ぶことに熱心であると述べる。そして、実際に下関で交戦した西洋列強と、友好関係を築きたいと考えているのであれば、なぜ長州藩は外国船を砲撃したのかと尋ねた。
山尾らはその理由について、西洋人に対する攻撃という非常手段によって、憎むべき大臣(徳川将軍家)の「不誠実な政府」、つまり幕府を倒すきっかけとし、それを実現するためであると答える。
そして、幕府が握っている政治権力を、正当たる主権者である「ミカド」、すなわち「正統なる皇帝」(天皇)へと取り戻す必要がある。つまり、王政復古を実現することによって、国内の秩序を回復することを真の目的としている。
そのためには、幕府を西洋列強と不和にすることで弱体化させる必要があり、外国人を追放することを意図しているのではないと断言した。山尾らは、倒幕志向を鮮明に表明し、長州藩のみならず他の多くの有力大名、さらには日本国民も同様の考えを持っていると強調した。
山尾らは続けて、欧米列強が天皇と直接条約を結ぶことを提案する。その理由は、現行の通商条約は「真の皇帝」(天皇)によって認められておらず、我が国の自然な国民感情に従うものではない。
そこで、外国勢力が日本人すべてに尊敬されていう「ミカド」と、通商条約を直接結び直せば理に適う。そうすることで、幕府の持つ貿易独占権が排除され、外交と貿易の利益がすべての国民に届くようになると説明する。
外国人に加えられる、あらゆる残虐な攻撃、つまり、過激な攘夷行動の原因は、すべて幕府の「ミカド」に対する虚偽と「不正な条約」にある。この偽りの条約が存在している限り、外国人はいかなる莫大な利益も、決して得ることはできないだろう。また、安心して気楽に、日本で生活することもできないだろうと断言した。
最後にラッセルは、現在の通商条約が、「ミカド」によって批准されるにはどうすべきかを尋ねた。山尾らは、そもそも「ミカド」は、自身の同意なしに調印された条約の承認を拒むであろう。しかし、もし外国人たちが京都で、「ミカド」と話し合うことができれば、「ミカド」は条約を結ぶことを、容易に納得されるであろうとの意見を述べる。
また、現在の条約を無効にして、「ミカド」へ外交権を移行させることによって、強大な西洋諸勢力との同盟を、大君から取り上げることになる。現在も大君の権威を支持している日和見主義の大名、そして事態がどう展開するかを見守っているだけの多くの中立派の大名が存在する。
しかし、外交権の移動によって、すぐに「ミカド」に対する忠誠へと回帰することは想像に難くない。大君の虚偽の権力は地に墜ち、大君は「ミカド」の臣下として、再び相応の地位に落ち着くであろうと主張した。
「ミカド」と結ばれた条約は、外国人と日本人の双方にとって、平等に莫大な利益をもたらし、日本における外国人の生命と財産は保護され、外国人は日本で安全に暮らせるだろう。しかも、いかなる内乱も、もはや起こらないことは自明であるとつけ加え、山尾らは話を結んだ。

これが有名な、長州ファイブが、幕府に隠れて、イギリスに隠密で渡って、イギリス政府の要人と話した内容であるわけだが、まあ、言っていることは、吉田松陰と同じく「テロリスト」の言い分だというのは、驚くべきことのように思われるのだが、どうだろうか?
しかし、そうではあっても、興味深い点として、彼ら長州藩は確かに、徳川幕府の転覆を最初からもくろんではいたわけであるが、不思議なことに、それ以降の政治がそうであったようには、

  • 武士階級の解体

を想定していなかったような口ぶりに思われるわけである。さらに、それどころか、徳川「藩」が、それ以降も「それ相応の地位」において、継続していくことを想定している。つまり、なんというのだろうか、彼らは

  • 彼ら自身を今そうあらしめている「秩序」

自体が、実際に彼らが行っている行動によって無くなってしまう、という論理的必然について、ほとんど考えてすらいなかった、ということなのではないだろうか。
そもそも、なぜ彼らは徳川「藩」は残ると考えたのであろうか? それは、長州藩がどんなに徳川幕府に、このような「テロ」行為を繰り返しながらも、そう簡単には取り潰しにはならなかったことと同じように、「天皇」の意向が、それをとりつぶすことを拒否するなら、残り続けるのではないかと考えていたらか、ということになるのではないか。
ようするに、彼らの「権力」に対する「ナイーブ」な想定が、長州藩の慢性的な

  • テロ思想

を、徳川幕府の側も長州藩自身も、慢性的に瀰漫させる結果となり、暴走がそのまま止まることはなかった、ということになるのであろう。
上記の引用がもう一つ、興味深いのは、外国人に対して、長州藩に味方をすれば、日本国内での「生命や身体の保障」を行っていることであろう。この事実は、これ以降のイギリスやアメリカによる、対日政策だけでなく、戦後のアメリカによる、世界戦略の基礎を見るような印象にさせられる。
イギリスは間違いなく、これ以降、「長州藩」側に味方した政策を進めた、と考えられるであろう。つまり、徳川幕府の滅亡の影には、イギリス政府による、長州藩への影からの

  • 支援

が間違いなく存在した。イギリスは莫大な資金を、長州藩に注ぐことによって、膨大な軍備を長州藩に貢ぎ続けることになる。つまりは、日本は

の連合チームに負けた。しかし、こういった「外交政策」は、今のアメリカによって、さまざまな国々で繰り返されている。アメリカが気に入らない政権、アメリカに反抗的な国に対して、アメリカは、NGOなどを通じて、その国でレジスタンスを行っている勢力に、莫大なお金を注ぎ続ける。すると、彼ら反政府勢力は、その国で「民主化デモ」を行い始めて、政権を脅かし始める。ところが、こういった「お金」はすぐに、ISなどのテロリスト集団の資金源として、流れこんでしまうため、ついさっきまで、民主化の平和的デモが行われていた地域で、悲惨な自爆テロが繰り返されるようになる。
ある意味において、日本もその「二の舞」の歴史だったんじゃないのかと思わなくもない。明治政府は、すぐに周辺諸国に軍事侵攻を行うようになり、周辺国の植民地化の路線を、暴走ぎみに突き進むことになる。つまり、こういった

が、だれにも止められないわけである。
そもそも、長州藩は自らの主張の正当性によって幕府を転覆したというよりも、イギリスなどの外国勢力を味方につけた、というだけの「力による征服」だったことが、その後の日本の不幸を象徴していたように思われる。
そして、それは今の安保法制にも繋がっている。安倍政権は、まったく日本国民に興味をもっていない。彼はアメリカと話をつければ、あとは、アメリカのお金さえ使えば、日本を好きなだけ、彼の思うがままに変えられる、と考えている。彼は、その場合において、日本人と話さなければならない、と少しも思っていない。彼が「説得」しなければならないのは、天皇と、アメリカだけなのであって、なぜ日本人が話し相手なのかを理解できない。
その構造はまったく、幕末の長州藩のそれと同型だと言えるだろう。長州藩の武士たちが、この日本を「支配」するために、

の二つだけとしか、最初から話し合うつもりがなく、彼らがこの日本を「支配」したように、安倍政権も

の二つだけとしか、最初から話し合うつもりがなく、この日本を

三者によって、「支配」している(=奴隷化している)というわけであるが、彼らにしてみれは「それでなにが悪いの?」という感じなのであろう(まるで、それが「伝統」だと言わんばかりに)...。

グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか

グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか