梅棹忠夫『文明の生態史観』

この今では古典となった本において、著者は、この地球上の人間の生活地域を、第一地域と第二地域に分類する。
ここで、第一地域と言っているのは、この本が「文明」の本だと言っているように、ようするに「先進国」のことを言っているのだが、つまりは、

  • イギリス、フランス、ドイツ、日本

のことなのだ。つまり、どういうことかと言うと、著者の、この本を書いたときの感覚としての「先進国」を意味していることが分かるであろう。最先端の「資本主義」の場所であり、「民主主義」の場所。つまり、彼はどうして「この四つ」だけが、

  • 特別

なのか、と言いたいわけである。

革命によってブルジョワが実質的な支配権をえた、ということは、それらの第一地域の国ぐには、ブルジョワ勢力の力が、すでにそうとうおおきかった、ということだ。革命以前、すでにそういう階級が、これらの国ぐにでは成長していた。革命以前はどういう体制か。いうまでもなく、封建体制である。封建体制が、ブウルジョワを養成した。ここで、第一地域の歴史において、たいへんいちじるしい共通点をみいだす。つまり第一地域というのは、封建体制のあった地域なのだ。

まあ、なんというか、著者の「発想」の原点がここにある、というのがよく分かるであろう。彼は「文明」と言ったとき、今の文明の最先端として、上記の地域を特権的に見出してくる。つまり、彼流に言うなら、この地域は

となるであろうか。なぜ、この地域は「特別」なのか。スペシャルなのか、というわけであるw まあ、日本がスペシャルでよかったね、と自画自賛ぎみのこの筆使いであるが、まあ、その意図をもう少し、追って行ってみよう。

第一地域の特徴は、もはやあきらかであろう。そこは、めぐまれた地域だった。中緯度温帯。適度の雨量。たかい土地の生産力。原則として森林におおわれていたから、技術水準のひくい場合は、乾燥地帯のように、文明の発信源にはなりにくいが、ある程度の技術お段階に達した場合は、熱帯降雨林のような手ごわいものではない。なによりも、ここははしこだった。中央アジア的暴力が、ここまでおよぶことはまずなかった。しかも、いよいよそれがやってきたときに、それに対抗できるほど、実力の蓄積ができていたことは、この地域にとって、たいへんんさいわいであった。

この最後の部分はチンギスハーンの元寇のことを言っているわけであるが、日本と西欧が一緒に、その帝国化をしりぞけられたのには、そもそもなぜこの地域に封建制が続いていたのかに、関係する、と言いたいのであろう。封建制が成立する条件は、言わば、その地域の

にあると言えるであろう。つまり、自給自足であり、その地域独立で、その土地で、何十年、何百年と外と関係しないで、衣食住を満たせることによって、遠い地域にいる「皇帝」の意図に耳を傾ける必要なく、

  • 勝手に生きながらえる

ことが可能になっている、というところにある。だから、地方がいっこうに中央の言うことを聞いてくれない。勝手に自活している、というわけである。
他方において、こういった封建制が成立しなかった地域というのは、そもそも、そういった土地に人々が縛られて生きていないわけである。そういった、この地球上のほとんどの地域においては、人々のライフスタイルの基本は

である。つまり、移動をしている。もっと言えば、「焼畑農業」だということになる。ある地域に、長くいたいと思っても、それを土地の貧しさが許さない。畑として、その土地の養分を一度でも吸い上げてしまったら、もうそこは使えないのなら、その土地を捨てて、別に行くしかない。しかし、そうやって移動した先には、言うまでもなく、すでに別の人たちがいるわけで、必然的にそこには「衝突」や「暴力」が発生する。

第二次世界大戦は、日本の社会制度のうえに、根本的な大改革をおよぼしたようにみえる。そのひとつは、いわゆる「家」の制度の破壊である。改正された民法は、家督相続を廃止する。財産相続は、長子の単独相続を否定し、すべての子どもたちに請求権を確保する。先祖代々の「家」は、きえた。そして、夫婦とその子どもたちの共同生活を基本とする近代家族が発生した。
理論的にはそうだけれど、じっさいは日本にはまだ「家」は残存する。それは、単なる家庭ないしは家族ではない。先祖代々、子々孫々をふくむタテのつらなりである。家名があり、家紋があり、家門の名誉がある、そしてその重圧がある。
西ヨーロッパもまた、比較的最近まで、長子相続制と「家」とをのこしていた地域である。イギリスが法的に「家」を廃止したのはつい二、三〇年前のことである。もちろん、これは過去における封建制の発達と関係がある。二歩と西ヨーロッパが、封建制をくぐってきたという特殊事情によるものである。
第二の地域ではどうか。そこには、封建制の遺物たる「家」の重圧はない。相続はもともと、たとえば中国やイスラーム諸国のように、はじめから分割相続あるいは均分相続である。それは、封建制をくぐりぬけてきた諸地域が、最近ようやくたどりついたところの、近代的状態に、はじめからあったわけである。
そのかわり、この場合には、問題は家族をこえたところにあるようだ。封建家族は、「家」の重圧をながく保持したかわり、それ以外の血縁集団をほとんど解消してしまっているが、第二の地域では、なおしばしば、第一地域の社会にはみられぬ、超家族的集団がみいだされる。

まあ、封建制が強い地域ということは、最小単位で「自活できる」ということを意味するわけであろう。つまり、全体的な協力から距離を置いて、個人が自活できる。つまり、「家」制度的な意味における、その「家」で、勝手に生きられる、ということを意味している。だから、この単位で、生活手段を自己決定することに意味がある。
他方、こういった封建制以外の、ほとんどの地域では、そういった最小単位に「自活」の手段が担保されない。常に、飢餓の恐怖と共存して、必要とあらば、民族大移動によって、新天地を開拓していかなければならない。そういった意味では、「家」といった最小単位自体に、大きな意味を与えられない。もっと広い形での「協力」を担保するような理念なしでは、存在していけなかった、ということになるであろうか。

いまおこりつつあるさまざまな事件は、たしかに帝国主義植民地主義とアラブ民族主義とのあらそいにはちがいないけれど、同時にそれはけっきょく、地中海・イスラーム世界をおおう、あたらしい巨大「帝国」の再建へつながってゆくだろう。その場合、「帝国」の中核となりうる民族は、もはやトルト民族ではありえない。それは、人口において圧倒的なアラブをいてほかにはない。
だから、ふつうは民族主義運動は、帝国からの離脱を意味し、分離的方向をとるが、この場合は、同時にそれ自身の中に「帝国」再建へのつよい欲求をひめ、接合的方向をとる。いくつかの国がくっついて、ひとつの国をつくるということは、ゆゆしきことだが、ここではなお、ひきつづいてそういう現象がおこるだろう。
アラブ連合共和国アラブ連邦、あるいは北アフリカ諸国をつらねるマグレブ連邦というようなアイディアは、くりかえしあらわれるだろう。けっきょくは、まず大アラブ国家が成立して、さらにそれを中核として地中海・イスラーム世界の再建へむかうであろう。石油だの、ユダヤ国家だのは、その接合反応における触媒のはたらきをすうであろう。

これはつまりは、植民地のことであり、戦後の植民地の独立運動のことを言っていると解釈できる。世界は、オリエンタリズムではないが、植民地の時代であった。それは、植民地ということなのだから、そこを植民地にしている

  • 植民地を「所有」している国

がいるわけである。よって、それぞれの植民地は、各国々の利害関係を調停する意味で

  • 分割

された。そういった意味で、アジアとアフリカは、無意味な国境線が多い。つまり、その「線」には、なんの文化的な「理由」もない、「人工的」な線が。
よって、こういった線は、いずれ、なくなるのではないか、と著者は考えたわけである。著者が言う、この見通しが、では、結局のところ、なぜうまく今に至るまで、進んでいないのか、と考える必要があるであろう。
それは、おそらく、今のシリアにおける、アメリカとロシアの泥沼の介入を見ても分かるのではないか。
ようするに、今も「植民地」が続いているわけである。
広域的な地域安全保障を実現するということは、アメリカやロシアといった、大国に「対抗」する地域連合を認める、ということになる。しかし、それをアメリカやロシアといった大国は嫌がる。つまり、彼らにとって、世界は

  • 細かく割れて

いてくれた方が「管理」をしやすいわけである。細かければ、その「非対称性」において、ほとんどの要求をアメリカは相手国に飲ませられるから。
つまり、民族自決は、大国にとって必ずしも反対ではない。むしろ、彼らにとって嫌らしいのは、「民族団結」の方にある、と考えられる。世界のさまざまな紛争は、こういった「民族団結」を邪魔するために、アメリカやロシアといった大国が

  • まいて

いる「餌」なのではないか、という印象さえ強く受ける。それは、戦後の日本においてさえ、CIAを中心として、膨大な

が行われており、日本の「言論」が、こういった御用学者によって「汚染」されてきたことを考えると、おそらく、世界中どこでもこの「汚染」は深刻なのであろう、と感じるわけである...。

文明の生態史観ほか (中公クラシックス)

文明の生態史観ほか (中公クラシックス)