文系=心理学?

増田レポートにしても、G型大学/L型大学にしても、もっと言えば、改憲論者にしても、日本共産党嫌いにしても、ようするに、官僚を中心として、日本の中に「階級」を作ろう、という連中なわけであろう。いわゆる

  • エリートさん

たち、ということになる。彼らの主張の「建前」は、国家のお金は無限ではないから、

というわけである。
しかし、いわゆる「エリート」論者ほど、醜い「人種」はいないんじゃないですかねw こういった「差別主義者」と、本当はどのように闘っていくのかが問われているはずなのだが、しかしね。こういった連中は実に楽しそうに、差別をするよねw
差別ってなんだろうね。パンピー外国人差別をすると、エリート様は「愚民w」といって、喜ぶ喜ぶ。まさに、レイシストパンピーの存在が

  • エリート様の存在証明

になっている、というわけである(パンピーレイシスト集団だから、彼らから社会を守るために「エリート」様は正義の味方として必要なんだってさw よかったね、エリートには存在理由があってw)。大衆に政治は任せておけない、エリート様にやってもらわなければならない。なぜなら、パンピーレイシストだから、と。
しかしね。そうやって、エリート様に政治を任せると、やれ、増田レポートだ。やれ、G型大学/L型大学だ。と、国民を

  • 階級

に分け始める。むしろ、彼らこそ「差別主義者」なわけである。こういったゴミ連中に、どうしてパンピーは政治を任せるべきだと思えるんですかねw 本当に人間のクズでしょw
例えば、そういった「教育改革」の一環として、国立大学の文系廃止通達が話題になっているが、すごいよね。誤解だとか言っておきながら、通達にある、国立大学の文系廃止の「文言」自体は削除しないんだってさw

  • 人間のクズが

ようするにさ。さんざん、今まで議論されてきたのではなかったのかな? 知識人とかエリートとか、そういった「言葉」こそ廃止しようって話だったんじゃなかったのか?
一体、どこにいるんだよ、「知識人」さん、「エリート」さん。ようするに、自称「知識人」さんであり、自称「エリート」さん、なわけでしょ。
さんざん言われてきたのではなかったのか、現代は「専門家」の時代だ、と。
例えば、TPPについて、リフレ派経済学者のポール・クルーヴマンが、反対している。というのは、今回のTPPの主軸は各国の輸入品の税率の調節ではない。それよりも、著作権の延長や非申告罪化やISD条項などの方にあって、これらについては、むしろ

  • アメリカ国内で今、賛否が議論されている

わけであって、なんで、各国内で賛否が分かれている、そういった話を、先に、国際条約で固めようとしているのか。ようするに、国際条約が

  • 利害当事者

たちの「道具」に使われようとしている。
多くの人たちが、「おかしい」と思っている理由は、なぜ一つ一つの政策を、それぞれ「是是非非」で議論をしないのか。なぜ、なにもかもを

  • 総合

して、パッケージにして「バーター」で議論をするのか。TPPがうさんくさいのは、こういった「知識人」とか「エリート」とかいった連中の「総合」的役割の「うさんくささ」にあるわけであろう。
なぜ、国立大学の文系の廃止なのか。ようするに、私立大学は文系ばかりだから、文系の優秀な学生を国立にとられたくないんでしょ。クズだよね。なにがエリートだ。バカじゃないのか。
むしろさ。今こそこの意味のない、文系理系のカテゴリーこそ廃止すべきだよ。文系じゃなくて、一つ一つの学問分野なのであって、それらも一つの「科学」なわけであろう。なんなんだよ、文系理系って。言ってる本人は恥ずかしくないのかな。文系だって同じ「科学」であるわけで、だとするなら、どうして文系だと、理系を知らないで科学を名乗れるんですかね。意味不明でしょ。
そもそも、理系において、どこに「知識人」とか「エリート」を自称している人がいるんでしょうかね。みんな自らを「専門家」と考えているだけであって、ようするに「知識人」だとか「エリート」だとかって、文系のカテゴリーなんだよね。
そういった視点で、ISの問題を考えるとき、いわゆる文系さんたちにおいて、二つの反応に分かれるんですよね。

  • 文献学的アプローチ ... イスラーム法学の観点から、彼らISの主張するイスラームの「文化」を理解していこうとする方向
  • 心理学的アプローチ ... オウム真理教の事件に端を発する、カルト宗教における集団の暴走や、サイコパスと呼ばれるような、一種の「狂気」の行動として理解していく方向

とりあえず、こういった分け方をしているけど、いわゆる文系さんの「ほとんど」は後者ですからねw どういう意味かと言うと、ようするに文系さんというのは

  • 心理学

のことなんだよね。文系って、大学で心理学を学んだ人たちのことを言ってるんですよね。なんで心理学かというと、他の「自然科学」を彼らは勉強しなかったから、知らないから、というわけになるんでしょう。だとすると変ですよね。なんで、心理学って、理系じゃないんですかね。
ようするに、文系さんって、なんでも「心理学」でこの世界を解釈しようとする人たち、っていうことになるんじゃないですかね。
伊藤計劃さんの『虐殺器官』を読んだときも、これ、まったく「イスラーム」の話がでてこない。最初から最後まで、「サイコパス」的な扱いしか、「テロリスト」がされていない。しかし、むしろ、いわゆる「文系」と呼ばれ、「知識人」だとか「エリート」だとか言われている連中が

  • 知っている

のが、こういった「知識」なんですから、ある意味、必然的な結果というわけなんでしょうw
日本の学問というのは、欧米のアカデミズムの「輸入」をやってきただけですから、つまり、翻訳屋さんたちなんですよね。ですから、当然、欧米の学者の主張をせっせと輸入するのが仕事ですから、全部、欧米流。なにもかも「キリスト教」で汚染されているし、それが当然と思っているし。
そういう意味で、イスラーム法は残念ながら、彼ら「知識人」や「エリート」の「教養」の

だったんですよね。つまりそこは「専門家」のカテゴリーだったw まあ。便利だよね。「知識人」や「エリート」という言葉ってw
文系の人たちが、理系との「差別化」を図るためにやっていることってなにかというと、ようするに「文学」を読んでいるんですよね。ようするに、「知識人」や「エリート」って

  • 文学研究者

のことなんですよ。例えば、いわゆる「哲学」と呼ばれている分野がありますけど、「哲学者」って「文学」でしょ。これと、「小説」ってなにも違わないわけでしょ。そもそも、文学研究を「哲学者」はやっている。だったら、これらぜんぶをひっくるめて、「文学研究者」でいいじゃないですか。
ようするに、ここで「文学」と「科学(ここには、文学研究も含まれる)」を何が分けているかというと、文学は、まだ「理論化」されていないエッセーのことを言っているわけでしょう。まだ、体系化されていない「断片」だから、科学のカテゴリーの中にその文学の「内容」を含めることができない。どうして、それだけじゃダメなんですかね。
つまりは、現代は「専門家」の時代であって、今さら、「知識人」や「エリート」を再興する必要はない。むしろ、こういったことを自称している「連中」の

  • 役割

に大衆は気をつけた方がいい。官僚にすり寄って、増田レポートとか、G型大学/L型大学とか、言い始める。もちろん、昔の大学の一般教養のような広い知識を多くの人が身につけることは大切なことであり、そういった「素人」との立場からの発言が、社会の集合知として重要であることは言うまでもないが、だからといって、「ある分野」の専門家と、そうでない人たちには、一線があるわけで、この一線を超えて「知識人」とか「エリート」とか自称したがる連中の、そのステマ的意図に注意しなければならない、ということなのであろう...。