湯之上隆『日本型モノづくりの敗北』

先週の videonews.com での掲題の著者の話は、現在日本で起きているバブル以降の景気の低迷。一言で言ってしまえば、

  • 外需の低下

についての「理由」を非常によく説明していた、という印象がある。
なぜ、バブル以降の日本企業に「国際競争力」がなくなったのか。いや、それ以前も必ずしも、そんなものがあったわけではないのであろう。
そのとき語られていた話は、ようするに、「低廉な労働力」の問題として話されていた。中国は物価も安く、低廉な労働力を確保できるのだから、日本がそれに太刀打ちすることは今後、かなわない。
これに対して、だったら日本の金利を下げれば、カムバーク・ジャパンと言ったのが、リフレ派のマクロ経済学者であった。しかし、結果として、別に日本製品が世界を席巻するような動きが、見られるだろうか?
なにも変わっていない。
強いて言えば、比較的、新卒の雇用状況が改善されたといった形で、このことはむしろ、バブル以降の少ないパイを分け合っていた「仕事」が、低金利政策と、震災復興や五輪景気で、「労働力の奪い合い」が起きているということで、別に

  • 産業構造

が変わったという話ではない。
と言うか。
<そんなこと>をマクロ経済学者に求めることの方が、どうかしているわけである。

最近は、アベノミクスの効果で、電機・通信・IT業界の各企業は、財務的には業績回復の兆しがある。ただいまのところは自力による回復というよりは他力による回復と言ったほうが正確のようだ。円安効果による競争環境の改善が寄与している。もしくはただ単に政府がつけた予算を消化する案件を受注して売上・利益が出たと言っている企業もいくつかある。あるいはコンシューマ市場はあきらめて、利益の出せるB2B(法人向けビジネス)に転換している会社もある。

つまり、何が起きているのか?
日本企業は「個人向け」のサービスの開発をやめてしまった。企業向けの比較的、求められている「仕様」の分かりやすい受注案件しか相手にしなくなった。つまり、

で勝負するビジネスを、最初から、あきらめてしまったのだ。これが、

  • バブル以降

の日本企業の姿である。
では、なぜそうなのか? 一つは言うまでもなく「英語が苦手だった」ということになるのであろう。

さらにサムスン電子には、前記技術力を活かすための協力な武器がある。その一つは、質量豊富なマーケティング能力である。サムスン電子の組織図を見ると、戦略マーケティング部門に800人が所属し、そのうち専任のマーケッターが230人もいる。
このマーケッターは、単に市場統計を行うのではない。たとえば、中国担当のマーケッターならば、まず中国に1 ~ 2年住み、中国語を話せるようになり、中国人と同じ物を食べ、中国人がどのような嗜好を持つのかを学ぶ。そのうえで、中国人用にどんなDRAMがいつまでに何個必要かを決定するのである。
驚くべきことに、2006年時点のサムスン電子ではDRAM、NANDフラッシュメモリと、極論すれば2種類しか品種がないにもかかわらず、そこに230人ものマーケティング要員がいたのである。競合他社と比べると、2桁多い数字である。
数だけではない。サムスン電子は、最も優秀な人材を、マーケッターに抜擢する。その理由は、サムスン電子は、自社の未来はマーケッターの双肩にかかっていると考えているからである。世界中の国や地域ごとに配置され、世界の動向からその国や地域での市場を予測し創造することが、マーケッターに要求される。
このような能力は、その人間が持っているセンスである。教育によって養成することができない。したがって、そのようなセンスを持った人材を、世界中から探し出して、高待遇でスカウトする。実際に、サムスン電子の専務や常務には、1年で最低1人、マーケッターを見つけてくる責務があるという。また、(スカウトする人材の年俸も含めて)それにかける費用は無制限であると聞く。

これは何を意味しているのか? 私には、ピーター・ドラッカーの言う「マネージャー」を思い出させる。
「売る」とは、「誰か」に売ることである。つまり、相手が買う、ということである。では、相手は「なぜ」買うのか? なんらかの「理由」があるから、であろう。
企業活動は、この「売上」と「経費」の、割合に依存する。そもそも、企業活動は慢性的な赤字では継続できない。つまり、ペイしなければならない。これを実現するのが、マーケティングである。
ようするに、「売れればいい」のであるが、「売れなければ話にならない」わけである。
上記の引用は何を言っているのか? つまり、これが

なのだ。イノベーションにとって「新しい技術」など、どうでもいいのである。日経新聞は今すぐ、イノベーションの後ろに丸括弧をつけて、「技術革新」と書くことを止めろ。この行為がいかに犯罪的行為であるかが、これで分かるであろう。
イノベーションにとって、技術など「関係ない」。つまり、技術は本質ではない。もっと言えば、「技術なんてなくたっていい」。一言で言えば、イノベーションとは

  • コピペ

のことなのだ。よく考えてほしい。新しい技術なんて、どうせ、「たいてい」はたいしたことがない。スティーブ・ジョブズがアイフォンをつくっても、サムスンは、ほとんど同じ「コピペ」をアンドロイドで作りやがった(世界中で、裁判で負けているけど)。
しかし、これが「イノベーション」なのだ。
イノベーションの重要なことは、「売れてペイするモノを作る」という意味であり、ようするにペイしなかったら

  • 作っちゃダメ

なのだ。ここが重要なのだ。売れないモノを作ってはならない。経営判断で売れないものを作らないというのは当然ありうる。なぜなら、多きな損失を出しさえしなければ、

  • 企業活動は続けられる

わけだから。
イノベーションとは「流行」をいち早くつかんで、「買ってもらえる」サービスを用意する。そのとき、プライオリティによっては、お客にとって「安さ」は、なにものよりも譲れない可能性がある。そのとき、アイフォンの「ばったもん」でも、それより

  • 1円でも安い

アンドロイドだったら、もしかしたらお客は買ってくれるかもしれない。これが「イノベーション」なのである。
お客が「買ってくれる」ってなんだろう?
近年、「フラット革命」馬鹿が、世界はマクドナルドやディズニーランドで覆われる、と言って脅してくる。
しかし、この見立ては上記の分析と合わない。つまり、もしも「フラット革命」が強力であったなら、むしろ、日本企業は「生き残れた」と言えなくもない。なぜなら、日本に技術がなかったわけではないから。そうではない。
グローバル・マーケッターは「現地」に住み、現地の特性に十分通暁した「から」、その現地に見当った「見積り」を提示できたのであって、むしろ、話は逆なのだ。
私はこの見立ては重要だと思っている。「フラット革命」馬鹿は、

  • 売れる商品「だから」世界中で売れる

と臆断する。しかし、実態はむしろ、

  • 「それ」を「そこ」で売れる商品に「した」から、「それ」は「そこ」で売れた

と言うのが正しい。そのインテグラルが「世界中で売れた」なのであって、その反対ではない。
ではなぜ、近年、この「フラット革命」馬鹿と、上記のようなグローバル・スタンダードの認識がずれたのであろうか?
それはおそらく、「学歴」偏重が関係しているのではないか。つまり、東大のような偏差値の高い大学を卒業した人が重用される社会になっていない今の日本を彼らは「悪の根源」と言いたいから、そういった主張に偏るのではないか。
しかし、前のブログでも書いたように、大学とは「専門研究機関」である。つまり、大学生は「専門研究者」なのだ。彼らが大学で行っていることは、むしろ、その専門分野の

を目指すことであって、そもそもそれと企業活動は、まったく別次元のことだ、というわけである。
はっきり言って、東大は教科書を丸暗記できる記憶力があったら、合格する。しかし、そんな「能力」をいくらもっていても、優秀なマーケッターになれるとは限らない。
ようするに「タレント」知識人が分かっていないのは、大学関係者が「ただ」の専門家であり、自らが「たんにその能力が評価された存在に過ぎない」という、謙虚さがないことなのだ。

実務上はA級人材が六名から七名、最大で一〇名ほど揃っていれば、それだけでずいぶんと生産性が上がり成果物の質が上がる。会社のマジメントチームであれ、新製品開発組織であれ、新市場開発組織であれ、将来の命運を左右するような重要な組織をつくる場合は、本当に優秀なAクラスの人材でチームを固めることだ。
「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論 (講談社現代新書)

では、主査制度(CE制度)とはどういうものだろうか? 主査(CE)は担当する製品に関する「すべての事柄」に責任を持つと言ってよい。奥田英二氏は、「主査は製品の社長であり、社長は主査の助っ人である」と述べている。
まず主査は、「市場の情報」「顧客・非顧客の情報」「競合の情報」「技術の情報」「原価の情報」を踏まえて、商品の魅力と性能、価格(原価)、重量などを企画し、製品の構想を練る。その際には、販売部門の商品計画部・しょうひん 企画部とともに、商品のコンセプトをつくる。次に企画した商品性を実現するために、製品を企画し、開発する。商品性を実現する目的で製品開発を行っていくのである。
「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論 (講談社現代新書)

これは自動車のトヨタの商品開発の方法であるが、つまり、この主査というのが完全に、ある一台の自動車を

  • ワンマン

で作っている、と言っているわけである。この人の頭の中にあるモノを売っている、と言っているわけである。
この手法は、どこか日本の国家官僚の制度に似ている。上級官僚は入社の時点で、いずれ、トップに君臨するためのエリート教育をほどこされる。まんべんなく、各部署を経験させ、彼らトップはその採用時点のトップの「座席」のまま、エスカレータ式にはいあがって行き、その他大勢は、官僚から追い出されていく。
つまり、これらの仕事は、たんに「一点突破」的な、研究者に求められる「根気強さ」のような能力だけではなく、

  • その「目標(=イノベーション)」の成功に関係する<あらゆる>方向からやってくる知識を満遍なく差配できる

そういった「地頭の良さ」が求められる。そのどれかの視点が欠けるだけで、会社を傾かせるとするなら、そもそもこの「方向」において、なんからの些細な案件でも自らに「思考停止」を強いているような幼稚な連中が、それをつとめられるわけがない。サヨクだとかキョーサントーだとか言っただけで、怒髪天をつきプンスカのオコになってるような、御用知識人にその役割が務まるわけがない、というわけである...。