山崎雅弘『戦前回帰』

この前の、国連での安倍総理の口パク質疑応答について思ったのは、もはや日本のインテリジェンスたちは、安倍総理を人前でフリートークをさせてはならない、と考えているのではないか、と思ったわけである。
彼を好きに人前で話させてはならない。つまり、何を話し始めるか分からないので、怖くて、それを許せない。
なんといっても、ISに対して「罪償わせる」と言った人である。つまりは、彼自身が「標的」にされたことに対して、相当の「恐怖」を感じたのではないか。そして、それ以来、精神的にかなりやられてしまっているのかもしれない。
こういった発言が、いかに、世界中で活動をしている日本国民を危機におとしいれるか。まあ、普通にそのリスクを分かっていたら、こんなことを言うわけがない。スピーチ原稿に、直前になって、自分で書き加えたそうで、こんな恐しい精神状態の人が、今でも総理大臣の座にいるということが、日本の「リスク」であることは、ずいぶんと日本人の共通認識になってきたんじゃないのかと思っている。
けっこう前から、日本人のジャーナリストが行方不明になっているという話があったが、官邸はまったく話題にもしない。というか、この前、バングラディシュで邦人が殺害されて、イスラム国を名乗る犯行声明があってさえ、なんの反応も官邸はださない。
これは重症だな、と思うわけである。おそらく、日本政府は安倍首相が総理大臣を続ける限り、ISを「無視」し続けるであろう。安倍首相は、ISの言葉を聞くだけで、足が震え、冷静さを保てなくなっている。まともな人格を維持できなくなっている。
そういえば、安倍首相は国民に、こそこそ隠れて、国民の知らない間に、ユネスコの記憶遺産に、特攻隊を申請していたが却下されていた、という。
怖くならないか?
安倍首相は、安保法案の改正によって、「これで若者をカミカゼ特攻隊に<できる>」と、お友達と自民党内で祝杯を挙げたわけであろう。

同じ「大日本帝国憲法」下の日本軍でも、明治期の日清・日露戦争や大正期の第一次世界大戦、シベリア出兵などにおいて、日本軍の上層部は決して前線の兵士たちを「粗末」には扱いませんでした。
どうしても人的損害の増大を防げないようなケース(日露戦争期の日本海軍による旅順港閉塞作戦や、同じく陸軍による旅順要塞攻略作戦)では、攻撃を命じる司令官や参謀が激しい苦悩と焦燥に苛まれていた事実が記録に残っています。
そして、自軍が戦いに破れた場合には兵士が捕虜となることを許し、自軍に投降した敵軍の捕虜に対しても、敬意を払いつつ、当時の国際法に定められた通りの権利を与えていました。戦争に勝っても負けても、人命をむやみに粗末にはせず、味方も敵も戦後まで生き延びることを「当たり前」のことと理解していました。

私たちは少し冷静に考える必要がある。吉田松陰が明治国家を展望するとき、彼は自らの考える侵略史観を前に進める

  • (リフレ派経済学者たちの言う)成長=(植民地)侵略

を行う「ため」には、日本の国力(=経済力)の増強が必須と考えた。そして、その中には、欧米のグローバル・スタンダードを基本的に踏襲する、といった生活慣習を含意されていた(なぜなら、そうでなければ、欧米列強に馬鹿にされるから)。
そこには言うまでもなく、

  • 自らが捕虜になる「権利」

も含まれていた。当然である。どうして、自分が死ぬと分かっていて負ける奴があるか。そんなのは「自殺」である。狂気である。つまりは、そんな軍隊が強いわけがないのだ。

ハインリーチと、第3装甲軍司令官のフォン・マントイフェル装甲兵大将、そして第9軍司令官のブッセ歩兵大将は、既に敗北が確定した戦いで部下の命を犠牲にすることではなく、彼らを戦後まで生き延びさせることが自らの務めであると考えていました。
そのため、彼らは絶望的な状況下に置かれた前線部隊を、拠点にしがみつかせて全滅させる、つまり日本軍の語法で言う「玉砕」ではなく、部隊としての形態を保ったまま後方へと撤退させるという、ヒトラーの命令に真っ向から逆らう方策をとったのです。
冷酷な独裁者ヒトラーの命令に逆らうというのは、命に関わるリスクを伴う行為ですが、実は第二次大戦中、ヒトラーの命令に逆らう態度をとったドイツ軍人は、数多く存在していました。
その大半は、ソ連軍と戦う東部戦線において、ヒトラーが大都市などの拠点を守るドイツ軍部隊に対して下した「死守命令」の無視でした。自分の部下がヒトラーの命令で全滅することを承服しないドイツ軍の指揮官は、独自の判断を優先して撤退の命令を下し、大都市や拠点の放棄と引き換えに部下を死地から救い出すという行動をとりました。
キリスト教ルター派の牧師を父に持つハインリーチは、ユダヤ人迫害や占領地での非人道的な統治法に強い疑問を抱き、ナチ党への入党の勧誘もすべて断っていました。そして彼は、四月二十七日にマントイフェルとブッセの両部隊に西への全面的な撤退を命じた後、「総統命令を無視するのはまずいのではありませんか?」との懸念を表明した参謀に、こう説明しました。
「私にはこれ以上、自殺的で無意味な死守命令を下すことはできん。そのような命令を拒絶することは、部下に対する私の責任であり、ドイツ国民に対する責任でもある。そして神に対しても」

私たちはナチス・ドイツは狂気の集団だ、と考えやすい。それは、ヒトラーが狂っていたから、ドイツ国民も狂っていた、と言うわけだが、そういった先入観をもっている人には、こういった端的な事実は驚きなのではないか。
ドイツ人は、非常に多くが、実際にヒトラーに逆らっていた。彼に、正面きって、命令に従わなかったのである。
ところが、である。
当たり前であるが、そういった人は

  • 日本

にもいたのだ! 「まとも」だった人は、この日本にも存在したのだ!

ノモンハン事件の井置中佐は、部下を生き延びさせたのと引き換えに、軍内部の凄まじい心理的な圧力で自決を強要され、インパールの佐藤中将は「精神疾患」という形式で職を解かれて軟禁状態に置かれました。
佐藤中将は、命令違反の軍法会議で上層部(第15軍司令部とビルマ方面軍司令部)の不手際と無能力を告発する覚悟を固めていたため、そうした問題の指摘が記録に残ることを恐れた陸軍上層部が、彼の口を封じたとも言われています。
佐藤中将は独断撤退の過程で、次のような怒りの電報をビルマ方面軍に打電しました。「<現実的でない>でたらめな命令を<部隊に>与え、兵団がその実行を躊躇したからといえ、軍紀を盾にこれを責めるというのは、部下に対して不可能なことを強制しようとする暴虐に他なりません」
第31師団の中には、佐藤中将の「命令違反」と「独断撤退」のおかげで命を救われ、生き延びた兵士が大勢いました(その多くは四国出身者)。しかし、佐藤中将自身は戦後も元陸軍の人脈では「独断撤退でインパール作戦を失敗させた張本人の一人」という、理不尽な汚名を着せられることになりました。

軍人が軍隊に逆らうのは「当たり前」である。むしろ、どうしてそうではないと思うのか? 私たちは「正義」を生きている。自分が正しいと思うから、それに従うのであって、なぜ間違っていると分かっていることを行動しなければならないのか。
上記の引用を見てほしい。佐藤中将は、なんの合理的理由もなしに、陸軍中で、

  • 彼のせいで作戦に失敗した

と敗戦の責任を押し付けられた。しかし、言うまでもなく、佐藤中将の部隊が撤退しようが、玉砕しようが、戦局が変わるわけがなかった。それが自明であることが、陸軍のだれもが分かっているくせに、佐藤中将に、すべての「原因」を押しつける。
日本帝国陸軍というのは、こういう連中だったのである。
まともな、戦況分析もできない。自分たちに気に入らない奴に、責任を押しつけることしか考えていない。彼らは天皇に報告したのであろう。「佐藤中将のせいで、作戦が失敗しました。あいつさえいなければ、日本が負けることはありませんでした。不敬罪で、牢屋にぶちこみました」と。天皇に嘘をつき、日本を敗戦に追い込んだ日本帝国陸軍の狂気の集団。
安倍が神風特攻隊を、ユネスコの記憶遺産に申請した(却下されたみたいだが)ということは、安倍はこの上記の「狂気」を

  • 礼賛

している、ということなのである。どうしてこれに、国民は恐怖しないのか?
アメリカのキリスト教新宗教で、人民寺院というのがあったが、1978年にガイアナ集団自殺を行った。私はこの「いきさつ」と、日本のカミカゼ特攻隊を始めとした

は非常に似ていると思っている。あのまま、昭和天皇が無条件降伏の受諾を選んでいなかったら、日本人は本当に全員死んでいた。忘れないでほしい。日本は国民に、捕虜になることを禁止していた。しかし、原理的に自分が捕虜にならない方法は、相手に殺されるか、自分で自分を殺すしかない。つまり、原理的に日本は、

をしろ、というダブルバインドの命令を国家によって行われていたことに等しいわけである。つまり、「たまたま」昭和天皇が、日本国民の「人民寺院集団自殺」と同型の選択を行うことを

  • 嫌がった

から、今、日本人はこうして生きているにすぎない。日本という国は「こういう」国なのである。
前回、日本企業が、海外現地での、マーケティングを苦手にしている、といったことを書いた。それって、なんなのかな、と思ったわけである。たとえば、韓国のサムスンにおいては、社員が率先して、現地に住みつき、その

  • フロンティア開拓

に成功している。なぜ、それが日本にはできないのか? 例えば、韓国であれば朱子学の伝統がある。理気二元論であるが、これが現代科学の「ものさし」から、遅れた考えだと思うかもしれない。しかし、それは逆なのだ。むしろ、朱子学の「普遍主義」があるから、韓国の人は、そういった物理学の最先端を、猛烈な速度で吸収できる。つまり、朱子学の「マイナーバージョン」で行ける、ということなのだ。
他方において、日本はどうか? 古くは南北朝時代北畠親房の「神皇正統記」に始まり、吉田松陰に至り、彼らの言うことは

  • 中国には中国の国柄があり
  • 日本には日本の国柄があり

と、つまり、日本には中国にはない「天皇」という、やんごとない、ご身分の方々がいる、ということを言いたいのだろうが、普通に考えて、おかしいであろう。つまり、全然

  • 普遍的

でないわけだ。まるで、日本には日本の物理法則があり、中国には中国の物理法則がある、と言っているような「頭の悪い」感じになっているわけである。
これが典型的な「小中華主義」なのだが、同様の「矛盾」は、日本の植民地政策の拡大においても示されることになる。
さて。朝鮮半島と台湾は、日本の植民地になった。つまり、これらの国の現地の住民はみんな

  • 日本人

になったのだ。さて。彼らは、当然、日本帝国陸軍の軍人になるし、海軍の軍人になる。
しかし、ここで困ってしまうわけである。
日本の「国体」は、天皇のこととされた。その延長において、こういった海外の現地の住民の国民化政策は、実質的には

として行われた。つまり、アメテラス崇拝である。朝鮮半島や台湾の、あちこちにアマテラス神社を作って、天皇への祈りの所作を、朝から晩まで、人々に行わさせた。
ところが、他方において、なぜ日本人が戦争に勝てるのかの「理由」に

  • 神国日本だから

というふうに説明した。すると困ったことになるわけである。日本は植民地を拡大していっていた。つまり、日本が新たに侵略した国は当然、「日本ではない」。ところが、その時の国民は日本軍の兵隊になる。つまり「日本軍」となる。つまり、何を言っているのかというと、結局のところ、

  • 朝鮮半島や台湾の人たちの「内発的」な行動

は、帝国日本軍の「アイデンティティにならない」ということなのである。つまり、日本が拡大していくためには、どうしても植民地にした現地の人たちの主体的な、日本軍への「協力」が必要であるのに、彼らの文化的背景は

わけである。一言で言えば、日本は「アジア主義」にどうしてもなれなかった。アジアの「アイデンティティ」を認めて、彼らの「自治」を認めて、彼らとの「共存」を図れなかった。日本は「他者」に向き合えなかったわけである。
日本は、自分の目の前に、朝鮮半島出身者や台湾出身者が「いる」のに、その人に向けて話していなかった。その人に向けて話すのではなく、「日本人」に向けて話していた。神国日本が負けるはずがない、とか。でもそれは、「日本」に関わる「概念」なのであって、朝鮮半島の人や台湾の人が、それを理解しているわけがない。つまりさ。
日本は、朝鮮半島の人や台湾の人と「一緒に戦う」つもりがなかった
ということになるわけである。
こんな軍隊が強いわけがないよな。
私はある仮説をもっている。それは、例えば、歴史学者平泉澄がなぜ、あの敗戦の直前まで、こういった皇国史観を邁進したのか。つまり、どう考えても、彼のような、それなりに理性的に考えられるはずの、国家のエリートまで、そんな体たらくだったのかを考えたときに、日本が

ことが、最後の最後まで尾を引いたんじゃないだろうか。つまり、平泉澄なんかは、陸軍のかなりの、お偉いさんに、まるで「原子爆弾の開発までもう一歩」みたいなふうに話を聞いていたんじゃないだろうか。だから、ギリギリまで、神風特攻隊でもやって、時間稼ぎをするのも「しょうがない」くらいに考えていたんじゃないのか。なぜなら、もし開発に成功するなら、戦局が逆転して、日本が勝利していた、と見積ることも可能だったのだから。
ところが、日本の原子爆弾開発はまったく進んでいなかった。まったくできていなかった。平泉澄はそれを最後の最後で陸軍のエリートから聞かされて、だまされた、と思ったのかもしれない。少なくとも、もう少しは「いい線」を行っていると思っていたのではないか。それが、まったくできていなかった。つまり、「切り札」が当然あると思うから、無茶な暴論も止むなしでやってきたのに、陸軍に「だまされていた」わけで、まあ、言わずもがな、ということなのであろう。最後の望みが、この体たらくだったことと、その原子爆弾を逆に、アメリカに二つ落とされたことは、彼らが、なんの反論もすることなく、一線を退いて、敗戦を受け入れたことをよく説明する。
私には、どうしても日本が負けたことは「必然」に思われる。それは結局のところ、朝鮮半島にしても台湾にしても、その現地の人たちの「自治」を本当の意味で

  • 価値

あるものとして肯定できない。その現場における「コンテクスト」を理解しようとする気概もない。というか、上記の吉田松陰がそうであるように、「うちはうち、そとはそと」の発想だから、そもそも、「外」と「内」に共通した普遍的な法則が存在する、というふうな発想にならない。つまり

  • 日本の外は「カオス」

なのだ。最初から、その「理」を理解する努力をあきらめるわけである。皇国史観の弱点は、価値とは「日本」のことなので、日本の外の地域に住んでいる人たちを

  • 自分たちの「仲間」

と考える「契機」が、どこにもないのだ。だから、結局、日本軍は「拡大していかない」。大きくならない。「日本人」であること「そのもの」が価値なのだから、当然、あらゆる「戦功」は、日本人によって生み出されなければならない。そうでなければ「物語」にならないわけで、死ぬのは外国兵でもいいけど、武勲は日本兵でないと「かっこ悪い」というわけで、全然、巨大な軍事集団になっていかない、というわけである。
例えば、戦前の皇国史観でも、とにかく、天皇教は、信仰の薄い「非国民」を、ものすごい剣幕で「怒る」。まあ、「脅す」と言ってもいいわけですけど、まあ、戦後も続く、教育機関

が、いい例ですよね。こういった「態度」というのは、とにかく、天皇を中心とした「聖」なる位階秩序への、あらゆる「侮辱」を許さない、ということだと思うんですね。みんな、天皇を中心としたピラミッド構造の中で、自らの社会的「地位」というのが差配されている。だから、もしもこの権威秩序が、社会的な評判の中で崩されてしまったら、自らが寄って立つ「地盤」が揺らいでしまうんですね。

島田 そこには、西欧生まれの宗教学や宗教史といった学問の影響もあるかと思います。宗教学では、宗教の定義ということをやりますが、さまざまある定義のなかで重要視されているのが、フランスのエミール・デュルケムの定義で、そこでは、宗教というものは聖と俗とが分離あれていることが前提になっている。聖なるものを信奉するのが宗教であり、その領域は、俗なる世界からは隔絶されているというわけです。
聖職者という言い方が生まれるのも、そうした聖と俗との分離が前提になっていて、キリスト教カトリックでは、聖職者である神父は、生涯独身を守ることを誓い、その時点で俗界から離れます。
実は、こうしたあり方は、仏教とも共通していて、僧侶は出家して、俗界を離れることになっています。そのため、日本でも、デュルケムの定義が受け入れられやすい。神社が、鳥居や瑞垣によって俗界から隔てられていることも、そうした枠組みのなかで解釈しやすいところです。
ところが、イスラームの場合には、聖と俗との分離ということがない。その点で、キリスト教と仏教とは違うわけで、分離していないものを分けるということは本来無理なわけです。だから、イスラームには、キリスト教や仏教の聖職者にあたる人間はいなくて、みんな俗人ですね、イマームウラマーも俗人です。

この指摘は非常に重要で、例えば、リチャード・ローティは「芸術家」によって生み出される「詩」こそが、現代の「閉塞」した社会をブレークスルーする「エリート」として、この世界をひっぱって行く存在として、

  • 一般国民
  • 上級国民

の区別がされている。同じように「東大に入った知識人」「それ以外の専門学校並みの大学しか行けない一般国民」の区別がされたり、ようするに

  • 二元論(=聖と俗)

なわけである。そして、この分類の一番分かりやすいカテゴリーが「国家=聖」と「国民=俗」なわけである。
例えば、東浩紀さんの『一般意志2.0』は、そこが「ユートピア」として描かれているのに、そこには、なんらかの

  • 国家

があるわけです。つまり、一種の「国家論」になっているわけです。それは、例えば「オタク」が国家によって、他の国民から「守られて」生きる生態であることに象徴されるのかもしれません。国家は、国民が

  • 死なないように(=自殺しないように)

生物学的な「生存」を、国民の意志に関係なく「実現」します。それは、国家が自らの「生存」にとって、どうしても一定数の「国民」の

  • 存在

を必要とするから、と考えられます。しかし、これはおかしな話です。なぜなら、国家によって「生存」を保障させられた存在が、どうして「心」が国家に支配されていない、と言えるでしょうか。これは一種の

  • 奴隷

なのであって、この二つを区別することは倫理的に絶対にありえないわけです。
なぜユートピアに「国家」があるのか? 私が東さんを信用しないのは、ここにあります。しかし、これについては、以前も書いたように、一種の「SF小説」の流行(=国家論)だと言えるのではないでしょうか。SF小説には、この延長で考察された国家論がとても多い、ということなのです。
例えば、イスラーム学者の中田先生は、国家どころか、法人も「偶像崇拝」であり、廃止しなければならない、と言います。つまり、中田先生の話されるところによれば、イスラーム

だというわけです。しかし、例えば、柄谷行人が一時期、アナーキズムこそ自分の立場だと言っていたように、むしろ、なぜ「ユートピア」社会がアナーキズムでない、ということがありえるのか、と問わないのでしょうか?
例えば、経営学の奥村宏先生の株式会社論も、一種の「株式会社=法人」の限界の話になっている。

中田 ハラール認証は、ひどい詐欺だと思います。本来、ハラームというのはアッラーが決めたものであって、イスラーム法えは、酒や豚肉はハラームだと規定しているわけです。でも、イスラーム法の規定はそこまでであって、個々のラーメンやカレーがハラームかルかということは、個人がその都度、判断すればいいだけの話なのです。
島田 個人の判断でいいというのは?
中田 イスラーム法学者が見解を出す程度のことはできるけれど、最終的には本人がクルアーンハディースを読んで、自分の責任で判断しなければいけません。
ハラール認証の最大の問題は、特定の認証団体がイスラームの名のもとに認可していることです。イスラームではアッラー以外の権威は認めません。アッラー以外の誰かが「この食べ物はハラールだ」と言うことは、神の大権を侵すことですから、そういう人間は多神教徒だと私は思っています。
世界はこのままイスラーム化するのか (幻冬舎新書)

上記の引用は、この事情を非常によく説明しているように思われる。
これは一種の「大衆社会論」になっているわけである。本質的なところで、大衆による「集合知」以外の、超越的な「権威」を認めない。認めないということは、個々人による「自発的」な自生的秩序でいない秩序は存在しない、ということになる。アナーキズムは秩序がないことを意味するのではなく、だれもが自らの範囲内のことでないものに、責任を引き受けられない。だから、結果として理想社会は、アナーキズムに「ならなけばならない」ということを意味している。
例えば、ハイデガーを考えてほしい。彼は、いわゆる既存の形而上学を批判した。その場合、キリスト教を批判し、マルクス主義を批判し、プラトンを批判し、その延長として、ユダヤ教も批判した。その場合、彼は、その何を批判したのか。それは、一種の

  • 超越

の脇からの挿入だったわけであろう。なんら自明でない「超越」が、なんらかの「権威」の下、人々の認識において「受け入れさせられる」わけである、強制的に。ハイデガーはそれを受け入れられなかった。つまり、自分が納得することは、自らが「体験」した中で理解されなければならないし、それ以外の「超越」は、慎重に自らの中から排除される。
こういった姿勢は、どこかイスラームに似ているわけであるが、それはイスラームが基本的には、伝統的な「保守主義」の保守本流であるということもあるが、ハイデガーと同じくイスラームも、基本的には、アリストテレスから始まっている、ということにも関係しているのかもしれない...。

戦前回帰

戦前回帰