赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』

私たち日本人は、この日本の土地に生まれ、死んでいく。その場合、問題は日本国家と各個人の関係だと言える。私たち日本人はこの日本に生まれると、とにかく、日本国家によって、日本に「所属」した日本人ということで管理される。しかし、問題はその後である。
同じように、この日本に生まれた、それぞれの日本人が、いずれにしろ、そのまま、同じ平等な扱いをしたまま、みんな死んでいくのであれば、基本的には何も言うことはないであろう。ところが、国家はさまざまな形で、これら日本人一人一人に差異をもった扱いを始める。これをどう考えたらいいのだろうか?
では、なぜ国家は個々人を差別して扱うのだろうか? それは多くの場合、なんらかの「理由」があって行うことになる。
例えば、軍人恩給というものがある。こういった制度は、明治維新の頃から、欧米の国々にも存在したようであって、基本的にはそれらを真似る形で日本の法体系も整備されてきた。
国家の役職につき、それを理由に、年金をもらう、という場合は考えられるであろう。今の日本にも存在するようだ。軍人恩給は、たんに軍隊という「公務員」の役職のものが、退役後に年金をもらう、という話だけではない。つまり、軍人には「殉職」の可能性が大きくある。また、それを国家が「強いている」側面がある。
そこから、軍人には、なんらかの「職務行為」の結果として死に至った場合に、その「恩給」を、その人の「家族」に保障していこう、という考えが広まってきた。
しかし、この考えは少し問題を含んでいる。なぜなら、死んだのは「公務員」であった本人であって、別に「家族」が国家に奉仕したわけではないからだ。つまり、この場合「家族」ってなんなんだ、となるわけである。
本人は死んでいる。
だとするなら、国家は一体、何をしていることになるのであろうか? これは少し個人主義から離れている。

  1. 例えば、次のように考えてみよう。ある福島第一で働いていた労働者がいたとする。その人が、ある日、ガンになったとする。ニセ科学批判の学者たちは、次々と「こいつがガンになったのは福島第一の被爆は関係ない」と主張する(確率論だと言っても、どうしても分かってくれない人たちのようで)。しかし、あまりにも忍びないので、国家は労災認定をしたとする。その場合、もしも本人が死んだ後、家族に「恩給」を行うべきであろうか? もしもやらないとするなら、どういった理由によってやらないのか?
  2. では、こんな場合を考えてみよう。日本に生まれたある人は、生まれてから死ぬまで、別に、公務員をやったことはない。ただ、ある一日だけ、戦争の後方支援として、軍隊に「アルバイト」として、雑役をやらされた、としよう。この人が死んだら、家族に恩給は必要ないのだろうか。もしもないとするなら、その「理由」はなんだろうか?
  3. ある生まれて一ヶ月で死んだ子どもがいたとしよう。その子どもが死んだのは、日本が戦争をしていて、戦火にまきこまれたためだとしよう。この場合、家族に恩給は必要ないのか。ないとするなら、その理由はなんだろうか?
  4. ある自民党議員が、なんとかして、自民党議員は全員、未来永劫、家族に「恩給」を与えられないだろうかと考えたとしよう。これを原理的に禁止させられるとするなら、その理由はなんだろうか?
  5. ある、まったく国家と関係なしに今まで生きてきた人が死にそうだったとする。その人が、なんとなく、自分が今まで生きてきた中で、どっかの公務員を助けた気がすると言いだした。しかも、命を救ってやった気がする、と言い始めた。さて、この死にそうな人の家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  6. ある日、突然自殺した人がいるとする。その人の遺書を読んだら、いろいろ書いてある中の一カ所に、ちょこっと「軍隊での戦闘行為がつらかった」と書いてあったとする。さて、家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  7. ある反日ゲリラで戦って戦死した兵士がいたとする。たくさんの日本人を殺してい。しかし、この人は若い頃の一時期、日本の軍隊に傭兵として働いていたことがあった。この人の家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  8. まったく国籍が日本と関係ない、外国人が死んだとする。この人は、たまたまなにかの縁で、その外国の現地で日本の兵隊を助けたとする。この人の家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  9. ある、まったく日本と関係することなく、外国で生涯を終えた外国人がいたとする。この人が生前、「なぜか」俺って日本の政府から死後、恩給をもらえるべきなんじゃないかな、といった根拠のないことを言っていた時期があったという。さて、この人の家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  10. 日本が戦争中に、ある日本兵が敵に捕虜でつかまって、日本の秘密をぺちゃくちゃしゃべって、日本の敗戦後、日本に帰ってきたとする。もしかしたら、この人の秘密暴露で日本は戦争に負けたのかもしれない。しかし、この人は、敵に捕虜としてつかまる前に、日本を壊滅的な損害にあわせたかもしれない、あるトラブルを救ってくれた、日本人ならだれもが知っていた「日本の恩人」だったとする。つまり、そのときは、天皇制の護持は彼によって守られたと言っても過言ではないくらいの人物で、実際に、天皇から勲章さえももらっていたとしよう。さて、この人の家族に恩給をやらなくていいのだろうか?
  11. 実は日本は敗戦の後、アメリカの植民地になっていて、もうすでに日本という国はなくなっていたとしよう。日本国民は全員、今ではアメリカ国民として「自由」を「謳歌」している。ところがある日、どうも日本国内には、アメリカの植民地を認めることができない「レジスタンス」がいることが分かった。さて。ここで問題である。アメリカの植民地となった日本占領区の国民が死んだとき、その家族は、アメリカから「恩給」をもらえるのだろうか? アメリカは、日本国内にいるレジスタンスが死んだとき、その家族に「恩給」を払わなくていいのだろうか?
  12. あるカミカゼ特攻隊となって死んだ兵士がいたとする。ところがこの人は後になって、とんでもない遺書を書いていたことが分かる。そこには、自分はカミカゼ特攻隊になりたくなかったのに、麻薬で思考回路を破壊されて、飛行機の柱に縛られて、抵抗したのに無理矢理、飛行機と一緒に自殺をさせられた、と。自分は天皇制に反対だし、日本の戦争に反対だ、と。自分は非国民だから、カミカゼにさせられて殺されたんだ、と。さて、この人の家族に恩給をやるべきなのだろうか?
  13. ある日本兵が中国で現地の人たちを残虐に殺したとします。村の若い女性をレイプして殺しました。ところが、この人はある日本の戦争で殉職しました。そしてこの死は「靖国」に合祀するに値する最後の働きっぷりだったと判断されました。さて、この人の家族に恩給をやるべきなのだろうか?
  14. ある生まれてから毎日、国家のために尽したいと考え続けていた人がいたとします。この人はしかし、全身を動かすことも、声をだすことも、できず、外の人とコミュニケーションができない病気だったとする。この人は一日も欠かさず、一瞬も忘れることなく、なんとかして、天皇様にご奉公ができる方法はないかと考え続けました。しかし、彼は死ぬ直前になっても、その方法を見つけられずに最後を迎えてしまいました。だれよりも多くの時間を、だれよりも真剣に、天皇様へのご奉公を行うことだけを考え続けたこの人の家族に恩給をやるべきなのだろうか?
  15. 与党と野党が一年ごとに、政権を交代していたとする。ある人は一方の政党からは「この国に殉じる恩給に価する人だ」と言われていたが、他方の政党からは「国賊そのものであり、今する死刑にすべきだ」と言われていたとする。この人の家族に恩給をやるべきなのだろうか?
  16. ある貧しい家庭があり、それを心配していた人がいたとする。その人は、その家族の父親が病気で亡くなりそうであったこともあり、無理矢理、その父親には家族に恩給を与えるべき功績であったと「でっちあげ」て、その貧しい家庭の経済状況を助けてあげようとしたとする。もちろん、一見すると、この父親にはそんな功績はない。嘘である。しかし、もしかしたら彼の人生を細かく精査をすれば、それに相当する功績があったかもしれない。わからないが、こんなに真面目に生きた人なんだから、そんなことがあったと考えることも、それなりに合理的なんじゃないかと、その人は弁解した。さて、その家族に恩給をやることはそんなに悪いことでしょうか?
  17. 生まれてから死ぬまで、一度も、国家へのご奉仕を行いたいとも考えたこともない人がいたとします。その人がある日、たまたま、働いていたときに発明したアイデアが、日本中のある病気で苦しんでいた国民を助けたとします。しかし、そうなったときも、その人は、一度も国家にご奉仕をしていると思ったことはありませんでした。たんに、自分のお金儲けのために働いただけであって、それ以上でもそれ以下でもないと考えていました。つまり、この人自体は死ぬまで、自分の利益のためだけに生きてきたと思っていたわけだが、この家族に国家は恩給を与えるべきだろうか?

さて。
この人は何を言っているんだろう、と思った人はいるかもしれない。というのは、恩給とは一種の「遺族給付金」なので、公的な行為によって死がもたらされた故人に対して、もしも、その人が「そのまま」生き続けた場合に、もたらされたであろう「金銭的保障」を国家が親族に対して行おう、という理念なので、この延長で考えるなら、上記の問題は比較的、合理的な範囲で整理されることが想定されるからである。
しかし、である。
上記の「恩給」の話を、もしも「靖国神社に合祀する」かどうかの問題に変えた場合はどうだろうか? 言うまでもなく、靖国に合祀するかどうかの問題は、

  • 日本だけ

に存在する問題である。しかも戦前は、靖国神社の管理主体は、陸軍や海軍であって、明治政府の成立以降は、陸軍と海軍が実質的に合祀の判定を行っていた。
そもそも「ヤスクニ」とはなんなのだろうか?

維新前後の新政府による合祀に関する決定は、一八六八(明治元)年五月一〇日付の二つの太政官布告で示される。第一の布告は、ペリー来航の一八五三(嘉永六)年以来、転化に先んじて国政問題に関わって死んだ「諸子及草莽有志の輩」、つまり安政の大獄で死罪となった吉田松陰のような勤皇の「国家に有大勲労者」を、明治天皇が「争か湮滅に忍ぶべけんやと被歎思食」(どうして埋もれて跡形もなくなることを我慢できようかと歎かれ)て、京都「東山の佳域に祠宇(ほこら)を設け右等の霊魂を合祀」するという方針を示したものである。第二の布告は、戊辰戦争で奮戦した官軍側の戦没者に対して天皇が「千辛万苦邦家之為に終に殞命候段深く不便に被思召」(たいへんな苦労をして日本の国ために命を落としたことをかわいそうに思われ)て、京都の「東山に於て新に一社(一つの神社)を御建立、永く其霊魂を祭祀」するというものであった。そして後者の戦没者を祀る「一社」には、「向后王事に身を殲し候輩も速に合祀」すると、今後の官軍側の戦没者も急いで「合祀」することが約束されていた。

こうやって見ると、そもそも靖国神社の前身の招魂社は、「王事」と必要十分の関係にあるのではなく、強く「明治天皇の、ある感情」に関係して成立していることが分かる。つまり、明治天皇

  • どういった存在「だから」

合祀が必要だと思ったのか(忍びないと思ったのか)がよく分かるのではないか。つまり、なぜ合祀をするのかといえば、どうしてもそうしないと判断するには納得ができない。それくらい「何かをしないではいられない」感情が伴って行われるもの、という前提があるわけである。
このように考えたとき、東郷平八郎大山巌は、そもそも「合祀」の資格に適合するのか、というのが分からなくなっていくわけである。

東郷、大山は、ともに戦争に参加して勲功を立てた者には違いないが、「万死に生を得、凱歌郷閭に旋り、軍人最高の賞典に浴して、天寿を全うしたるもの」(多くの者が死ぬところで生き延び、凱歌が故郷の村の門に響き渡り、軍人最高の褒美を与えられて、自然の寿命で死んだ者)であって、「敵弾に死し又は戦役勤務に起因して中道に斃れたる者に」比べると「武人望外の幸運者」にほかならない。

ようするに、東郷や大山は国民に人気があった。そして、生前にたんまりと報奨をもらった。だれからも「ちやほや」されて、天寿をまっとうした。つまり、彼らは「十分に承認を得た」わけである。もう、ここまで人々の記憶の中に残ったなら、なんで、明治天皇がわざわざ彼らを「忍びない」と思って、合祀をしなければならないのかの理由がないわけである。
大事なポイントはなんだろう? 靖国神社、つまり、招魂社は、あくまでも

に関係して「定義」された何かだった、ということなのだ。つまり、このポイントを離れた時点で、なにをやっているのかが分からなくなる。つまり、この明治天皇の気持ちの「延長」で、あくまでも考えないと、一体、誰が合祀されるべき対象なのかがさっぱり分からなくなる。この最低ライン。明治天皇の「志」を離れた時点で、靖国神社はその「役割」を終わるのだ...。

戦没者合祀と靖国神社

戦没者合祀と靖国神社