ヤクザとIS

私がおもしろいなと思うのは、日本においては、例えば、オウム真理教酒鬼薔薇や秋葉ナイフ事件やタリバーンやISは、「問題」だと騒ぐのに、なぜか、日本「古来」の

  • ヤクザ

については何も言わないんだなあ、ということである(同じく、欧米やアジアのマフィアを並べてもいい)。これって、自称リベラル的になんなのだろうね、と思うわけである。
つまりさ。リベラルって、ようするに、自分の見えないところで、何かが行われていることには文句は言わない、と言っているだけなんじゃないのか、って気がするんですよね。つまり、体裁さえ整えてくれれば、あとはどうでもいい、というような。
なぜ、日本において、暴力事件が少ないのか。端的に、拳銃をほとんどすべての国民がもっていないのか。
まあ、ヤクザがもっているからだよねw こんなことは、自明なわけでしょ。ヤクザが拳銃をもっていないはずがない。でも、逮捕されないよね。これって、自称リベラル的になんなんだろうねw
ヤクザは、日本の各地域を、実際のところは、「縄張り」として管理している。それは、日本の大学の自治会を、中核派革マルといっった各新左翼が「縄張り」として管理していることと同じだ。そのことを、ほとんどの国民が意識しているかどうかなんて関係ない。というか、もしも、そのヤクザがその地域の「管理」を止めたら、別の暴力組織が管理を始める、という関係があるに過ぎない。
つまりは、実際はリベラルな諸関係は、こういった「バックグラウンド」によって、暴力が

  • 最小化

されている、ことによって成立している、ということを意味しているに過ぎない。そういう意味では、リベラル的理念なんて関係ないのだ。
つまり、どういうことか? あらゆるリベラル的関係は、こういった「暴力」の網によって、安定化されない限り、成立しえないということを意味している、ということになるであろう。
自称リベラル的「たてまえ」を考えるなら、この「暴力」は

  • 国家

だけが独占すべき、ということになる。しかしさ。もしもそんなことになったら、こんなに日本は「平和」じゃないよね。だって、警察も自衛隊も、その暴力を行使するには、

  • (正統なる)手続き

を必要としているわけでしょう。つまり、そういうことなんですよね。警察も自衛隊も、本当の意味での暴力装置じゃないんだよね。つまり、これらは事件が起きた

にその事後処理として呼び出されるツールに過ぎなくて、本当の意味での暴力ではない。本当の意味での暴力は、今、自分が傷つけられようとしている、その瞬間に必要とされるものなのだから、警察や自衛隊では十分ではないわけだ。
つまり、これが自称リベラルの「たてまえ」なんだよね。
私たち市民社会アンダーグラウンドは、そういう意味で、常に、こういった暴力組織が「存在」する。それは、避けがたく存在するのであって、どんなに排除しても、必然的にそれを代替するものが自然発生的に生まれてしまう。
そういった文脈で、ISを考えてみると、ISも非常にヤクザに似ているな、という印象を受ける。この前の、パリ襲撃事件は、確かにタリバーン的なテロといった印象はあったが、それまでのISの基本的な行動は、イラクとシリアを中心とした

  • なわばり争い

がメインであった。つまり、彼らにとっては、その争いの敵側に味方する「有志連合」に対して、余計なことをするな、といった反応として、時々、イラクとシリアの外に対して、示威行為が行われていたが、基本的には彼らの行動は、イラクとシリアに閉じていた。つまり、こういったISのヤクザ的「なわばり争い」に関わってこようとしない限り、ISは基本的にはイラクとシリアの外に関わってこようとはしなかった、と考えられる。
もちろん、こんなふうに言うと「そんなはずはない」「ISは世界が奉じるリベラル的正義に敵対する勢力であり、リベラル的理念を信仰しようとしない、<悪>の存在なのであって、いずれ世界に仇なすに決まっている」という反応が帰ってくるのであろう。
私も別に、それを否定したいとは思わないけどw、しかし、そんなふうに言うなら、なんで、自称リベラルは、

  • 自分が住んでいる地域のヤクザ

にそう言わないんでしょうね。彼らがもっている「暴力」と戦えばいいのにね。ISはおそらく、一定の条件さえ飲めば、イラクとシリア以外の欧米諸国と

  • 手打ち

をするであろう。そうすれば、少なくとも、パリのテロは鎮静化する。まさに、日本の私たちが住んでいる地域のヤクザが、街中で発泡事件を起こさないのと同じように。
さて。これと、なんの違いがあるんでしょうね...。