多様性の悪魔

イギリスがなぜEU離脱をしたのかについて、それは「宗教」があったんじゃないのか、といったブログがあり、なるほどと蒙を啓かれた。

英国の主たる宗教は「英国国教会」であり、キリスト教の一派であるが、首長は教皇ではなくイギリス国王である(現在はエリザベス女王、実際にはカンタベリー大主教。ちなみにプロテスタントギリシャ正教は、ローマ教皇のような首長を戴かない)。そのため、このままEU統合が進むと、エリザベス女王の宗教的な地位が微妙なものになると予想できる。実際、エリザベス女王もEU離脱には賛成との報道もされた。
ユーロ紙幣のデザインが検討されていた時期のことを思い出す。当初はコインと同様に、裏面のデザインは各国に任されていた。その後、紙幣の透かしの部分だけが、各国の裁量ということなった。英国では当然エリザベス女王の透かしを入れる予定だった。
しかし、最終的なデザインでは、コスト面から共通デザインとなって各国のオリジナルの部分がなくなった。その際に英国がユーロへの参加を見送る発表がされた。聞いてみると「エリザベス女王が入っていない紙幣はおカネじゃない」という声があった。それだけエリザベス女王が必要不可欠ということである。経済統合、そして通貨の統合に向かう道のりは、政治面・経済面・心理面の3つがあり、特にこの宗教が大きく影響する心理面が、今回大きく影響したと考えている。
英国の国歌は『女王陛下万歳(God Save the Queen )』である。
英EU離脱の隠れた理由は「宗教」だ | 宿輪ゼミLIVE 経済・金融の「どうして」を博士がとことん解説 | ダイヤモンド・オンライン

日本の明治から終戦までの、「皇国史観」を見てみると、そこには明らかに、なんらかの日本人としての「共同性」が主張されている。つまり、だからこそ、日本人は日本人を強制できたし、従った。ここは、とての重要なポイントで、例えば、平泉澄にしても、彼の主張する「皇国史観」を、まさか、日本人以外に強制できるとは考えていなかった。彼の演説は、たとえ、台湾や朝鮮半島が日本の植民地であり、日本の領土になっていたとしても、そこに昔から住んでいた、

に自分が主張する「皇国史観」を理解し、受け入れてもらえる、と考えていなかった。というか、むしろ、彼らが「受け入れる」などと言ったなら、それがどれほど「嘘」であるのかを立証したであろう。
つまり、私が言いたかったのは、なんらかの「宗教」性が、私たちに、たんなる「損得」を超えた、「共同」性を与えているのではないか、という仮説である。
例えば、この日本に産まれて、この日本で育った人はだれでも、この「日本」という土地で育ってきた日本人であり、そういった人間関係をなんらかの「特殊」な価値として、評価しているであろう。私はそれを、ここでは、

  • 在郷心

と呼んでおこう。子どもの頃に育った土地の人たちに、なんらかの「なつかしさ」や「意味」を感じている。それが広がって、故郷への、なんらかの「愛着」をもっている。そういったものと、「宗教」とは、非常に近い位相にある、と思っている。
私がいわゆる「リベラル」という言葉を信用しないのには、そこに原因がある。
例えば、いわゆる、大学出身者たちは、なぜ大学に入れたのかというと、

  • 語学が得意

だから、という特徴がある。つまり、最初から彼らは、「国際化」に対応している。日本にいなければ生きていけない、という語学的な制限もない。
例えば、「多様性」という言葉を、リベラルはよく使う。しかし、私思うんですけど、自分がその「多様性」がなんなのかを知らないんですよね。だから、多様性なんですよね。なんで「知らない」のに、「認める」んですかね。なんで認められるんでしょうか。偽善じゃないんですかね。普通に考えたら、多様性って「怖い」んじゃないですかね? 自分の今の幸せを壊すかもしれない、とか考えないんですかね。
リベラルが多様性を「認める」と言うとき、おそらく彼らはそういった多様な人々と「競争で勝てる」と思ってるんですよね。つまり、例えば海外からどんなに低賃金労働者が流入してきても、自分は彼らよりも「優秀」だと思っている。そこにはおそらく、「語学」があると思っている。例えば、少なくとも、外国人労働者より、日本語を母国語にしているだけに、日本語では負けない、とか。
でも多くの場合、そんなふうに思えない弱者がほとんどなんじゃないだろうか。IT系にしても、中国や韓国の優秀な人が、日本に稼ぎにくれば、普通にかなりのレベルで日本語を話す。それなりにそれを「脅威」と思うことには理由があると私は思っている。
言わば、自称「リベラル」は「強者」なのだ。

「ことほどさように地方と東京、大都市では世界観に大きな差があり、お互いはお互いの想像力の壁の外にある。」 貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち  | 「貧困報道」は問題だらけだ - 東洋経済オンライン toyokeizai.net/articles/-/123...
@hazuma 2016/7/4

記事の趣旨とはまったく異なるが、東京がもはや日本を代表せず、東京と地方のあいだに世界観や人生観で大きな落差が生まれつつあることは、日々ゲンロンのような仕事をしていても痛感する。ゲンロンは東京でしか成立しない。放送を見てくれるひとも何らかの意味で東京を志向しているひとだ。
@hazuma 2016/7/4

英国のEU離脱決定後のロンドンを見ても思うのだが、世界はこれから、国境ではなく、都市と地方で分割されるようになるのかもしれない。ますます豊かになり相互に連結されるグローバルシティと、その後背地としてどんどん引きこもり排他的になり愛国主義的になる各国地方政治。
@hazuma 2016/7/4

そのとき、都市につくか地方につくかの選択は難しい。どっちにもいい面と悪い面がある。ただ、これからの本当の政治的対立は、右左ではなく都市と地方から生まれるのではないかと思う。日本でも、いまはまだ地方もみな活躍というお題目がまかり通っているが、そろそろそうはいかなくなるだろう。
@hazuma 2016/7/4

ところで(またどうせ左翼から敵認定されるのでしょうが)、ぼくが本来支持する政治的な立場は、経済成長を志向し、多様性に対して肯定的な、地方に金を無駄にばらまかない改憲勢力です。ぼくがこの数年選挙のたびに文句を言っているのは、ないものねだりとかではなく、そういう勢力が消えたからです。
@hazuma 2016/7/4

上記の東浩紀さんの議論で、注目すべきは「地方に金を無駄にばらまかない」というところであろう。ここは明確に意思をもって書いているのであって、ようするに、わざわざ、「都会」の無駄については書かずに、「地方」を強調している、というわけであろう。
私なりに意訳をすれば、

  • 地方に金を[自分が判断して]無駄にばらまかない

ということになる。しかしね。本人が自分は東京出身で、地方に興味がないと言っているのだから、地方に使われる「あらゆる」お金は、東さんにとって、全て「無駄」に見えるんじゃないんですかね。少なくとも、地方について「知らない」し、別に、地方に住みたいとも思っていないんだから、東さんにとっては、地方は「無駄」なわけでしょう。少なくとも東さんの人生にとって、地方はなんの意味もない。
そういえば、「福島第一原発観光地化計画」という本がありましたけど、あの本って。東京と福島と大阪を、リニア新幹線で結ぶっていう話しか書いてなくて、ようするに、新幹線が素通りする地域は、彼にとっては存在しないのと同じ、というか、語る価値がない、と思っているんでしょうね(この人間違いなく、近いうちに、原発大賛成とか言い始めますよw だって、原発って、地方にありますからね。地方にある限り東京への影響は限定的なんでしょうから)。
東さんは東京で暮らしていて、その東京には、日本国家の政府の中枢があり、そういった官僚や国家政治家たちに、東さんはロビーイングをして、なんとかして、彼は地方にお金が使われることを妨害すうことを、これからの人生の生き甲斐にする、ということなんでしょうねw 怖いですね。友の会とかに入っている人はそのお金が、こういった活動に使われることを覚悟してくださいねw
私、よく分からないんですけど、そもそも、この東浩紀さんって、なんか一つでも哲学の分野で「すごい」と言われるようなことを言ったんですかね? 私、今まで、そんな「東浩紀論」って、一つも読んだことがないんですけど、実はこの広い世界のどこかに、そんなものがあるんでしょうかね?
とりあえず、評価できることといえば、動ポモで、エヴァやKEYの作品をこういった「哲学畑」の世界で、先駆的に評価した「さきがけ」として参照されるくらいで、そもそも、それ以降の仕事を見ても、ほとんど、なんの影響を与えるほどのこともやっていないんじゃないですかね(実際、東さん本人がそんなに、まとまった論文を書いてませんよねw)。
デビュー作の「存在論的郵便的」も、典型的なソーカル問題のポストモダンエセ科学論に思われるし(ゲーデル不完全性定理への言及なんて、柄谷さん以上に典型的なエセ科学に読めますし、実際なんで、この本だけ、文庫になっていないんでしょうw)、そういえば、なんで柄谷さんと東さんは、雑誌で対談しないんですかね(批評空間で、鼎談があったの以外にありましたっけ)。
ところが、ツイッター上では、どうも元気みたいですねw まあ、気に入らない反論はかたっぱしからブロックしたからなんでしょうが...。