ドーピングってなに?

今週の videonews.com は今のリオ五輪にまるで水を差すかのようにw、ドーピング特集をやっている。それだけ、電通オリンピックが嫌いなんだな、と思って傾聴させてもらった。
さて。ドーピングってなんだろう?
例えば、アフリカのマラソン選手がマラソンでいい成績を残すのは、彼らは産まれたときから、

をやってたってことじゃね? あのさ。高地トレーニングって、「ドーピング」なのかな、そうじゃないんかな。どっちなのかな。
高地トレーニングは、それなりの「手続き」をふんでやれば、かなりの確率で「成果」がでる、ということらしい。つまり、普通に「ドーピング」をやったときのような、さまざまな運動能力が高くなった「数値」がでるんだそうだ。
まず、高地トレーニングをやることが、その選手にとって、それなりに「つらい運動」であるという点はいいだろう。しかし、もう一方の側面はどうなのだろう。つまり、高地トレーニングをやったら、晩年に大きな「後遺症」が、麻薬をやったときのように、あらわれないのだろうか? まあ、普通に聞いていると、それなりにリスクがあると言っているのだから、なんらかの「後遺症」は残りそうなものに聞こえる(というか、どうしてそこに「ドーピング」との差があると言えるのかが、さっぱり分からない。だって、「ドーピング」をやったときと同じような、運動能力の向上が起きると言っているんだから、普通、後遺症も同じようにあるんじゃないのか。そう考える方が普通なんじゃないか)。
どうも、うさんくさくなってきたわけである。
さて。「高地トレーニング」について、一時期、「ドーピング」と同じように「禁止」にしようとしたときがあったのだそうである。
うーんw
一時期、「高地トレーニング」を禁止しようとしたものが、なぜか今は禁止されていないとして、さて。これって「ドーピング」じゃないって、どういう意味なんだろう? たんに今、「禁止」されていない、という事実があるだけで、「ドーピング」なんじゃないのか? だって、その時の議論の流れによっては「禁止」されていたんだろ? ということは、これからだって、いつ「禁止」になってもおかしくないよね。
ようするにさ。ドーピング業界って、こんな話がいっぱいある、ってことなんじゃないの? ある薬は、今は、「ドーピング」扱いになっていません。でも、「いつか」は禁止になるんだよね。じゃあ、どーすんの? 「未来」のドーピングで、集めた「金メダル」は、金メダルなのかなw
この世界は「ドーピング」だらけだw

  • ISのテロリストの多くは、当たり前のように、テロを行う前にドラッグを使っているらしい。
  • 戦争中の帝国日本軍の兵士は、当たり前のように、ドラッグを使っていたし、そもそも、カミカゼ特攻隊は、ドラッグを飲まされて、突撃させられた(そんなことを「させた」側の国家が、靖国神社で彼らを「顕彰」するなんてのも、ふざけた話にしか聞こえないのだがw)。
  • 日本の子どもたちの間でも、優等生ではない不良の間では、比較的に簡単に、法的に禁止にまでなっていない脱法ドラッグが普及しているらしい。まあ、そりゃそうだろう。不良なら、煙草やお酒をやることにそれほどの抵抗もないなら、脱法ドラッグだって、それほどの抵抗もないのだろう。
  • 相模原の植松容疑者も、大量虐殺を行う前から、ドラッグをやっていたんじゃないのか、と言われている。

ようするにさ。私がここで言いたいのは、いわゆる「徳倫理学」が言っていたような、「勇敢さ」とか「勇気」とか、そういった「倫理」って、クスリきめて、ラリっちゃった人の「何か」を言ってただけなんじゃないのか。なんなんだろう。なにかを「能力」とか言って、「賞賛」したり「寿い」だりって、根本的に間違っているんじゃないのか、とまで思わなくないんだよね。
たとえば、南アフリカのW杯のとき、サッカー日本代表が予選を通過したわけだが、それについて、杉山茂樹は著書で当時の岡田監督の采配を評価しているわけだけどさ。それって、ようするに「ドーピング=高地トレーニング」ということなわけでしょう。なんか、評論家とか、なんなのかなと思わなくもないよね。ようするに、適当なことを言ってるだけなんじゃねーの、とは思うわけである...。