島園進・橋爪大三郎『人類の衝突』

こういうことを言うと、なんなんだ、と思われるんだろうけれど、ほとんどの人はなんとなく気付いているんだけれど、それをうまく言葉にできないでいる、というのはあると思っているんですね。例えば、相対的貧困や格差の問題にしても、どう考えても、これって「解決」できますよね? だって、これだけITが普及して、あまりお金がなくて苦しんでいる家庭が、ちょうど、貧困で苦しくなっているとか、オンタイムで把握できるような時代になっているはずなわけでしょう。
どう考えても、貧困を「解決」するシステムは作れるし、勉強をしたいけど、家庭が貧しくて進学をあきらめようとしている子どもを、進学をあきらめなくてもいいようにできるシステムは作れるし、実際、

  • だれか

がそれを構想すれば、すぐにでも実現されることは、明らかだと思うんですよね。
じゃあ、なんでそういったシステムが、いつまでも作られないのかな、と考えるわけです。そう考えたとき、明らかに、それを「邪魔」している人というか「エリート」がいるんじゃないのか、と思うわけです。つまりは、

  • 御用学者

です。つまり、国民は御用学者にだまされている。国民は自分が「幸せ」になりたいなら、困っている人を助けたいなら、こういった「御用学者」と戦わなければならないんじゃないのか、と思うわけです。
ということは、つまりは「政権交代」です。以前の民主党政権のとき、「子ども手当て」や「高校無料化」が行われました。さて。自民党政権になりました。それはなくなったでしょうか? なくなってないわけです。規模を小さくはなっているかもしれませんが、継続している。なぜ継続しているかというと、ようするに、

  • 国民の支持

があるから、自民党でも止められないわけです。
これが政権交代の効果なわけです。日本の政治は、自民党政権がずっと続いてきました。このことは、自民党が日本の

  • 貧しい人たち

に対する、福祉を「できるだけ」少なくしてきた「努力」の結果だったわけでしょう。役所の窓口で、生活保護の申請をする日本人を、「窓際作戦」と呼んで、突き返してきた。これが「自民党」の本性なわけであり、それに抗うなら、政権交代を起こすしかない。
ところが、である。
日本のマスコミには、こういった事態になると、次々と「御用学者」が現れて、「そんなことは無理だ」とか「あきらめろ」とか言い始めるわけです。
例えば、掲題の対談の著者の一人の橋爪さんは、財務省の手先となって、日本の財政は今にも破綻する、その日本の危機を回避するには、消費税を今の何倍の増やさなければならない、みたいなことを、自著で言うわけである。なんて言うか。わざわざ、「消費税」なんですよねw まさに、財務省の「手先」そのものじゃないですかw
この橋爪さんという人は、実は、ネットの世界では今や「有名人」で、
【批判】これはひどい…橋爪大三郎 - Togetter
以前書かれた『ふしぎなキリスト教』という本の内容にあまりにも「間違い」が多いにもかかわらず、まったく、それに対して一つ一つ「応答」されない、ということで、ボロカスに言われている。しかも、東工大の教授だそうで、原発の御用学者を思わせる発言までしているということで、やれやれ、というわけである。
しかし、私はそもそも、この人の問題は以前に、『天皇の戦争責任』という鼎談の本を出していて、そこで意味不明の「昭和天皇に戦争責任はない」という論陣をはっているのを読んだときに、この人は重症だな、と思ったわけです。もちろん、昭和天皇は敗戦時に、GHQによって免罪はされましたけど、戦前の大日本帝国憲法の構造を考えれば、昭和天皇に戦争責任がないとするなら、一体、だれの責任を問えるのか、という形になっていたわけでしょう。
つまり、一般庶民の感情論として「昭和天皇の戦争責任を問うなんて畏れ多いんじゃないのか」と言うのなら分からなくはないけど、まともな学者がこんなことを、非論理的に言っている時点で、もう「ネトウヨ」レベルって、ことなわけでしょう。
一事が万事そうなんじゃないか、と思いますけどね。
御用学者というのは、分かりにくいものですよ。それは、3・11のときの明らかな科学者たちの「御用学者」っぷりというのは、めずらしいわけで、普段は、「隠そう」としますからね。「まとも」な学者のふりをするわけです。
そういう意味では、私は彼を兄弟子としている、宮台真司さんも御用学者だと思ってますけどね(二人とも、財務省の手先の、消費税増税論者だというのが嗤えますがw)。例えば、宮台さんは最近、さかんに「国はこれから、もう福祉に回すお金を増やせない、二度と、絶対に」といったデマゴーグをさかんに発言しています。つまり、グローバリズムによって、企業が国外に流出するようになったから、無理だ、と。
しかし、であるw
本当に無理かどうかは、次に政権交代する政府が考えることですよねw 橋爪さんも宮台さんも、また、東浩紀さんも、口を開けば「左翼批判」をしていますけどw、ようするに、左翼政権にならなければ、国民の福祉を増やせない、ということを言っているだけでしょうw
こういった「御用学者」に気をつけてねー。

島園 ですから、先ほど右派の思想がサブカルチャーレベルになるという話がありましたが、それはさかのぼれば江戸時代の国学や水戸学といった思想の傾向を引いているし、日本の古代にできた天皇国家の体制を明治維新で復興させようとして出てきた問題は、戦後も引き継がれていると私には見えます。では、しっかりした知的土台をもった思想はというと、西洋由来のものを超えて、日本の思想伝統に接続するというところがたいへん弱いです。
先ほどの橋爪さんの話は、学生運動が盛んだった1968年の私たちに帰ったかのような戦後知識人批判です。私もその心情は一時共有していましたが、今はそこまで全面的に批判する気にはならないとうか、それを批判している私たち自身も、そんなに確かなものを持っているわけではないと思うのです。
橋爪 もちろんです。
島園 戦前から戦後に引き継ぐべきものを、もっと多面的に考える必要もあると思います。北一輝大川周明という例はやや特殊な感じがしたのですが、そのほかにはどのようなものを考えていらっしゃるのでしょう?
橋爪 もちろんいろいろな人がいます。
まず第一に、国学や水戸学は、サブカルレベルではなく、立派なものだと私は思っています。それは同時代性もあるし、日本の近代化を準備したといういみ で非常に大きな仕事であると思うんですね。ただそれが、明治維新を進める中で、王政復古というので、天皇をシンボルにした。しかもシンボルにする仕方が、なんと言うか、まあ「神道的」にやった。手っ取り早かったのですが、近代国家としての大きなマイナス点を、残してしまった。その遺産処理に、ずいぶん時間がかかり、結局大きなエラーを起こしたわけで、それはひとつの大きな問題だと思います。

上記の引用でも、島園さんが指摘しているが、この本ではそこら中で、橋爪さんの「ネトウヨ」発言がちりばめられている。左翼批判ばかりである。
まあ。
ようするに、こういう人なわけである。
上記の引用の内容も、ようするに、何を言っているのか分からない。島園さんが「サブカル」に焦点をあてて、それと、明治維新における「国学」や「水戸学」の

の「非科学性」を指摘しているのに、「いや、いいところもあったんだ」って、それ、なんにも言っていないのと同じじゃねーかよ。まるで「ネトウヨ」が左翼からの批判をかわすときの「言い訳」と同程度のことしか言えないのか、と思うわけである。
島園さんという、宗教学者の視点から考えるなら、日本の「問題」とは、戦前から戦後を含めて「宗教」の問題であったことは自明である、という重要な指摘をされているのに、どうも橋爪さんという「ネトウヨ」的なマインドからは、論点がかみあわない。なんなのかな、とは思うわけである。

島園 満州事変で石原莞爾は最初はソ連を相手にしていたわけで、それ自身も大いに正当性を欠いた作戦でしたが、少なくともその時点では対ソ連に限定する道があった。しかし戦線拡大にのめり込んだ。どうしてそのようなことが可能になったかといえば、明治維新以来の日本が軍国主義の基盤を育ててきたからです。陸軍が民衆の声を背景に政治を動かすような、そういう体制になってしまっていた。そのことを遡れば、天皇以外には軍隊を動かせないという統帥権の独立----それは実質的には陸海軍が自身の意向で動けるということになっていったわけです----に行き当たる。
さらに遡れば、そもそも明治維新では下級武士が維新を通して天皇中心の体制を作った。武人が直接天皇と結びついて変革を起こす。そのことが正当であり理想であるという考えが、明治維新あらすでに規定されているのです。

まあ、日本の問題ってここですよね。ようするに、「下級武士=エリート」が直接「天皇」をハイジャックして、

  • クーデター

を起こす、この「パターナリズム」こそが

  • 日本の正当な権力

みたいになっていることこそが、日本の「リスク」なわけでしょう。
それに対して、橋爪さんは「国学」も「水戸学」も立派だった、と言っちゃうわけです。せっかく、島園さんがそれらの「サブカル」性を論点にしようとしているのにorz だったら、戦前のなんだって「立派」だったってことになりますよね。原発だって「立派」だった、ということになりますよね。ようするに、御用学者って、こういうことなんですよね...。