安田登『あわい時代の『論語』』

孔子の言う「仁」という言葉は、論語の中でも、著しく「矛盾」している、ということが言われる。そこで、その矛盾とはなんなのか、といったことが問題とされる。
なぜ、「仁」の説明が矛盾してしまうのか? これについて、一つの説明として、その仁を孔子が説明する「相手」が違っているから、といった言い方がされる。まあ、これは間違ってはいないのだが、これだけでは不十分な印象を受ける。なぜなら、そういう意味では、多くの言葉が、それと同じように説明内容が違わなければならない、と思われるからだ。
つまり、「仁」という言葉は特別なのだ。なぜ、こんなことになるのか?
掲題の著者は、次のように推測を進めていく。

以上の「仁」についての『論語』のさまざまな章句を読んでいると、「あれ、なんとなく『聖書』に似ているぞ」と思った方がいらっしゃるのではないでしょうか。

そして「仁」を「(キリスト教の)神」と読み替えると、なんとすっきりすることかと思うでしょう。そして、これは私たち非キリスト者にとっても重要な示唆を与えてくれます。それはつまり、「仁」の逆説性は、「仁」は知的に読まれることを拒否しているのではないかということです。誤解をおそれずにいえば「仁」は、もっと霊的に読まれることを要求しているのではないでしょうか。だからこそ、後世、孔子の教えが儒教という宗教になったのでしょう。

掲題の著者は、「仁」が「(キリスト教の)神」と同型の何かを、示唆しようとしていると解釈する。つまり、孔子の行ったこと運動は、なんらかの意味で深く宗教的な側面があったのではないか、と考える。
しかし、そう言われると気になる所が多くある。
例えば、孔子の一番弟子の顔回は、孔子によって自分以上に「徳」のある存在としてリスペクトされている。このことは、孔子顔回を「イエス」のように見ていたのではないか、という仮説が成り立つ。
そして、もう一つの重要な視点が、孔子が尊敬していた周の国の功臣の周公である。

つまりここで二公は「生け贄を捧げての卜をしよう」と言ったのです。
が、周公はそれを止めます。そして、二公には内緒で「自分が最後の生け贄になろう」と決め、地面を清めて祭場を作ります。そして、そこに四つの祭壇を設け、大きな円い壁を壇上に置き、手には圭(けい)を持ち、先祖の三人の王の霊に告げる祝詞(祝)を史官に読み上げさせます。
その祝詞の内容をひとことで言えば、「自分(周公)を武王の身代わりにしてください」というものでした。

なぜ孔子は周公をリスペクトしたのか。おそらくそこに、周公の国家への「自己犠牲」を見出していたからなのであろう。
おそらく孔子は、なんらかの「宗教的な国家」の実現を想定していた。そこにおいては、顔回は一種の「国王」のような位置になり、国民は顔回

によって統治される。そこには、トップの「人格」によって国家を統治する、宗教的な思想が見出される。
なぜ「仁」は矛盾しているのか? それは「神」が矛盾しているから。いや。たとえ神が矛盾していようと、絶対的に神は「信仰の対象」だから、と言うこともできるかもしれない。孔子顔回に周公を見出す。それは、周公の自己犠牲が、顔回による仁政に、その「自己犠牲」の徳性が国家を「統一」すると考える...。

あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0

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