高橋洋一『99%の日本人がわかっていない国債の真実』

例えば、こんな思考実験をしてみよう。お金持ちは言うまでもなく、たくさんのお金をもっている。貧乏人は言うまでもなく、ほとんどお金をもっていない。だったら、次のようなことをしてみよう。まず、日本銀行券を大量に印刷して、それをなんらかの手段によって、市場に流したとする。
すると何が起きるか。まず、お金持ちがもっていたお金の「価値」が下がる。それはそうである。今まで、例えば、世の中に20万枚の一万円札があったとして、それが40万枚に増えたら、一枚の価値は半分になるだろう。今まで、たったの20万枚しかないと思っていたから、それだけの価値があると思われていたのに、実はその倍もあったのだから、半分になる。まあ、こんなことは、骨董品の売買を考えてみば分かる。
これと同じカラクリを利用しているのが、いわゆる「金融緩和」と呼ばれている手法である。

では日銀は何をするかというと、民間金融機関が持っている国債を時価で買うのである。
日銀は知ってのとおり、「お金を刷ることができる唯一の銀行」だ。
ただ、必要なつど、単にお金を刷ることはできない。
私たちが何も受け取らずにお金を払うことがないように、日銀だって、つねに何かを受け取るのと引き換えにお金を刷る。
その「何か」が、民間金融機関が政府から買って保有している「国債」というわけだ。
この売買は、日銀が金融緩和政策の一環として行ない、いわゆる「買いオペレーション」「量的緩和」と呼ばれる。

なぜ金融緩和を行うのか? それは「不況」に関係する。不況とは、日本国内の労働者の仕事がない、といった状態を意味する。それは、企業が「儲かる仕事がない」と思っているから、ビジネスを拡大せず縮小しているため、労働者を必要としないため、大量の失業者が生まれてしまう。
これを解決する方法は、企業に「儲かる仕事がある」と思わせる環境にすればいい。そのためには、お金を借りやすくすればいい。銀行が気前よく、低利で、お金を貸してくれれば、企業は新しいビジネスを始めやすくする。そうなれば、労働者を雇い始めるであろう。
またこれは、「円高」問題に対するオペレーションでもある。円高は、日本で作った商品を海外で売る場合に不利となることから、より円安を目指すことを目標としていることを示している。
というか、基本的にこれはインフレ誘導政策なのであろう。デフレと呼ばれ、長年日本で続いている物価安のトレンドは、各企業が商品の価格安競争を行ってきたとも言えるし、中国などの安い労働力によって、つまり「企業努力」によって、今まで作っていた商品を「安く」作れるようになった「イノベーション」の成果によって、デフレを実現してきた、とも解釈できるわけであるのだろうが、そのデフレのトレンドがより「不況」をもたらすと考えるなら、強引にインフレに向かいがちな政策を行うことには意味がある、ということになるのであろう。
また、掲題の著者は、上記のカラクリにはもう一つの側面があることを強調する。

日銀からすれば、国債を買い通貨を発行することで利子収入ができる。
そのため、日銀が得る国債の利子収入を「通貨発行益」と呼ぶ。国債の利子収入は、通貨を発行することで生じる利益といえるからだ。
日銀はその通貨発行益を丸々国に納める。これを「国家納付金」と呼ぶ。
政府から見れば、これは税収以外の収入だから「税外収入」と呼ぶ。

うーん。これをどう見るのか、というのはあるのだろう。例えば、もしも日銀が一万円札を大量に印刷して、それを

  • 直接

日本中の貧乏人に「配った」ら、どういうことになるだろうか? おそらく、少ない金額ならあまり気にもされないのだろう。しかし、その金額が大きくなればなるほど、日本銀行券の信用がなくなる。しかし、よく考えてみてほしい。貧乏人がもしお金をもらったら、まず間違いなく、そのお金を使うだろう。少なくとも、お金持ちよりは使うだろう。なぜなら、貧乏人はまずもって、生活必需品が足りていない人たちのことを意味するのだから。そして、彼らがお金を使えば、そこで買われる商品を売っている企業の景気は間違いなくよくなる。
では、上記のようなカラクリによる方法についてはどうなのか、と考えれば、まあ、あまりやりすぎれば、同じことが起きる。
しかしこのことは世界的なトレンドとも言えるわけで、世界的に、金融緩和政策をどこの国でも行うようになってきた。そのため、マネーがだぶついてしまう。
上記の議論から分かるように、金融緩和、量的緩和は市場に出回るお金の量が増えるのだから、相対的にお金の「価値」は下がる。つまり、お金持ちが大事にもっているお金の価値が下がるわけで、お金持ちは損の量が大きい。彼らが海外でお金を使うとき、今まで以上にお金をたくさん払わないと、日常生活ができない。他方、貧乏人にとっては、あまりその影響は大きくない。なぜなら、もともともっているお金の量が少ないこともあるし、上記のカラクリから比較的に仕事を探しやすくなることを想定できるから、ということになる。また、そもそも貧乏人は海外旅行などしない、ということもあるw
こう考えると、金融緩和政策は一種の「平等政策」なのか、とも思えてくる。しかし、おそらくは日本の今の政策があまりそのように解釈されていないのは、株式市場の税制優遇が、代替的なお金持ち優遇政策になっている、という合意がある、ということなのかもしれない。
しかし、この政策はどこまで続けられるのだろうか? 掲題の著者は、それは「国債があいかわらず高値で売れている」事実が、この政策の正当性を示している、と解釈する。もしも、この金融緩和政策が問題だと市場が考えるなら、必然的に国債は売れなくなるはずであるのに、今だにそこまでの動きが見えない、と。まあ、こういうところに日本の戦後復興からの経済的成功の「蓄積」が、ある種のバッファーとして延命させている、ということなのだろう。そもそも、日本の雇用環境の改善は団塊世代の大量退職に関係しているとも言われている。別に、日本に新しい産業が次々と現れているわけでもないところからも、過去の蓄積でやりくりしている間に、なんらかのイノベーションが求められているのだろうが、別に日本固有の何かがあるというわけでもないし(今の状況をなんらかのバブルと考えることもできるのだろう)、長期的には衰退トレンドが続くことを前提にしたシステムが求められているのだろうが、あまりその深刻さは感じられない、といったところか...。

99%の日本人がわかっていない 国債の真実

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