大山誠一『天孫降臨の夢』

私が学校で教育を受けた頃はまだ、聖徳太子が実在しなかったということは、明確に記述されていなかったと記憶しているが、近年の教科書では、それはもはや

  • 自明

となっているようである。それについては、掲題の著者も関係しているということのようであるが、そう考えると日本書紀とはなんだったのか、ということになるはずで、おそらくその辺りになると、教科書もいちいち書いていない。つまり、あれだけ中心的な存在として描かれていた聖徳太子が実在しないということは、この日本書紀とは一体なんなのかの問題にどうしても答えなければならないのではないか。それなしに

  • 日本の歴史

なるものを語り始めてはいけないのではないか、という違和感があるわけである。
話はどうも、そんなレベルでは終わりそうもない。それは、日本書紀とはなんなのか、に関係する。掲題の著者は、聖徳太子の問題をさらに敷衍して、日本書紀について徹底した考察を行う。それは、聖徳太子が実在したのかとか、確かに日本書紀の記述はいささか聖人化しすぎているかもしれないが、実際にそういった人はいたことは確かなら、そこまで目くじらを立てることではないんじゃないのかといった、ほとんどの日本人が「教育」によって刷り込まれてきた

を根底から批判する。

なお、「天皇」は、本来は、中国の伝統思想である道教において、宇宙の最高神とされた存在だったが、道教創始者に擬せられる老子と唐の皇室が同じ李性だったため、唐の皇室は老子を遠祖として敬うようになり、さらに熱心な道教信者であった高宗にいたって君主号を「天皇」とすることになったのである。
それを日本側が採用した事情であるが、単なる君主号としてではなく、天武十三年(六八四)に定められた八色(やくさ)の性(かばね)のうち「真人(まひと)」が道教で仙人の最高位を、「道師(みちのし)」が道教教団の指導者を意味し、天武の和風諡号(わふうしごう)の「天渟中原瀛真人(あまのぬなはらのおきのまひと)」が道教で海のかなたの神仙世界の最高位を意味していることなどから、道教思想を受容する一環としてえあったことも確かなようである。ただし、中国では、実際の政治は、やはり儒教で行われるので、この天皇号は定着せず、高宗一代で終わり、むしろ日本で定着することになったのは不思議なめぐり合わせと言えよう。

たった一つ。この「天皇」という言葉の「定義」でさえ、この日本においては誰も深く考えない。明らかに、天皇という言葉は、中国からの又借りなわけであって、だったら、その中国において、どういった意味で使われていたのかを徹底的に考えずに使い続けることの滑稽さが、ここでは指摘されている。つまり、本気で天皇制を生きているのか、やる気があるのかが問われているわけである。

一つは、聖徳太子という人物像が、儒仏道という中国思想の聖人として描かれていることである。憲法十七条を見れば一目瞭然のように、聖徳太子は高度な中国思想を有する為政者、言わば中国の理想的な聖天子のごとく描かれている。

明らかに、聖徳太子は「おかしい」。というのは、そもそもこんな人がいるはずがない、というだけでなく、典型的な

  • カリスマ(=聖人)

の手法だからだ。どんな宗教も、必ずこの手続きを経て成立する。孔子が周の周公をリスペクトしたように、明治維新が吉田松蔭をリスペクトしたように、そこにはなんらかの「聖」性が関係している。ある「神聖」さを仮構することによって、この世界を「超越」化する。
では、一体だれが、どんな目的でこんな「ありえない」人物を仮構したのか?

やっと、その遣唐使が再開したのが大宝二年(七〇二)のことで、そのときに入唐し、長く留学生活を送り、ついには若き玄宗皇帝の信任を得た人物がいた。それが、道慈(どうじ)であった。

その道慈であるが、『日本書紀』編纂に重要な訳有を果たした証拠もある。というのは、聖徳太子を含め、『日本書紀』のさまざまな部分に、義浄(ぎじょう)(六三五 ~ 七一三)の訳による『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』や道宣(五九六 ~ 六六七)の書が大量に引用されていることである。

このことを、北條氏は次のように述べている。「初唐の仏教界が儒教道教、王権の廃仏的傾向に抵抗すべく作りあげた一種のフィクションなのである。隋唐の仏教を憧憬する日本の仏教界も、同様の歴史観を共有するため、排(廃)仏から崇仏に至る物語を構築したのだろう」。

日本書紀が完成したのが720年で、それまでには遣隋使や遣唐使があったわけだから、日本の留学生が何人から中国に行って多くを学んで帰ってきている。こうした中に、非常に優秀な人たちがいたのであろう。そして、彼らは、日本書紀の中に、自らがコミットメントしている仏教の「正当化」を残す必要を感じる。なぜならそうしなければ、いつ廃仏運動が、中国で起きたように、この日本でも起きるか分からないからだ。そのため、日本書紀はどうしても、

  • 仏教の正当化

を物語として記すことを宿命づけられていた。たとえそれが、デッチアゲでもいい。とにかく、どんなに仏教がこの国にとって欠かすことのできない、国の柱であるのかを、「歴史」という形で刻むことが求められていたわけである。
しかし、掲題の著者も強調しているように、ここで言う道慈はしょせんは一人の専門家にすぎない。この国を支配し、今まさに日本書紀という歴史書の編纂を国家事業としておし進めている

  • 権力者

の後ろ盾なくしては、このような野望は実現しない。つまりは、藤原不比等こそが、日本書紀を今あるようにあらしめた張本人である、というのが掲題の著者の見立てである。
ではその関係はどうなっているのか、というわけであるが、その前に、そもそものこの日本という国の追い立ちを振り返ってみる。

王権以前に、日本人が、いつ頃民族性をもち始めたのかを確認しておきたい。渡辺誠氏によると、約一万二千年前に始まり、一万年も続いた縄文時代においてであったらしい(渡辺誠、一九九六年)。とくに、今から六千年前頃の縄文海進(地球の温暖化現象)により、それまで朝鮮半島やサハリンとつながっていた日本列島が大陸から離れ、朝鮮海峡から日本海にとうとうと暖流が流れ込み、その暖流がシベリア寒気団とぶつかり、日本の脊梁山脈の豪雪をもたらすようになった。

つい最近も、韓国と日本の間の日本海の下にトンネルを掘って、地下で道路を繋げる、といプロジェクトがまことしやかに語られるわけであるが(例えば、東浩紀先生の『福島第一観光地化計画』において、なぜこのプロジェクトが話題にもされていないのだろう?)、おそらく日本側が乗り気ではないのであろう。技術的には少しも難しくない。それは、イギリスとフランスの間の地下トンネルとまったく同型の話でしかないわけで、お互いの国がやる気を見せれば、いつでも成功する。
しかし、日本の今の政情が完全に、上記の「分断」が形成してきたことを考えるなら、それは日本の「滅び」を意味しているように受け取られるからであろう。日本と中国や韓国が「地続き」になれば、いつでも、大陸側の人たちが日本に「亡命」してくる。というか、今の航空機事情によって、すでにそれと同じ状況になっているわけであるが、実際に陸地が繋がるかどうかは、その象徴的な意味があるのであろう。

以上、渡辺誠氏の研究に依拠しながら述べてきたのであるが、一万年続いた縄文時代に、日本の文化、民族性が成立したと考えてよいと思う。では、これより何が言いたいのかと言うと、その縄文時代の文化は東西に大きな格差があり、圧倒的に東日本が優勢だったということである。小山修三氏によると、最盛期の縄文中期の全人口約二六万のうち、近畿以西の西日本はわずか二万人に過ぎず、大部分は東北・関東・中部地方内陸部に居住していたという(小山修三、一九八四年)。

そこで、地図帳を開き、西日本を見てもらいたい。何といっても大動脈の瀬戸内海が目につくが、子細に見ると西日本全体に平野がきわめて少ないことに気づく。通常の地図帳には各地に平野の名称が記されているが、これらは中世以後の干拓によるもので、古代はまだ海だったのである。
それに対して大和盆地の安定した広さは特徴的である。隣接して山背の盆地も河内の平野もある。のちに、この大和と山背と河内をあわせて王権の根拠地という意味で畿内とよぶようになる。

第二に、では、西から来た文化はさらに東に進まなかったのか。これが、最大の問題である。次頁の地図を見てもらいたい。太い線が日本列島を南北に貫いているのに気がつくと思う。私は、これを日本列島を東西に分かつ壁とよんでいる。北は、親不知から始まり、飛騨山脈立山・白山の山地を経て伊吹山へ。さらに鈴鹿山地を経て、伊賀を取り巻く山脈が続き、そのまま深い紀伊山地にいたっている。

しかし、先にも述べたように、元来、東日本は大きな平野に恵まれ人口も多く、潜在的には豊かな地であった。ということは、大和は、東日本から多くの労働力と軍事力を手に入れることになったことになる。

さて。「日本人」とは誰だろう? そのように考えたとき、上記は非常に重要なことを示唆している。縄文時代の日本では、圧倒的に東日本に多く人が住んでいた。なぜだろう? それは、東日本の方が平野が多く、住みやすかったからなのだ。そして、ここで西日本と言うとき、比較的立地もよく、広い平野がある場所として、畿内が栄えた。そこは、東日本との山脈による「壁」に隣接した好立地によって、ある種の「植民地」のように、東日本の人的資源を彼らは活用できた。
それが、「息長氏」の豪族であり、もう一つの日本を二分していた勢力が渡来人を一手に束ねていた蘇我氏であった。

考えられるのは、唐の高句麗征伐が始まって以来、朝鮮三国では政変が続き、いずれの国でも権力の集中が進み、反対派が粛清されていた。そういう、権力集中の動きが日本でも始まったのではないか。
朝鮮諸国の場合、唐の動きは、自国の生死にかかわることであったが、日本の場合は海を隔てているだけ影響は間接的であったことは確かである。しかし、朝鮮三国の必死のはたらきかけに接し、態度を明確にする必要に迫られていたのであろう。
そのため、本来、連合政権であった日本の王権に、外交方針をめぐる亀裂が走ったのではないか。何らかの形で積極的に介入すべきか、態度を保留すべきかという方針の違いである。後年、百済が滅亡したとき、積極的に介入したのが中大兄(天智)であった。これに対し、蘇我氏は多様な出自をもつ多くの渡来人を抱えており、身動きが取りづらかったのではなかろうか。その結果、皇極二年(六四二)に、斑鳩の王家が滅ぼされるという事件が起こり、さらに亀裂が拡大して、六四五年に、蘇我蝦夷・入鹿に対する中大兄・中臣鎌足らのクーデターが起こったのであろう。

あらゆる権力はその権力の「源泉」を必要とする。息長氏であり、蘇我氏が絶大な権力を示すことができたのは、その権力の源泉をもっていたらかで、逆に言えば、そういったものをもっていなかった勢力は、衰退していくしかなかった。
その事情は、明治維新において、薩長がイギリスと裏で手を結び、イギリスの「支援」を受けて、日本を転覆したことが示しているように、いつの時代も変わらない。
さて。そういったリアリズムから考えたとき、天皇制とはなんだったのか、ということにならないだろうか?

中国の場合を考えてみるに、歴代王朝は、天命を受け、天子として天下万民を支配すると称しているが、もちろんタテマエで、実際には、どの王朝も前王朝を武力で倒した征服王朝であり、直属の軍事力と独自の財力を保持し、国家に対して支配者として君臨している。国家意思決定に際しても、皇帝は唯一絶対の専制君主であり、官僚制は、その皇帝の意思を執行するための機関である。それがタテマエというか大原則である。
これに対し、日本の場合は、まず征服王朝ではない。何世紀も前に大和盆地に成立した大王の権力が、諸豪族の折り合いの中で継承されてきたものである。一般に氏族の連合体と言われているように、合議を前提としていた。天皇は大王の延長上にあったから、その権力は明確なものではなかった。権力の基盤となるような独自の軍事力も財力も存在しなかった。そもそも、異民族の支配を知らない島国であったから、都に城壁もなければ、常備軍の必要性もなかったのである。

日本人には「天子」「天命」が理解できなかった。それは、そもそもそんな存在は今だかつて、いたことがなかったからだ。見たこともない存在を、頭で考えろと言ってみたところで、無駄である。それは、人間の思考の範囲を超えてしまうからだ。
歴史上、今だかつて、天皇は自らの実力組織をもったことがない。それをもったのは、後醍醐天皇明治天皇くらいで、そもそも実力組織をもったことがない。というか、大量の財産をもったことがない。というか、日本にはそんなものはいらなかった。なぜなら、外国から外敵が攻めてこないのだから。
じゃあ、天皇ってなんなのか、ということになるが、そもそも私たちが知っている「天皇」なるものは、日本書紀の完成以降以外には、その存在を問うことは、ありえなかったわけであろう。

ところで、上山春平氏は、次にあげた、『日本書紀』巻二、神代第九段本文の冒頭部分に注目する。

天照大神の子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳(おしほみみ)尊、高皇産霊尊の女、栲幡千千姫(たくはたちじひめ)を娶きたまひて、天津彦彦火瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を生まれます。故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛を鍾(あつ)めて、以て崇(かた)て養(ひだ)したまふ。遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、芦原中国の主とせむと欲す。

そして、左の系図との対応関係を示した上で、次のような文章に書き換えるのである。

元明の子、文武は、不比等の娘、宮子をめとって、首皇子を生んだ。不比等は、首皇子をとくにたいせつに養育し、やがて孫の首皇子天皇にしようと思うようになった。

これは明らかにプロジェクトZといってよい。やはり、タカムスヒ系の神話は、プロジェクトZの段階に構想された神話だったのである。

掲題の著者によれば、天孫降臨神話は完全に、藤原不比等の系譜の

  • パロディ

となっている、というわけである。つまり、この「歴史書」には一体、何が書かれているのか。何が完全なる「物語」で、何が史実なのか。それを解き明かすのには、どうしても、この「歴史書」の作成者の藤原不比等が、どのような

  • 野望

をもっていたのかを解明することなしにはありえない。歴史は壮大なまでの

  • でっちあげ

で彩られている、というわけである...。

天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト (NHKブックス)

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