上西議員のサッカー発言に対する批判

さて。少し前の炎上話であるが、上西小百合議員が浦和レッズドルトムントの親善試合を見に行って、その感想をツイッターでつぶやいてから、ファンとのやりとりから下記の発言となり炎上した問題について、なぜ彼女はここまでハブにされたのかを考えてみたい。

上西小百合氏、サッカーファン批判「他人に自分の人生乗っけるな」⇒プロ選手が反論「この上ない幸せ」

サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
@uenishi_sayuri 2017/07/16

この問題を考える上で、以下のニュース動画を補助線としてみたい。

「鳥肌が..」英大手サイト製作の日本サッカー特集ドキュメンタリーに外国人から絶賛の声【海外の反応】 | NO FOOTY NO LIFE

例えば、日本代表の試合では必ず試合前に、日本の国歌である「君が代」が斉唱される。これは君が代を歌うことに自分の人生を「乗っけ」ているんじゃないのか? 上西議員は、サッカーの選手に自分の人生を乗っけているサポーターを嘲笑しているわけであるが、私たち日本人は

  • 天皇に自分の人生を乗っけている国民

なんじゃないのか? これの何が問題だと言うのか? 政治家だってそうだ。なぜ政治家が政治家になれたのか。国民が、その政治家に「自分の人生を乗っけ」たからにきまっているじゃないか。応援してくれる国民がいなかったら、そいつは政治家になれなかった。つまりは、二度と上西議員には国会議員にならないでもらいたいわけである。
日本のJリーグのチームをなぜ、日本の国民は熱狂的に応援するのか? それは、上記のニュース動画にもあるように、日本のプロ野球との差異を考えてみると分かる。
Jリーグのチームは、企業名をチーム名に採用していない。その代わりに、必ず自らのホームスタジアムのある「ホームエリア」の地名をチーム名に採用している。つまり、Jリーグのチームは、

  • 地域チーム

なのだ! そうであるなら、その地域に暮らしている人たちにとって、そのチームはたんなるサッカーというゲームの戯れではない。そのチームは、その

  • 地域

のために戦っている。つまりはそのチームの勝利は、その地域の「勝利」なのであって、その地域に暮らし、愛着をもっている人にとって、そのチームの勝利は、その地域の未来を明るく照らす、一筋の「希望」なのだ。
試合はたんに勝ち負けだけじゃない。応援するチームの選手が、勇気をもって立ち向かい、正々堂々と、相手を思い遣ってプレーをする姿を見て、サポーターはそれに誇りを感じる。
私は一切の、

  • 他人に人生を乗っけない

生き方を否定する。私たちは、ただただ、他人に人生を乗っけて生きること以外の、倫理的な生き方はありえない。ただただ応援すること、他人のためになにか力になりたいと思うこと以外の、正しい生き方などあるはずがない。それ以外のことを考え始めた時点で、人間の堕落が始まっているのだ...。