千葉清史「「物自体は存在するか」という伝統的な問題の解決によせて」

カントが物自体ということを言ったことについて、同時代からさまざまに批判があって今に至っているわけだが、アリソンの『カントの自由論』というのが翻訳で読んでいて、その物自体そのものの「解釈」が幾つかあるというところから始まっている、ということが書いてあったことは、なんというか、そういう話じゃないんじゃないのか、という印象を受けたわけだが。
そのことについて、たまたまネットで上記のPDFを見かけたわけで、少し書いておこうかな、と思ったわけだが。
なんでこんなに物自体が評判がわるいかというと、ようするに、カントの「空間・時間」の定義から始まる主張に対して、それとの「関係」がよく分からないので、おさまりが悪い、という印象なんだと思うわけである。
カントは、自らの哲学がバークリやフィヒテのような「主観的観念論」とは違うという意味で、あくまで経験論的実在論の範囲にとどまった、という意識がある。つまり、確かにこれは「実在論」なのだけれど、どう考えてもそれを超えることも、いろいろ言っている。つまり、その中間をなんとか探したわけなのだろうけれど、まあ、それが成功しているのかどうかが問われている。
その典型が、空間・時間の話で、これによって、まあ、ニュートン物理学の範囲ではあるけれど、カントの哲学はニュートン物理学の延長で、その「正当化」を意識して構成されているし、まあ。その範囲で成功はしているのだろうけど、逆にそのことによって、実在論を超えた部分(まあ、物自体もそこに含まれるわけだが)の位置づけが、よく分からなくなっている。

ここでは特に Step2 に注目しよう。一体どうやったら、我々に感覚が与えられている、ということから、感覚を生ぜしめる我々とは数的に異なるものが存在する、ということを結論することができるのだろうか。

なぜ物自体という概念が混乱するのか? それは、言ってみれば、私たちの実在論的な「物」つまり、「現象」における物と、そういった「物自体」にはなんらかの

  • 1対1対応

のようなものを想定しようとしているから、と言うしかないのではないか? つまり、なにか「同じようなもの、だけれど、違うもの」が、どこかに存在して、それをカントは人間には絶対に知られることはない、と言っているように解釈しているから、なにを言っているのか分からない、ということなのではないか。

例えば「物自体」とは、「我々の心のうちに(自発性から独立に)感覚が生じる」という過程、あるいはその際の単なる秩序のようなものであるのかもしれないし、あるいはそれどころか、およそ我々にとって端的に理解不可能なものでさえあるのかもしれないのだ。

カントに言わせれれば、物自体には、現象のような「カテゴリー」が適用できない。つまり、「数」とか「量」といった概念も無理だ、と言っているわけで、じゃあ、これはなんなのか、ということになる。
それについて、例えば、ジョン・ロックの哲学との比較をしてみれば、ロックにおける「物自体=プロパティ」は、単純に自然哲学のことであった。古代ギリシア哲学において、この世界は「なにでできている」と言うのと同じように。ロックの時代の自然科学において登場した

  • 原子論

を想定していた。それは、もちろん言うまでもなく、経験論の範囲のものなわけだが、カントは「理念」として、そういったものの「極限」のようなものを考えたのであろう。現代科学において、量子力学は当たり前になったわけだが、じゃあ、これ以上に小さなものを「測定」する装置が発明されたらどうなるだろう? また、新たな物理学が発明されるのだろうか? じゃあ、それ以上だったら? この終らない運動の極限を考えることは、別に不思議じゃないわけで、例えば、特殊相対性理論においては、光の速さに近似したところにおいては、もはや、時間と空間は「独立」ではないわけだし、量子力学においても、もはや「ゆらぎ」とでも呼ぶしかないような、時間的、空間的な現象の間の「非独立」性(なんらかの意味での、ホーリズム)を考えなければならなくなっている。
じゃあ、仮に、物自体には一定の正当性があったとして、果して、こんなものを考えることには意味があるのか、と問われたらどうだろう? カントは自らの観念論を、バークリやフィヒテのような主観的観念論と一定の距離をとろうとした。つまり、当時の「科学」の一定の正当化を目指すという範囲において、構想した関係から、一定の範囲で経験論的実在論に片足をつっこんでいる。そうした場合に、カントの形而上学は、こういった自然科学との、なんらかの

  • ものさし

のようなものを必要とした、ということなのではないか。つまり「物自体」は、この形而上学における、自然科学との、なんらかの「距離感」を意味するものとして提示せざるをえなかった、ということなのであって、この「距離」に耐えられない通俗的な連中による、凡庸な攻撃をどうしても、未来永劫、招来してしまう「宿命」を、すでにこのとき、包含してしまっていた、ということなのであろう...。
社会文化システム研究科紀要|山形大学 人文学部・大学院社会文化システム研究科