なにが比喩なのか?

人文系の学問が、理系に比べたとき、議論のどこかに「だまし」があることは、ようするに人文系の学問が、そもそも理系の

  • 比喩

で理論が形成されていることをよく示している。
例えば、「形容詞」というものがある。私たちは日常言語において、当たり前のように形容詞を使っているが、そもそも形容詞には内実的な意味がない。形容詞はあくまでも、

  • 他のもの

との「程度」を指示するものに過ぎず、本質的には形容詞は何も語っていない。ではなぜ私たちは日常的に形容詞を使用して、その効果をだれも疑っていないかといえば、それが

  • 話している相手

との文脈の中で、今まで使ってきたその形容詞の効果を疑っていないから、ということになる。つまり、この形容詞を過去に使って得られた効果が、次に使ったときに得られないと考える理由がない。そうである限り、この効果を懐疑しなければならない、その文脈での理由がないからだ。
こういった問題がおそらく最も露出する場面こそ、この人文系と理系の

  • 境界

に関係した分野が議論の争点になるところだろう、と考えられ、このことの、最も大きな係争となったのが、いわゆる

だと言えるだろう...。