トリチウムは薄めれば毒じゃなくなる?

以下のトゲッターの記事であるが:

とある学者が生み出した『毒は薄めても毒』に対して「濃度と絶対量が大事」「逆に何が毒じゃないの」の声 - Togetter

これ。よく分からないのだけれど、以下のツイッターの記事に対して書かれているんだよな?

トリチウム汚染水は水で薄めて海に捨てれば大丈夫?毒は薄めても毒でしょう。これまでも日本の原発トリチウムを垂れ流してきたのは安全だからではなく、取り除くことが困難だからなのです。原子力規制委員会というより、規制しない委員会もしくは原子力ムラに寄生してる委員会とした方がよいでしょう
pic.twitter.com/tPVooLWw3K
@skawahara1217 2018/10/06 20:08

まあ、上記のツイッターのつぶやきは、このつぶやきの中の文脈としても「毒は薄めても毒」の主語の「毒は」は、普通に読めば、トリチウムのことを言っているよね。まあ、主語を一般的な「毒」に広げれば、おかしなケースはいくらでもあるだろうけれど。少なくとも、「毒は薄めても毒」が当て嵌まる場合の主語の「毒」は、トリチウムを含めて、幾つかあるよね。

放射線被ばくの影響を考える際の、「直線しきい値なしモデル」(LNTモデル)は、"いくら低線量であっても、放射線の影響を無視してよいというしきい値は存在しない"という考えだ。故アリス・スチュアート博士は「たとえ1本の放射線であっても、ピンポイントに遺伝子を破壊することがあるのです」と明言している。
トリチウム水問題を考える | 原子力資料情報室(CNIC)

というか、この議論、3・11直後にさんざんやりませんでしたっけ?
もちろん、これは ICRP の、ある種の「仮説」ではあるけれども、いろいろな理由で、これを実際の運用においては採用していて、わざわざ、ICRP に反旗を翻したいという人じゃない限り、LNT モデルを認めていると解釈される、と(それで、ホルミシス論者は、放射線しきい値」モデルを採用していて、むしろ、「健康」になるという「仮説」を信仰している人たちだったわけで、これを当時は「トンデモ」と呼んだわけだ)。
また、今、世界の原子力発電所で、トリチウム水が、ある範囲で捨てられているのは、

から、といった「トリチウムは薄めれば毒じゃなくなる」から、といった理由ではなかったですよね?
もちろん、こういった議論とは別に、社会政策として、実際に福島県でも、年何ミリシーベルトとか決めているのは、そういった予防原則を含めても、実際の住民の生活を考えて、一定の範囲までは、市民との間で合意可能だろうと(まあ、それが年1ミリシーベルト以下が望ましい、というのが、小出さんとかの主張だったわけですよね)。つまり、いずれにしろ、そういった「しきい値」を政策的に決めているのは、「放射性物質は薄めれば毒じゃなくなる」から、といった理由ではなかったですよね?
(まあ、この LNT の話は、上記のトゲッターにも書かれてはいるがw)