アニゴジの絶望的なまでの分かってなさ

(言うまでもないですが、以下はネタバレがたくさんあります。)
映画館で、アニメ版ゴジラの第三部を見てきたが、あまりの「ひどさ」に、あきれてしまった。こんな作品、だれが見に来るんだろう?
私はこの作品について、第一部、第二部の頃から批判的であった(例えば、

アニメ版「ゴジラ」がまるで喜劇のように笑えてくる点について - martingale & Brownian motion

を参照)。
だから、今さらそれと同じようなことを言いたいとは思わない。しかし、だとするなら、なぜ、この作品は、こんなのになってしまったのか、という問いについては、自分なりに「けじめ」をつけておかないとダメかな、とは思うわけである。
第三部の恐しいまでのダメさを象徴するのが、ハルオであった。この第三部において、ハルオは、完全に、最初から最後まで

  • 鬱(うつ)状態

にあった。彼は、そもそも「病気」だった。ずっと、支離滅裂な言葉をつぶやいて、うわごとのような言葉を繰り返しているだけであった。そもそも、こういった状態の人を

  • 主人公

にし続けるというのは、「残虐」なのではないか? 私はこの第三部を見ていられなかった。ハルオは、明らかに、精神に障害を受けている。それは、言うまでもなく、第二部の最後で、ユウコが大きな傷を負ったことで、今だに意識が戻らないことに深く関係していた。
ハルオの精神状態の異変は、間違いなく、ユウコの「寝たきり」状態が関係していた。
こういった人は、静かに、そっとしておくことが大事なのではないか?
そして、

  • 最悪

の事態は、作品の最後に訪れる。精神の不安定な「ハルオ」は、寝たきりのユウコを抱えて、

  • 自殺

をする。こんな作品を見て、一体、だれが「感動」するのだろう? 精神を病んでいるハルオには、それなりの病院的な施設の「措置」が必要だったのではないのか? そもそも、ユウコはお前の自死

  • 関係ない

だろう。なんで彼女を道づれにハルオは自殺をするんだ。何様なんだ、こいつは(怒
うーん。
おそらく、この作品は「ゴジラ」が何者なのかについて、最初から最後まで間違ったのではないだろうか。だからこんな、鬱アニメ、自殺アニメを作ったのではないか?
そもそもゴジラ

  • 日本

の文脈に現れた「怪獣」である。というか、ゴジラは言ってみれば、

  • 高度経済成長期

の、戦前や戦中を忘れて、奢り、繁栄を謳歌していた

  • 東京

に現れる。特殊なまでに、「日本の文脈」の存在なのだ! ゴジラは「東京」の巨大ビルを破壊する。ゴジラは「東京」の金持ちたちが日夜、散財に明け暮れている繁華街を、焼き尽す。ゴジラは、

  • 人間の<傲慢さ>

を焼き尽すのだ。そう意味で、ゴジラは「天災」であるが、私たち日本人にとっては「人災」だとも言える。
大事なことは、ゴジラが「戦前を忘れ」、「金満家」になって、倫理を忘れた「日本人」の、その不道徳性が

  • 引き寄せた

存在なのであって、そもそも私たちの「自業自得」なのだ!
ゴジラは、そもそも第五副竜丸事件がモデルとなった作品であり、原子力爆弾と深く関係している。そういう意味でも、ゴジラ自体が「被害者」なのだ。
ところが、アニゴジでは、なぜかゴジラ

  • 人間を超えた「生物界」の頂点へと、人間の上の段階へと「進化」した、進化的「上流存在」

として、言わば、生物の

  • 完成体(=生物の進化の「目的」の「到達点」)

として描かれる。やれやれ、である。完全な

であり、「優生学」でしょうw あのさあ。日本の「SF」は、この程度の

  • 差別思想

を拡大再生産し続けるの? こんなの「害悪」しかないじゃないか!
進化論の「大衆化」が、こういった「差別思想」をたれ流し続けるというのが、今は亡きグールドの主張だったわけで、まさにグールドの杞憂が現実化してる、ってことなんじゃないんですかね?
そもそもさ。ハルオのゴジラへの「恨み」って、意味不明でしょ。それは彼のユウコへの想いにも通底するんだけれどさ。中途半端なんだよね。この二人を

  • 日本人

として扱いたかったんだったら、最後まで、

  • 大都市「東京」を破壊し続けるゴジラ

を描き続けないと、彼らの存在が意味不明になってしまうよね。「東京」の

  • 矛盾

を、たとえ舞台を、はるか未来に移すのだとしても、引き継がないと。それを日本の

  • 矛盾

として描けなくなっている時点で、もう製作者サイドは「日本」の「問題」をアウフヘーベンしてしまっている。もはや語るべきは、グローバル社会の倫理なんだって言って、日本の傲慢さを世界に押し付けている。
なんのために、初代ゴジラは、「東京」に向かったのか? なんのために、初代ゴジラは東京を「破壊」し続けたのか? ハルオの「怒り」は、そもそも、初代ゴジラの「世界観」に合わない性質であることに製作サイドは気付かない、制作サイドの頭の悪さを心配したくなる。ゴジラ

  • 被害者

だ。東京の被害者だ。なぜ「加害者意識」がもてない? それは、「東京」であり「日本」

  • だから

上陸して攻めてきた初代ゴジラの「存在理由」を分からなくなっている、ということと同値なのではないか?
私がやはり、この作品で残念だったのは、ハルオが自殺をしたことではなく、ユウコを「道づれ」にしたことだった、と思っている。これは、監督と脚本の完全な

だ。こういうのを自分一人の小説で書くならまだ、それに至る細かなプロセスを、その人なりに徹底して突き詰めることで、一定の正当化が可能だとしても、こういった多くの人に見てもらい、しかも、共同作業でもある、映画で行うというのは、信じられない。
あのさ。
今の世の中で、たくさんいるんだよ。意識が戻らなくて、体力が弱って、それでもなんとか生きてもらおうと、介護をしている人たちが。よう、監督と、脚本家。なにが言いたいんだよ。まるで、そういう人は、

  • 介護

をする人の

  • 責任

で「殺せ」って言っているみてえじゃねえか。そうすれば、確かに、国家の介護のお金は減って、国家財政は助かるな。人殺し!
ハルオが自分で考えて自殺するのは、百歩譲って、まあいいよ。ユウコは、もしかしたら、意識が戻るかもしれないし、それなりに、その世界で、生き甲斐を見出して、有意義に生きるかもしれねえじゃねえか。なんで、ハルオはユウコを道連れにして

  • 殺す

んだよ。なあ。なんで、こんな「鬱アニメ」を俺は見させられなければならないんだよ...。