望月俊孝「書評・冨田恭彦『カント哲学の奇妙な歪み----『純粋理性批判』を読む」』

私はあまり、哲学畑に詳しいわけではないので、こうやって質問してしまうのだが、以下の、一連の冨田恭彦氏の最近の

  • カント批判

をどう思われているのであろうか?

観念説の謎解き―ロックとバークリをめぐる誤読の論理
ローティ: 連帯と自己超克の思想 (筑摩選書)
ロック入門講義 (ちくま学芸文庫)
カント入門講義: 超越論的観念論のロジック (ちくま学芸文庫)
カント哲学の奇妙な歪み――『純粋理性批判』を読む (岩波現代全書)
カント批判: 『純粋理性批判』の論理を問う

特に、上記の最後の三冊は、カントをケチョンケチョンにやっつけていて、カント嫌いの、反共、反リベラルな人たちには、小気味いいくらいに、スカッとするのかもしれないがw
冨田氏は、上記の2冊目にあるように、リチャード・ローティの下で研究していたそうで、まあ、そう聞くと、ポストモダンかって思うかもしれないが、そこからクワインとも知り合いのようだし、ようするに、分析哲学のそういった系譜から、クワイン

の延長で考えている人で、ローティと同じように、バークリやカントの

  • 観念論

をケチョンケチョンにけなす一方で、(ローティのロック批判に反してまで)

こそ、この分析哲学自然主義、科学主義の流れの正当な継承者といった感じで、ジョン・ロック

  • 再評価

を目指していて、その延長にカントによるロックへの罵詈雑言への反論がターゲットに入っている、といった感じのようである。
対して、掲題の書評は、そういった延長から

  • カント研究者

が、この冨田氏の一連の主張をどのように思っているのか、を伺わせるものになっている:

なんとも挑発的なタイトルだ。まるで喧嘩を売っているかのようである。標的はカント、あるいは「カント主義者」(31頁)だろうか。売られた喧嘩は買うしかない。しかしそれでは、永遠平和を希求する<批判哲学 kritisch philosophieren>の精神に悖るだろう。

冨田氏の、基本的なカント解釈は、ロックの「物そのもの」とカントの「物自体」の

  • 同一視

という、一般的な英米の「伝統言説」に反した、冨田氏独自の<仮説>の延長で主張されていることが特徴だ。

ロックの<物そのもの - 観念 - 心>の三項枠組みを「知覚のヴェール説」だと非難する英米伝統言説は、「物そのもの」をデカルト形而上学の「物心二元論」に当てはめ、超越論的実在論の筋で解している。それを冨田(『観念論の謎解き----ロックとバークリをめぐる誤読の論理』、世界思想社、2006年)は「誤読」と断じて、「物そのもの」の粒子仮説的な性格を強調し、経験的実在論内の科学的な領分に引き戻す。

ここで大事なことは、掲題の著者は冨田氏がロックの

  • 物そのもの

を、英米の伝統言説とは違った解釈をしているということが

  • 前提

になって、その解釈の下でカントを攻撃している、というところがポイントだ。

さて、ロックの「物そのもの」をこうして温かく受けとめ直すなら、それは本体論的に実体化して語られた独断形而上学の「物自体」とは明らかに異なるし、それどころか「経験の可能性のアプリオリな条件」を問うカント認識批判の「超越論的対象=X」----すなわち「経験の対象」の対象性・客観性の理念----よりもかなり手前のところ、たとえば「虹」の「現象」をなす「水滴」のような「経験的意味での物自体」(A29=B45、A45-6=B62-3)と同じレベルで、理論的に構想された自然学上の「発見的」な「統整原理」に相当する。しかも理性批判はこの文脈で、仮説設定と自然研究の進展を大いに歓迎する。だから「カントの仮説嫌い」(20頁)とか「仮説的視点の劣化」(33頁)を言い立てて、「『純粋理性批判』におけるカントの基本的視点は、......反仮説的であり、絶対主義的であり、時代逆行的である」(65頁)とまで罵る本書は、悲しいかな、どこか根本的に見当違いなのである。

まあ、ここに尽きているように思われる。
ようするに、冨田氏のロック解釈は、経験的実在論であり、経験科学で十分なんだと言っているわけ。
対して、カントは自らの超越論哲学の裾野は、その経験的実在論=経験科学を十全に展開し、拡張していける

  • 場所

を内包している、っていう考えなんじゃないんですか? なんか、ほとんど同じレトリックで、ここ一年くらい、自称「自然主義」者の言うカントの「物自体」批判に反論している気がするんだけれどw
どうも話がかみ合わないんだよね。

しかしこうして「自然科学なの」だと認めるなら、どうして端から「反自然主義的哲学者」(ix頁)と決めつけたがるのか、根拠が一向に判然としない。「こと学問論、認識論の分野」で「自然主義」とは「自然科学的知見に基づいた(自然科学を基盤とした)認識論のあり方」(viii頁)なのだそうだが(ならばむしろ自然科学主義?)、この大まかな鑑定規準に少しでも合わぬものは、すべて「反」のレッテルを貼りたいのだろうか。

なんか、最近のニセ科学批判みたいですよねw

日本カント研究 No.19

日本カント研究 No.19