メタ理論のスケッチ:第四章「X(エックス)」

ここで「X(エックス)」と呼んでいるものは、カントで言うなら

  • 物自体(ものじたい)

のことと考えていいわけであるが、しかしそれが指し示しているものは、カントのこの用語の使用法が指し示しているように、必然的にさまざまな「現象」をどう考えたらいいのかを抜きにはありえない。

  • 他者
  • 世界
  • 歴史
  • 科学
  • 客観
  • 進化
  • 価値
  • 経済

大事なポイントは、これらは全て「(カントが言う意味での)現象」であって、「物自体」ではない、ということなのだ。ではなぜ、それらをここに置いているのかということになるが、確かに「現象」と「物自体」は違う。しかし、なんらかの意味での

  • 外部

をどう考えるか、といった「経験」という「モデル」の構築物において、それらは一つの対関係を与えるわけである。
カントにとって、そもそも「世界」とは

  • 私の中にある

何かに過ぎない。つまり、「世界」とはそもそも、産まれてから今に至るまで、さまざまに「認識」してきたものの蓄積から、構成され与えられるイメージなのであるから、それとなんらかの意味での「外部」なるものを

  • 区別できない

というところに本質がある。ということは、客観は存在しない、ということになる。どんな客観も、なんらかの主観を必ず、その内部に含有していないではありえないのであるから。ならば、「外部」を問うことは無意味なのか? いや、それは決して無視してもいいようなものではない。実際に、

  • 経験

はさまざまな複雑さをもち、そしてそれが「科学」の研究成果を与えるわけであるが、だとするなら、この「諸関係」をどう考えたらいいのか、が今も変わらず、問われ続けているわけである...。