ニーチェの思想:第ニ章「反道徳証明その一」

ニーチェが反道徳を主張するとき、その証明の一つの方法が、いわゆる「系譜学」である。

信仰の信用がなくなるという考え方は、単純なアナロジーによってはっきりすると思われる。子どもが自分の部屋にお化けがいると信じていて、私にちょっと見てきてほしいと頼んできっと仮定しよう。私は部屋を見るが、お化けのいるいかなる証拠も見つけられない。もちろん、このことは本当にお化けがいないことを意味するものではない。お化けはどっかへ行ったのかもしれないし、普通の観察では目に見えないのかもしれない。そのあと私が、その子はその日の夕方に怖いゲームかホラー映画によってとても強い印象を受けていたということを知ったとしよう。この発見は、その子が自分の部屋にお化けがいると信じた起源について何かしらを教えてくれるし、そう信じることが真理であるという可能性を真面目に受けとめるのをやめるための理性的な根拠を与えてくれるのである。
ニーチェが考えるように、この例についてお化けを信じることに関して正しいことは、神信仰にも応用できる。神信仰は論駁されないし、ひょっとしたら論駁されえないのだとしても、もしニーチェがその信仰の信用を掘り崩すようなたぐいの系譜学的説明を神信仰に与えることができたならば、信用を無くすことがありうるのだ。ニーチェ自身の説明では、神および形而上学的世界への信仰は、ある種の「心理的必要」を見たすことの現れである。
(バーナード・レジンスター『生の肯定』)
生の肯定: ニーチェによるニヒリズムの克服(叢書・ウニベルシタス)

神や宗教や道徳がなぜ今、存在するのかのように扱われているのかには、ようするにその「歴史」があったからなのだ、と言うわけである。つまり、「心理学」である。神も宗教も道徳も「心理学」によって説明できる。だったら、それが存在しないということにも、一定の理由があることになる。