いつもの東浩紀先生が、一度止めたと自分でも言っていたはずのツイッターを復活させて、今回の新型コロナについて
- 極端に恐れるべきものではない
と言っています。
このコロナ禍については、ぼくは初期より、新型感染症自体は(ペストやエボラ出血熱等に比べて)極端に怖れるべきものではなく、むしろ社会崩壊のほうが怖いとの意見を述べてきました。その意見はいまも変わっていません。感染したら死ぬという病気でないことはたしかです。
@hazuma 2020/04/06 18:27
しかし、ここでの問題は「ペストやエボラ出血熱等に比べて」という、なぜか括弧でかこわれる条件なわけでしょう。ようするにこれは
- 比較級
なわけでしょう。ということは、その
- なんの特徴を比べて
「恐れるべきではない」と言っているのかが問題になるわけでしょう。エボラはものすごい致死率ですが、「それゆえ」に、人間社会に広まりません。なぜなら、
- 感染した人がすぐに死んでしまう
から、です。対して、今回の新型コロナは、そもそも「感染しても、多くの人が無症状」です。だから、感染した人が知らずに、どんどんと回りに感染させます。
そして、いみじくも東浩紀先生はこのことを分かっているわけです。
ただ、こんなに急激に世界中で混乱が広がるとは予想していませんでした。その核にあるのは医療崩壊です。ぼくたちは一人一人の命をなによりも大切にする時代に生きています。それはすばらしいことです。けれども今回は、皮肉なことにそれこそが弱さにつながったのかもしれません。
@hazuma 2020/04/06 18:27
この先生は、自分が間違ったことを「予想していませんでした」と言っています。そして、それを「皮肉」な事態だと言っています。
しかし、これは「皮肉」でもなんでもないわけです。上記の議論から分かるように、これはたんなる、「想定内」でしかありません。感染症の専門家は、こういった
- 性質
をもったウイルスが現れた場合について、今までも何度も何度も「警告」していたわけです。
ここは重要なポイントです。東浩紀先生は、「安全厨」の立場をとられました。しかし、彼は
- 間違っていた
わけで、上記にあるように本人もそれに気付いたわけですが、彼はこれからも「哲学」で飯を食べていかなければなりませんので、なんとかして人々を
- だまくらかす
「言い訳」をでっちあげているわけです。みなさん、騙されてはいけません。そうでないと、本当に「殺されます」。
コロナの死者はいま世界で7万人ですが、人類はこの何十倍もの規模の感染症を何度も乗り越えてきました。集団免疫の獲得には人口の6-7割の感染が必要だといいます。新型感染症の致死率がかりに1%だとしたら、日本では60万人が死ぬ計算です。現代人はとてもそんな数に耐えられません。だから恐慌になる。
@hazuma 2020/04/06 18:27
ここで、東浩紀先生は「集団免疫論」の立場にたたれていることを明言されています。つまり、イギリスが最初にやった、ノーガード戦法です。では、なぜイギリスはこの戦法を変えたのでしょうか? それは、他国の状況をみて
- 致死率がかなり高い
ことを認識したからでしょう。つまり、ペストやエボラに比べて致死率が低くても、感染力が高い。さらに、インフルエンザよりは感染力は低くても、致死率は高い。つまり、多角的に評価するなら
- かなり殺傷力がある
ということを、なぜ認められないんですかね?
でも、耐えられないとしても、結局あまりできることはないのです。ワクチンや特効薬の開発はまだ先のことだし、それで完全なわけでもない。だとすれば、ぼくたちは、自分や周囲が1%に入らないことを祈りながら、運よく残り99%になったときの責任を果たしていくほかない。社会を守っていくほかない。
@hazuma 2020/04/06 18:28
ここで、東浩紀先生は「生き残った人」の「責任」ということを言い始めます。つまりそれが
- 社会を守っていく
ことだと。この考えは典型的な
- (ニーチェ流の)「生の肯定」論
だと言えるでしょう。人間の価値は、「未来に人間が生き残る」ことだ、と。そして、そのための「一切の犠牲」はそのために、許される。
しかしその「同意」は一体、いつ、誰がやったんでしょうか? こういった「哲学者」に騙されてはいけません。例えば「トリアージ」という言葉がさかんに今、使われています。大量の患者が街中に溢れたとき、「誰の命を優先するのか」は
- 人間による生の選択
です。これは「運」じゃありません。この民主主義社会が「選択」しなければなりません。このことを「隠す」ために、東先生は上記で
- あまりできることはない
と「勝手」に決めつけています。だったら、今世界中でどこの国でも、さまざまな智恵をだして「戦っている」のはなんなのでしょう? それは、東先生が
- パンデミックの後も「今の社会システムが<復興>して、維持されなければならない」
という前提で話しているからです。つまり、
- 東京の復活
です。今までのように、狭いオフィスビルに、大量の人を箱づめにして、イベントがやれる「世界」が戻ってくる、と信じているわけです。しかし、その保障はどこにあるのでしょう? 東京はもう一度、戻るのでしょうか? いや、戻さなければいけないんでしょうか? 武漢にしろ、ニューヨークにしろ、東京にしろ、問題になっているのはどこも
- 人口過密な都市
です。つまり、ここがあまりに「ウイスルに対して脆弱な社会システムになっている」ことが自明になっているのにも関わらず、今までそれこそが
- 東京の優位性
として東京を礼賛し続けてきた「知識人」が、だれもかれもがそれを認めたくないがゆえに、認知的不協和として、
- パニック的な安全厨
となっていることは、興味深くあります(宮台真司先生も、videonews.com で今回はさかんに「安全」側の立場で「戦って」らっしゃるみたいですけど、お二人はそういった「穴蔵」では、威勢がいいみたいですけど、あんまり外ではそのことで「吠えない」のはなんでなんですかねw)
例えば、クラスター対策班に西浦先生は以下のようなことを言っています。
結構すごいことを西浦先生が言っている。前提として、Rを下げる行動制限の議論なんだけど、これは感染の規模が大きくなって、クラスター検知・制圧の能力を超えた場合。計算上は6割カットしないといけないのだけど、夜の街クラスターがあるから7~8割カットと言っている。
【なぜ8割の行動制限が必要なのか】北海道大学西浦博より解説します。行動制限する人(p)の割合を、欧米の例を参考にR0(基本再生産数)と Re (実効再生産数)から導き出すと6割です。なぜ8割としたかを解説しています。 #新型コロナクラスター対策ゼミ
https://twitter.com/ClusterJapan/status/1247463049662889985/video/1
@ClusterJapan 2020/04/07 18:55@kyoshimine 2020/04/08 00:42
よく考えてください。これは、おかしくないですか? もしも「6割」なら、比較的に目標として達成しやすいでしょう。しかし、8割となると、途轍もない目標です。しかし、そうなった理由が
- 夜の街
だと言うのです。しかし、そもそも「夜の街」をどうすべきなのかを考えるのは「民主主義」です。本当に、「夜の街」のためだけに、私たちは6割で済んでいるものを8割にしなければいけないんでしょうか? 別に、なんらかの法的な「規制」を作ることによって、「夜の街」側を変えるという選択肢だってあってもよくないんじゃないですか? なんで、ただの理論系の学者にその「選択」をされなければならないのでしょう? つまり、この先生は東先生と同じく
- 今の社会システムを「変えない」
ことを前提に考えているわけです。
出たーっ! トランプ記者会見で「以前は新型コロナウイルスのことをインフルエンザみたいなものだ、と軽視してましたよね」という質問に対して「人類史上最悪のパンデミックがなんだったか知ってるかい? 1917〜18年のスペイン風邪(Spanish Flu)、つまりインフルエンザだ」と言ったよ、今!w
@RawheaD 2020/04/08 07:25
このトランプの発言も皮肉にも、東先生の認識を上書きするものになっているんじゃないでしょうかw インフルエンザは至上最悪のウイルスだった。でも今、インフルンザをそう言う人はいませんわな。まあ、最初は治療薬もワクチンもなかったわけですから、新型コロナとそういう意味では似ている。さて、東先生の言う
- 極端に恐れるべきでない
とはなんのことなんでしょうかね...。