東京の今の新型コロナ

ネット上の、ツイッターなどの議論を見ると、やれ、東京はロックダウンしろ、電車を止めろ、店を閉めろ、のオンパレードだ。
他方、東京の街を歩いていると、けっこう人を見かける。渋谷や新宿や池袋のような、大歓楽街は少ないのかもしれないが、近所のスーパーのような所は、そうでもない。
まあ、こんなことを言うと、地方に住んでいる「安全厨」の方々は、パニックを起こし、ヒステリーになられるのかもしれないが、まあ、当然なのである。なぜなら、そんなに家に籠っていたら、運動不足になって、逆に

  • 不健康

になってしまう。人々が、家を出て、近所を「徘徊」しているのは、会社から「自宅待機」を命令されている、多くのサラリーマンにとって、当然なのだ。
もしも、そんなに「東京は早くロックダウンをしろ」と言うのでしたら、お宅の県が「鎖国」をされてはどうなんですかね。
そういえば、例の岩田先生がブログで、今の国の緊急事態宣言がなぜ「ロックダウン」じゃないと言うのか、ということに違和感を書かれていたけど、安倍首相が言ったのは、「これは、今、海外で行われているようなロックダウンではない」ということであって、もしもそれを

  • 今の緊急事態宣言の「上」の措置(つまり、ロックダウンなるもの)が「存在」するんだったら、なんで早くそれをやらないんだ

と解釈する限り、つまり今の「最高」である「それ」をやれば

やらない限り

といった、まあ、キリスト教千年王国のような幻想を感じるのであろうが、そもそも、今の法律も憲法も、韓国の「(北朝鮮との)戦時法制」と同じ、

  • (地方の医者や看護師を「強制的」に東京に集めるような)徴兵制

は、想定されていないのだから、まったく同じような戦略にならないのは当然なんじゃないだろうか。それに対して、どっちが「正しい」みたいな議論は違和感がある。この新型コロナに民主主義社会では対抗できないと最初から決めつけるのなら、なんで日本は戦後、民主主義社会になったの? それぞれの国家には、長所短所はあるのであって、日本は今の日本の民主主義の中で、なんとかこの新型コロナに打ち勝たなければならない。そう考えるなら、必ずしも、なんでも「強制」がいいわけではないと私は思っている。
児玉龍彦先生の最新の動画でもそうだが、

【新型コロナと闘う 児玉龍彦×金子勝】デモクラ―タイムスで「自粛で東京は救えるか~ウイルスは変異した!CPRと抗体検査」をアップした。アベの「緊急事態宣言」とコイケの「休業要請」は医療崩壊をもたらし失敗始まっている。至急になすべき4つの政策を考える。
https://www.youtube.com/watch?v=7EtDPtKd4L0
@masaru_kaneko 2020/04/13 20:55

ようするに、今の東京の最大の問題は「医療崩壊」だ。
それは、そもそも東京のような大都市で「クラスター対策」は、ほとんど必然的に「失敗」に終わる運命だったんじゃないのか、といった疑いをもたせる。
よく考えてみてほしい。今回の新型コロナは、インフルエンザの十倍の致死率と言われている。また、重症者は感染者の二割である。また、非常に長い間、感染していながら「無症状」のケースが、かなりの割合である。もちろん、無症状だろうが、軽症だろうが、人に感染させる可能性は十分にある。また、つい最近まで「軽症」だった人が、短時間の間で悪化して、そのまま死んでしまうケースがかなりの割合である。よって、そのための必然的な対応は

  • 隔離

しかない。人と接触しない場所にいてもらって、もしも急激に症状が悪化したら、医者がチェックして、すぐに救急に移す。
では、これを実現するためには、なにがあればいいのか? 一つは、「大量検査」である。とにかく検査をしてもらって、こういった措置が必要な対象なのかを、一刻も早く切り分けて、少しでも市中に感染者が徘徊する割合を減らしたい。
しかし、である。
この対策には、一つの大きな欠点がある。それは、

  • 東京には、「それだけのボリュームを収納できる」隔離施設がない

ことなのだ。東京は土地が高い。また、ビルはたくさんあっても、そういった医療目的から考えて、使い勝手のいい構造になっているかは疑わしい。
そこから、まず最初に政府なり厚労省が考えたのが

  • 自宅待機

であった。しかし、よく考えてみてほしい。自宅待機には一つ、重大な欠点があった。

「自分は一人暮らしで生活保護の身。メシはどうするんだ。出前を取るカネもない。そこまで言うなら、ちゃんと検査して陽性なら隔離してくれ。それなら従う」
A医師には返す言葉がなかった。だが万一、コロナだったら感染を拡大させてしまう恐れがある。さらに困ったのは、男性がゲホゲホせき込みながら「腰痛があって、このあと大学病院の整形外科に予約が入っている」と言いだしたことだ。「感染を拡大させる恐れがありマズいと思いましたが、大学病院の感染者外来に回してもらえればPCR検査が受けられるかもしれないとも考えた。大学病院に電話で問い合わせると、『感染の疑いのある人の受診は勘弁してほしい。いらっしゃっても診察しませんので』と言われてしまった」(A医師)
結局、腰痛に必要な薬はA医師が処方した。
(「現役医師が告発するコロナ "野放し" の実態」
週刊朝日 2020年 4/24 号【表紙:小林麻美】 [雑誌]

ある人が、「自分は感染しているかもしれない」と思ったとしよう。ところが、もし、その人が「一人暮らし」だったとしたら、どうだろう? 当たり前だが、一人なんだから、なにか食料を得るのにも「買い出し」で外に出なければならない。よって、必然的に街中には「感染者」が、うろちょろうろちょろしていることになる。
そして、当たり前だが、彼らは「体調が悪い」のだから、病院に行く。少なくとも、当然の権利として、病院に行ってなにが悪い、と思うであろう。この体調の悪さを、なんとか直してほしいと思うのだから。
(まあ、家族がいたとしても、十分にその患者を隔離できる「部屋数」が家になければならないし、家族に感染さない「正しい」措置が、トレーニングもされてないのに行えるのかが、疑わしいわけだが。)
まあ、ここまでは今の日本が直面している現状だと言えるだろう。では、仮にこの問題が解決して、その先に進めた、としよう。その先には何が待っているか?
次の記事は英語であるが

False Negatives Raise Doctors' Doubts About Coronavirus Tests

ようするに、アメリカの現状が報告されていて、

  • コロナの検査で「陰性」なのに、<どう見てもコロナの症状と同じ>

人たちが「たくさん」いる、と言っているのだ。
私たちはこの「擬陰性」というのは、「検査の確率」のことだと思っていた。例えば、三割の確率なら、三回検査すれば、少なくとも一回は陽性になるだろう、と。ところがここで言っているのは、

  • 新型コロナに感染しているにもかかわらず、検査で陽性に「ならない」

という事態を示唆している(もしかしたら、何ヶ月か後に「陽性」になるのかもしれないが)。どうだろう? 当たり前だが、こういった人は

  • 新型コロナ患者

として「カウントされない」わけだ、未来永劫。だったら、こういった人たちは「患者じゃない」のだから、街中を歩いても、他人に「感染さない」のか?
(まあ、ここでも「東アジア型」になってしまうけど、自宅待機をさせるにしても、それぞれの人の事情に応じて、生活必需品の配達を行うとか、一日に何回か、病院側が電話で健康状態を聞くとか、マスクをそれぞれの人のストックを申告させて、なるべく満遍なく、人々に行き渡るように、配給制にするとか、もう少しやり方ってあるんじゃないですかね。地域社会がまだ存在する田舎なら、回覧板がてら、地域のコミュニティが似たようなことをやれるのかもしれないけど、完全にそういったものが消滅している、東京ですからね...。)