道徳の敗北

さて。ここで少し、ゆっくり考えてみましょう。
今起きている問題とはなんなのでしょうか?
それは直接的には、

  • 医師会が日本政府に医療危機を訴えたら、政府は東京に(そして、今は全国に)「緊急事態宣言」を発令した

という事実です。
まず、この事実から考え始めましょう。
私たちはまず、この一連の政策決定が果して「民主主義」的なプロセスだったのか、を問うべきです。
つまり、この強権的な政策がなぜ実現したのかを考えると、ひとえに

  • 医師会

が、強力な自民党の「圧力団体」だから実現した、ということを理解する必要があります。つまり、本当にこの政策が正しいのかについては、私たちは十分に自分たちで検討する必要があるわけです。
なぜか? それは言うまでもなく、なぜ医師会の要望だからといって、日本の「経済活動」をここまで根底的にストップしなければならないのか、は自明ではないからです。
なぜ医師会はアラートをあげたのでしょうか? それについては、まず、iPS細胞の山中先生の以下の発言が分かりやすいでしょう。

「季節性インフルエンザが原因で亡くなる方は、もともと他の病気で入院されていた方が、インフルエンザをきっかけに細菌性肺炎を併発するなどして亡くなる事例が多いです。この場合、病気の進行が比較的緩やかで延命措置が必要な患者が集中する事態にはならず、人工呼吸器が足りなくなることはほぼありません。 ところが新型コロナウイルスは、普通に元気だった人が一気に肺炎になり重症化する恐れがあります。そうなると人工呼吸器が足りなくなり、どの患者を生かすかの選択を迫られる事態も生じます。私自身は元気で季節性インフルエンザになっても死ぬリスクはまず無いと思っています。ところが新型コロナだと数%の死のリスクが生じる。20代、30代でも感染すると500人に1人は亡くなると報告されています」(山中氏) 
橋下徹が山中伸弥に問う「新型コロナによる死亡者数をどう見るべきか」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

つまり、

  • 医療資源の枯渇

が問題だと言っているわけです。
しかし、このことが勘違いされている印象があります。医師会が問題にしているのは、これです。よって、これが解決されるのであれば、日本の「経済活動の根源的なストップ」は必要ないのです。
もちろん、医師会にしてみれば、「患者は少ないほどいい」でしょう。仕事が楽になりますから。自分たちが感染するリスクが少なくなりますから。しかし、その代償として、いつまで、日本の「経済活動の根源的なストップ」をやれるのかは、決して自明ではありません。
私たちは、自分の心の中の「ファシズム」に注意が必要です。地方に住んでいる人なら、東京を「ロックダウン」しさえすれば、地方に感染者が「疎開」してくることによる、地方の「汚染」の心配がなくなって「安心」のように思うのでしょう。しかし、東京はれっきとした

です。東京のことは東京が決めるのです。よその地方に勝手に「強制」させられなければならない理由はありません。もしも、お宅の地方が「心配」なら、お宅の地方に入ってくる「疎開」者に、二週間の自宅謹慎などの「ロックダウン」をされたらどうでしょうか?
今、インターネット上では、こういった地方出身者による、

  • 東京を自分の思うように「操作」したい

という「欲望」が渦巻いています。そして、その「欲望」は、いずれ東京人への「差別」に繋がっていくでしょう...。
さて。少し話がそれました。上記のようなことなのですから、対策は三つしかありえません。

  1. 東京中の患者を減らす(緊急事態宣言)
  2. 東京の医療資源を増やす
  3. トリアージを法制化する

一番が今、政府によって行われている政策であることはいいでしょう。しかし、一番の必要性は、あくまでも「二番」の不足を補う、ということが目的です。つまり、そもそも「二番」さえ十分に行えれば、一番は必要ない、ということになります。
つまり、

  • 酸素マスクや、防護服など(または、その代替品)を、なんとかして、短期間で全国から東京に集める
  • (地方の比較的手の空いている)専門医、看護師を東京に集める
  • 東京の医療施設を増設する

ができればいい、ということになります。いや、もう一つ加えると、

  • 軽症者になんとかして家にいてもらう

ということです。どうも今は、この政策があまりうまく行っていない、という印象はもちます。
さて。一番と二番が、両方とも難しいとなったとしましょう。そうなったら、もう

  • パニック

でしょうか? おそらく、それは違います。その場合、次善の策は

ではないでしょうか? 医療崩壊が心配なのは、それによって「トリアージ」と呼ばれる、病院による患者の「命の選別」が必須になるからなのであって、では、なぜそれが問題なのかというと、その場合の

  • 選別の規準

が、別に、法律で決められているわけでないから、医者が勝手に行った場合に、裁判を行われる可能性があるからだろう。しかし、よく考えてほしい。たとえ、何件かの「トリアージ」案件が生まれたとしても、「それ」が、あなたに関係した人に起きる可能性は今のところ、非常に少ないわけです。
そう考えるなら、もしもこういった「医師の精神的負担」を軽くしたいなら、より踏み込んだ「トリアージ」法を作るのもありでしょう(もちろん、時限立法です)。大事なことは、それが民主主義的に行われるかどうかです。
さて。上記の議論に不満の方もいるでしょう。ここでは私は、ある

  • 条件

を前提に語りました。それは、

  • 東京が、ニューヨークやイタリアのようにならない

ということです。つまり、「指数関数的爆発」です。そうならなく、比較的「直線」に近い増加率(重篤者数、死者数)となるならば、ということが上記は前提に書かれています(この増加は感染者数、陽性者数に「遅れて」、時間差で現れます。そのスピードは、指数関数的となりますので、少しの「徴候」も注意が必要です)。当たり前ですが、こうなってしまいますと、一瞬で、医療資源は無限に不足します。
では、それは、どういったメカニズムによって起きるのでしょうか?
一つ目は、

  • スーパースプレッダー

の存在です。

宴会やライブハウスなどで集まった際、その中に例外的にウイルスを多く排出している人がいると「非常に規模の大きなクラスターが形成されることがある」という。また、青壮年は移動が多いため、地域を超えて感染を拡大させることも多い。
一方、中高年の場合は、地域で交流の場をたくさん持つ元気な人が地域内での感染を拡大しているケースが見られる。また、出張や接待などの形で地域を超えた感染拡大にも影響していることが見えてきていると説明した。
クラスター対策班の最大の懸念は重症化する高齢者の増加。専門家の最新報告で見えたこと

私たちは、言ってみれば、「こういった存在」をできるだけ少なくできればいい、と考えられます。まず、潜在的感染者がマスクもせずに、街中で、肺活量をおもいっきり使って、しゃべくりちらかす、といった行為を、できるだけなくしていく必要があります。
次が、

  • 一定の地域の「患者数の激増」

です。

患者数の単純な増加ではなく、地域内での流行を把握することが重要だと押谷教授は話す。
「東京で昨日200例を超えたということがかなり大きく報道されてきていますが、増加はいろいろなことが原因で起こります。むしろ、我々が注意してみなければいけないのは地域内での流行です」
「例えば、東京の何々区のある一定の地域で患者数が激増したとするならば、これは地域内での流行を示します。これは非常に危険な状況です」
東京では複数の病院で規模の大きな院内感染が確認されている。それによって感染者の数が一気に増えることがあるが、きちんと追跡し、それ以上の感染を食い止める対策を打てば、「地域の感染状況にはそれほど大きくは影響しない」という。
クラスター対策班の最大の懸念は重症化する高齢者の増加。専門家の最新報告で見えたこと

つまり、これが

  • 東京全体の「感染数の激増」

につながるからで、まさにそれが「指数関数的増加」なわけで、だとするなら、

  • なにがそうで、なにがそうでないのか?

を私たち国民自身が、リテラシーを上げて理解できるようにならなければならない。だから、上記の引用にもあるように、今、さかんに話題になっている院内感染は

  • そういった性質のものではない

わけなのであって、これを極端に恐れる必要はないわけだ。
ここで、話題を変えましょう。
私たちは今、緊急事態宣言の中を生きています。しかし、皮肉にもそれによって実現された世界は、まさに、

と言うべき、ひとときの「ユートピア」なんじゃないか。街を歩けば、スーパーには、お父さん、お母さん、息子さん、娘さんが、仲良く手をつないで、お買い物をしている。その光景を見ると、なんと子どもさんたちの「生き生き」とした、今にもスキップを始めそうな「うれしそう」な姿なんだろう。
そりゃそうだろう。父親がこんなに長い間、会社を休めたことなんて

  • 今だかつてない

んじゃないか? しかも、子どもも学校が休校だ。しかし、よく考えてみると、こういった「期間」が産まれてから死ぬまでの間に、それなりの間、あった方がずっと、幸せな家族生活なんじゃないか。いつもは、父親は夜遅くまで残業で、休みは寝て過す。子どもも、学校や塾。そうやって「すれ違い」の生活のまま、大人になり、家を離れていくのは、なにか違うんじゃないか、とは思ったわけである。
さて。
もう一回、話題を変えましょう。
今、ネット上では「国家がお金をくれなければ<自粛>をしない」の大合唱だ。つまり、お金をくれなければやらない、と。しかも、これに多くの賛同が、ネット上ではさかんに意見されています。
しかし、それは一体なにを意味しているのでしょう? 朝起きたら「おはよう」と言う。食事前には、「いただきます」と言う。目上の人に会ったら、頭を下げて「あいさつ」をする。もしこれらを

  • お金をくれなければやらない

となったら、それは「道徳」なんでしょうか?
もしも「福祉」であれば、国家は貧しい人に資金援助をすべき、となるでしょう。例えば、今回のことを原因として失業したのであれば、国家は失業保険で保障すべきでしょう。しかし、そうでないとするなら、どういった理屈で「自粛のトレードオフ」としての、国家によるお金の贈与を正当化するのでしょうか?
自分が日頃、こういった「危機」が訪れることを考えて、お金を貯金していなかったから、いざ目の前に危機が来たら、手持ちのお金がなくなった。「だから」なんとかしてれ、というのは、少し「自然現象」をなめてませんか?
今、国家が行っているのは、中小企業などの資金ぐりがさし迫っているところに、無利子無担保のお金を貸し与える、ということであって、これで、当面の倒産を回避してもらう、大量解雇をやめてもらう、ということです。これは「会社」の性質を考えれば、緊急の事態ですから必要でしょう。
しかしそれと、一律の生活保障は違うのではないでしょうか? 一律の生活保障となると、当たり前ですが、お金持ちの人が毎日稼いでいた額と、貧乏の人では格差があります。その場合、お金持ちの人にはその毎日稼いでいた額に相当する額を保障して、貧乏の人にはそれなりに、というのは、なにか矛盾していませんか?
(ほんとうに困っている人を助けたいのなら、まず自分が彼らにお金を援助すべきです。つまり、助け合いです。そもそも、日本くらいの規模の国家に「機動力」を求めるのは、「ファシズム」を求めているのと変わらないわけで、危険な行為であることを理解すべきなんじゃないでしょうか。)
つまり、話は逆なのです。
私たちは、今までの生活を送るために、「自らの生活慣習」を変えるのです。それが「道徳」です。もしもそれができたら、

  • 基本的には今までと「変わらない」経済活動が再開できる

という関係になっています。なにを矛盾したことを言っているのだ、と思うかもしれません。政府は「八割」自粛を言っている。ということはつまり、「経済活動の停止」を意味している。しかし、そうだとするならこの

  • 八割

は間違っています。つまり、あくまでも「緊急」の、暫定的措置でしかなく、これは長期的な政策にはなりえません。
では、それに代わる案とはなんなのでしょうか?
私が知っている範囲で、今提案されているのは、二つだけではないか、と思っています。

  1. 人との距離を2メートル開ける
  2. コロナウイルス研究者による提案

前者については、つまり「3密」の否定です。「3密」は、グローバルスタンダードではありません。なぜ「3密」などということが日本で言われ始めたのかといえば、ほとんど

  • 東京の満員電車

の問題を解決するためだった、というのが一般的な解釈です。つまり、満員電車では、どう考えても、2メートル開けられないからです。これに対して、この前の videonews.com で、宮台真司先生は

  • 東京の電車の深夜運行

を提案していました。おそらく、この先生は毎日、自家用車でばかりで移動しているセレブで、電車をほとんど使っていないのでしょう。つまり、夜中に動いたとしても、少なくとも「2メートル」は無理ですw
こういう世間知らずの、大学教授の意見なんて、どうでもいいわけです。完全に人との距離を2メートル開けることは、東京では不可能だとすれば、東京人は、基本的に、

  • 自動車をもっていなければ「移動の自由はない」

ということになるでしょう。つまり、電車の利用は「許可制」となり、当日の利用券をもらえた人だけが、会社に行ける、ということになるわけで、ずいぶんと東京の

  • 経済力

は縮小することになる。しかし、ものは「トレードオフ」です。2メートルを受け入れるのであれば、それしかありません。そして、そのことは

  • 東京を(大都市を)あきらめる

という、日本の大転換を意味していくことになるでしょう。
さて。
もしも上記の条件がどうしても飲めないということになると、まったく別のアプローチを考えなければなりません。それが、前回、紹介させてもらった、京大の宮沢孝幸先生が語られているようなアプローチになるのではないでしょうか?

政府の新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議には、もっと獣医学の視点が必要ではないか――。こう提言するのは、鳥インフルエンザ研究の世界的権威であるとともに、鶏のコロナウイルス感染症研究をライフワークとしてきた獣医学者・大槻公一鳥取大名誉教授(77)だ。
人では少ないコロナによる感染症も動物にとってはありふれた病気。コロナを使った実験を行ってきた専門家の意見を聞けば、もっと実のある議論ができると話す。
新型コロナウイルスについて、人の感染が多いインフルエンザウイルスと同じような対応をしていますが、それではウイルスの本質を見抜けないと思います。新型コロナはコウモリが宿主とされています。もともと動物の病気だったものに人が感染してきているのですから、まずは動物の世界でどのような感染症だったのかを調べる必要がある。
【新型コロナウイルス】獣医学権威が提言「専門家会議には獣医学の視点が必要」|日刊ゲンダイDIGITAL

新型コロナウイルスは、言うまでもなく、今まで存在したコロナウイルスを、基本的には継承しています。つまり、大きくはその性質を同じくしています。そして、そういった旧型コロナウイルス

  • 動物

感染症としては、「当たり前」のものとして知られてきました。つまり、その「知見」が、今回の新型コロナでも生かせるのではないか、といったアイデアではないか、と思っています...。