「夜の街」の意味

木曜日のアベマニュースで、京大の宮沢先生が、韓国でのガイドラインと、日本の「新しい生活様式」について、肯定的に論じている。

韓国では“生活防疫”がスタート…宮沢孝幸・京都大学准教授のウイルスと共生しながら逃げる“感染機会8割減”とは(AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース

韓国が2年というタイムスパンを示したことは、この韓国の戦術が、明確な

  • 逃げきり型

であることを示している、と考えられるだろう。それに対して、日本の「新しい生活様式」は、確かに、政府の公式見解として、「集団免疫論を採用しない」と言っているのだから、そこから必然的に「逃げきり型」を目指す、という含意があると思われるわけだが、そうであると考えるには、今までの態度があまりに

としか見えない態度だったわけで(つまり、まったく「やる気」が見えない)、周辺からの「責任論」に動かされる形で、抗いようがない形で、「逃げきり型」に態度を決定するように強いられていく、移行期にある、と解釈もできるのかもしれない。
例えば、日本の「新しい生活様式」は、専門家会議の開いた会見でも示されていたように、あくまでもこれらは

  • 参考例

に過ぎず、それらを「参考」にして、それぞれの地元の事情に合わせた「行動変容」指針を策定してくれ、という態度だったわけで、確かにそれは、新型インフルエンザ等特措法の法律の立てつけの関係から、基本的にそういった指針を示す単位が

になっていることに対応した態度である、とは解釈できるという意味では理解できなくはないけれども、そう考えると余りに、韓国が示した

とのボリュームの違いが、気になっているわけであろうw
おそらく、韓国や中国にとって、こういった「ウイルス」に対する「行動規範=道徳」といった考え方は

においては、「普通」の感覚だ、ということなのではないか。つまり、

  • 陰陽思想

である。世界は「気の流れ」が充満していて、人間はしょせんその「気の流れ」に逆らうことなく行動するしかない。このことは、おそらくは、儒教のさまざまな「規範」が、こういった

  • 細菌やウイルス

との、人間社会の「戦い」の中であみだされてきた実践的な戦術の集積であった、という事実を指し示しているわけであって、そういった意味で、現在のこういった

  • 逃げきり型

の戦術は、私たち東アジアにおいては親和的ということなのだろう。
しかし、ここでどうしても考えなければならない問題があるわけで、それはつまり、本当にこの戦術は「可能」なのか、にあるわけです。
その分かりやすい例が「夜の街」論だ、と言えるでしょう。

西浦教授は「夜の街……といいますか、夜間やら早朝にかけての接待飲食業の場での感染者が東京都で多発していることが明らかになりつつあります」とした上で、該当する業種を風営法に当てはめて「キャバレー等」(クラブ、ラウンジ、キャバクラなどを含む)、「ナイトクラブ等」、「バー・酒場など」とした。
会見場で配布された資料によると、38人の内訳は20代が6人、30代が9人、40代が13人、50代が7人、70代が3人。「幅広い年齢層を含むことが特徴になっています」とした。これは保健所の調査に応じた分のみであり、実際には患者が調査に応じていないケースもあるため「積極的に対策を講じなくてはいけない数の伝播が始まっている可能性がある」とした。
新型コロナ、約30%が「夜の街」で感染。都内で感染源が不明な患者 | ハフポスト

上記は、3月30日に西浦先生が会見で言ったことですが、それ以降、これは

  • 「夜の街」問題

として定着しました。しかし、上記の発言を見ても分かるように、ここで西浦先生が「可能性」として指摘しているのは、どちらかというと

  • 飲み屋

  • ナイトクラブ

であって、つまり、その主題は「飲み屋」なわけです。つまり、いわゆる

といったような、私たちが一般に考える「性風俗」関係については、直接には言及されていません。しかし、暗に示唆されている、と考えることはできるでしょう。それは、上記の引用にもあるように、それが

  • 調査に応じない

という形で現れているかもれない、といった事実が示唆されている、と読めなくもないからです。
今後、間違いなく待っているのが、「段階的な制限解除」でしょう。しかし、この「夜の街」問題は簡単に解除できるのでしょうか?
お酒を飲みます。すると、必然的に、その人の「警戒」が緩みます。よって、当然のととして「3密」が発生するでしょう。また、酒飲みの場は、人間集団の

  • 団結

の手段として、ずっと続けられてきました。それを、簡単に止められるのでしょうか? それは、昼休みのサラリーマンが同僚と一緒に食事に行って、体面で話しながら、食事をする風景を簡単に止められない、こととも関係します。
外の食事は今も禁止されてはいないわけで、さすがに、集団で食事をしている人はめずらしく、せいぜい一人で食べているのが散見されている程度ですが、飲み屋だって、店は夜遅くでなければ開いているところは開いているのでしょう。そうであれば、そこで、

  • 昼間に宴会

を、「友達」同士で行っている人たちも必ず存在し、そこには当たり前ですが「3密」は守られないでしょう。
これは、なかなか興味深い現象だと考えることもできるでしょう。
つまり、もしも居酒屋が、もっと「おおっぴろげ」に、活動を再開したいなら、上記の

に対応した、独自の「ルール」を発表して、お客にはそれを守ってもらう、という条件で、開始すればいい、ということになるのではないでしょうか? そう考えると、今の

  • 専門家会議は間違っている(=日本は「スウェーデン型・ノーガード戦法」で行くべき)

といった世間の大合唱(つまり、自粛解除を求める声)は、まるで、駄々っ子が国家にごねている態度のようにも思えてくるわけです。居酒屋をやりたいなら、専門家会議が「新しい生活様式」は

  • あくまでも例

だって言っているんだから、お宅のお店事情に合わせた「ルール」を作ったらどうなんだ? と思えてくるわけです。だから、なんでそういった努力をしないで、

  • すべては国家が悪い(=それをけしかけている、ポピュリズムが悪い)

みたいな「上から目線」の説教ばかりやってるんだ、と。
しかし、さきほどから何度も言っているように、そもそもそういった「逃げきり型」の対策が、居酒屋のようなとこで、どこまで「可能」なのかは自明ではない、つまり、彼ら居酒屋経営者たちも、この「困難」をよく分かっているから、

  • 全ては(緊急事態宣言という自粛を「強制」してくる)国家が悪い(=それをけしかけるポピュリズムが悪い)

という場所に「逃げ」ざるをえない、追い込まれている、とも考えられるのかもしれません...。

追記:
早い話が、居酒屋が「元に戻る=復興」ための、最も簡単な方法は、国家が「ノーガード戦法」に方針転換をしてくれればいい、ということになるでしょう。そうすると、その居酒屋のお客や店員の「感染」に対する「責任」を、「国家」が肩代わりしてくれる、ということになり、あとは

  • 国民がウイルスを「気にしなくなる」

だけで、「今までと同じ売上」が実現する、というわけです。しかしその「戦術」を暗に実行した結果が、3月後半の東京の指数関数的増加だったわけで、さて。彼ら安全厨たちが、そういった

  • 国民をだまくらかす

言説を「経営復活」のために採用し始めるのかは、今後、注意して見ていく必要があるのでしょう...。