ユーフォ3の評価

次々と発表された、花田先生の3作品だけれど、私の評価を行うなら、次の順位かと思っている:

三位の作品については、正直、モノづくりを「応援」する作品がテーマとするには、最初のモチーフがあんまり、ふさわしくなかったんじゃないか、と思っている。つまり、高校生の精神年齢の低い少年が、年上の音楽活動に疲れた女性と出会い、主人公が、彼女のMV作りを始めるというモチーフが。なぜなら、そもそもこのフレームって、純粋に

  • 恋愛

を描きたくなるテーマなんだよね。つまり、年上の先生を魅力的に描けば描くほど、主人公の少年が恋愛感情を語らないことが、なんか気にかかってしまう。だったら、なぜ先生を魅力的に描くんだろう、と思ってしまう。
一位については、少し観点を変えて考えている。少し前に、あるユーチューバーの人の動画を見ていた。それは、ぼっちざろっくの映画版について語っているものだったが、その人は、スマホゲームのバンドリについて、よく言及している人だった。その人が、とても、ぼっちちゃんをほめていた。なぜ褒めたかというと、ぼっちちゃんって

  • 他に似たキャラを探しても、見つからないくらい、強烈な個性がある

と言うわけである。これって、少しよく分かる話で、バンドリとかの美少女スマホゲームをやっていると、なんというか、それぞれのキャラに個性を与えているんだけど、やっぱり

  • 似たりよったり
  • 五十歩百歩

なんだよねw それは、ラブライブもそうで、一人として本質的な悪人は出さない、となっているから、みんなそれなりに、常識人の範囲で、私たちが理解できる範囲で登場して、そして、みんなが「なあなあ」で分かった気持ちにさせる形で、そこに存在してもいい、という形で許可を与えたかのように、アプリ内に常駐するようになる。
だから、大きな差異がない。まあ、この影響なんだろうけど、「ギスドリ」っていう言葉があって、キャラは全員「良い子」でいる代わりに、ストーリーが「悲劇」をどうしても、要求する、みたいなのが繰り返されることになる。どっかしら、ドン引きするような、悲劇が起こって、それが事件となって、一つのストーリーとなる、みたいなことなんだけど。まあ、なんというか、これが

  • あまりにも多い

んだよねw このパターンが。だからちょっと、「うんざり」してくる。
最近の言葉で言うと、ぼっちちゃんは「極振り」しているんだよね。この場合なら、「孤独」に極振りしている。そして、それは、ガルクラの仁菜も似たような感じになっていて、彼女の場合は、「いじめ」からの「孤独」「四面楚歌」。誰も回りに自分の味方がいなくなったと考えて「上京」して、「逃げて」くる、という、田舎から東京に上京するキャラのストーリーとなっている。
ガルクラの「違和感」のほとんど全ては、

  • 一期で終わらせられる内容じゃない

というところから来ている。つまり、さすがに続編が必要なんじゃないか、という意味で、一位にしている。まあ、そう言って、評価して今だに続編が作られていない、リコリコのような作品っていっぱいありますからね。あんまり無理を言ってもしょうがないんでしょうけど。
では二位の理由だが、まあネガティブな側面については、ここ最近の記事で書き尽したかな、と思っている。じゃあ、なぜこうなってしまったのかだけど、私は例の京アニ事件の余波があるんだと思っている。
全国大会の最終回の演奏の姿は、あまりにも

  • 異様

だった。ソリの場面で、公美子が演奏をしないで、ただ、ユーフォを手に握って下を向いている。こんな主人公ってあるか? なぜ、こんなことになったのか? それは、やはり、京アニ自身がまだ、京アニ事件の傷から立ち直れないでいるから。考えてみると、この作品の他に、事件前から始められて、事件後にその「続編」が作られたものって、あまりないのではないか。
やはり、制作陣がこの作品を作ることは、事件前を思い出して、苦しかったんじゃないか。だから、その頃に活躍した人たちの場面を想起し、再表現をするという「オマージュ」を、どうしても繰り返さざるをえなかった。
最後の金賞が決まる場面。麗奈が最高の喜びを表現していることはいいんだけれど、対して、公美子の喜びの表現は一貫して抑えぎみだ。その代わり、これ以上ないくらいに喜びを表すのが真由だ。真由は、京アニ事件前には存在しない「外部」の人間だ。だから、彼女は思いっきり、喜びを表現する

  • 担当

にするができた。
じゃあ、公美子の感情は「いつ」描かれたのか? それが、オーディションで負けた、山での麗奈との二人だけの場面だった。ここには、二人以外だれもいない。だから、部長という立場も忘れて、ひたすら、泣くことができた。
明らかに、このアニメ版のクライマックスは「ここ」だ。京アニは、一切の、世の中的な事情を全て無視して、ここに

  • 鎮魂(ちんこん)

を描くことを選択した。そしてこのことは、今までの記事で書いてきたように、確かに、原作改変という、視聴者を「裏切る」ものになったわけだが、そうしなければならなかった制作側の事情を汲み取らなければならない、ということなのだろう...。