ガルクラの可能性の中心

アニメ「ガールズバンドクライ」は、正直に言うと、私のクライマックスは第5話だった。ここまでの展開が最高だった。それに対して、第6話から最終回までは、まあ、それまで謎とされていたことが、ぞくぞくと解明されていったんだけど、どこか、

  • 駆け足

に、いろいろなことを「はしょって」最後まで、勢いだけで描いて、腕力で終わらせたな、って印象なんだよね。
というのは、それは、ユーフォ3の印象と一緒なんだけど、

  • 描こうとしている内容に対して、アニメの話数が「あまりにも足りないい」

ということなんじゃないかと思っている。つまり、脚本が、どう考えても収まらないボリュームなのを、なんとか、いろいろとはしょって、はしょったがゆえに、適当に説明も省略して、省略すると意味が通らないんだけど、「まいっか」で終えちゃった、みたいな。
まあ、実際にユーフォ3第12話の、原作改変も、最大の理由は、これだと思う。原作の内容を13話に収めようとすること自体が無理だから、必然的に、なんらかの改変が必要なんだけど、そこで、ああいった形で、結論まで変えたか、結論までは変えなかったか、というだけで、どっちにしろ、大幅な変更はまぬがれなかった。どだい無理なことを、監督は脚本家に、ミッションとして頼んでいるんだから、それに対して、脚本家がもってきたものに対しては、あとは、ゴーを出すか出さないか、でしかなかったってわけ。
ガルクラのクライマックスは5話と言ったんだけど、こうやって、最終話まで終えてから、特に、第2話を見ると、いろいろと細かいところの意味が、再解釈できるようになっていて、再発見がある。やっぱり、2話の

  • 東京での「孤独」

と、

  • 熊本での「いじめ(という暴力)」

が、とても、対照的に描かれているのが第2話で、私の見解としては、この2話がテーマとしていた、この二つをもっと深く、時間をかけて描いてくれていれば、もっと、今以上に傑作になったんじゃないか、と思うんだよね。でも、そういう方向には行かなかった。残念だけど、1クールで、尺が決まっているから、それをこなすだけで精一杯で、後半は、あまりテーマをほりさげるという方向には行かなかった。
ユーフォ3の方は、そういう意味では、原作が徹底して、深くほりさげてくれている。そして、原作は本当の意味で、私たちが求めていた答えを提示してくれている。ほんとうに、これが読みたかったんだ、という答がそこにある。
だとするなら、ガルクラは「それ」を、いつか提示してくれるのだろうか、って考えこんじゃうんだよね。正直、6話以降は、見ていて、つらかった。こういった

  • かけあし

に描くストーリーを読みたくなかった。これは、私がこの作品に求めていたものじゃなかった。各パーツは、そろっているのかもしれないけど、もっと深く、多くの時間をかけて、

  • ほりさげる

ものが読みたかった。特に、

  • 東京での「孤独」
  • 熊本での「いじめ(という暴力)」

この二つのテーマを、この作品は描けたんじゃないか。描けたのに、なぜこんな形で、中途半端になってしまったのか。つくづく、2期が作られることになるのであれば、どうでもいい「かけあし」はやめて、描くべき、重要なテーマを掘り下げる

  • 5話までの「ポテンシャル」

をひきつぐ、物語を提供してもらいたい(そういう意味では、小説でも、漫画でもいいのだが)...。