「とじとも」のサポートメンバー

アニメ「刀使ノ巫女」の、スマホゲーム「とじとも」をプレイしているのが全国でどれくらいいるのかは知らないが、今「共闘戦」という、戦闘ゲームがこのゲーム内で開催されている。
まあ、そのゲームそのものはどうでもいいのだが、興味深いのが、この戦闘ゲーム内で

  • ランキング上位者のデッキ構成

が見れるようになっていることだ。これの何がおもしろいのかというと、驚くほどに、この上位者のデッキ構成が似ている、ということである。
まあ、メインメンバーの方が、星4の同一属性で固めるのだから、そうなることは分かりやすいが、興味深いのが

  • サポートメンバー

である。これが、実に、みんな似たりよったりの構成になっている。ということはどういうことかというと、

  • みんな「似たような戦術」で戦っている

ということなのだw さて。なぜ、みんな戦術が似てしまうのか?
まず、幡(ばん)つぐみの星4をみんながもっているのが特徴だ。というか、ある意味で、これが全てなのだw というのはこのサポートキャラの実行時、全員の奥義ゲージが+1されるからだ。つまり、このゲームは、通常攻撃と、奥義攻撃があるのだが、圧倒的に奥義攻撃の方が戦闘能力がある。ということは、より「多く」奥義攻撃を行えた方が勝つわけである。
ここで思い出されるのが、以前にサポートメンバーのメインメンバーへの昇格を賭けた人気投票が行われたわけだが、ここで、圧倒的な人気でメインメンバー化したのが、この幡つぐみだった。つまり、このキャラの「いでたち」が、かわいいからこうなったのかと私は勝手に思っていたわけだが、そんなわけないw 投票したゲーマーたちは、メインメンバー化されたときに、この「全員の奥義ゲージ+1」属性を継承してくれる、と期待してのものだったわけだ(実際には、各属性(斬、突、壊、天、地、人)単位では、継承されたわけで、一定の期待は満たされたわけだが)。
そして、この観点から他のサポートメンバーを眺めると、納得させられる構成になっている。まず多いのが「シャッフル系」だ。つまり、一回このバンツグを使ったら、次はシャッフルをして、もう一回、このバンツグが巡ってくることを期待する、という戦術だ。これだったら、シャッフル系を3つくらいもっていれば、かなりの確率で成功するだろう。
その他ということでは、被奥義ダメージを5割くらいアップするなんていうのとか、次回の消費SPを極端に少なくして、連続して巡回を進めさせられるものとか、どこかしら似たような考えで選ばれているんだなあ、ということが分かる(こうやってみると、田中妙子おばさん重要なんだよな)。
(あと、なんらかのコラボやキャンペーンのときに、半分サービスで極端に能力の高いのを配ったのを配置しているとか、そういうのが目立つか。まあ、だからつまりは、今になってはそういうのって、手に入れたくても、原理的に入らないってわけ...。)

科学に「限界」はあるか?

私たちは、科学は無限に「進歩する」と思っている。それは、毎年、科学の論文が書かれ、次々と新しい「仮説」が発表されているのだから、どんどん私たちは「真実」に近づいているのだから、と思うわけである。
しかし、である。
まず、これと似ているが、少し違った問題を考えてみよう。今、世界の存在している「測定器」は、その

  • 原理

をそのままにして、その「性能」だけを無限に上げていったら、その「科学の無限の進歩の到達点」に「向かって」進んでいけるだろうか?

波長が短かいということは、粒子のエネルギーが高いということでもあります。ですから原子の中のさらにミクロな世界を探究するためには、よりエネルギーの高い波が必要です。そこで登場したのが、粒子加速器でした。
(大栗博司『大栗博司の超弦理論入門』)
大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

では、このように加速器のエネルギーをどんどん高くしていくと、いくらでもミクロな世界が見えてくるのでしょうか。もしそうなら、私たちのミクロな世界の探究には終わりはなく、玉ねぎの皮を剥く作業は無限に続くことになります。ところが、ここに重力の影響を考えると、それには限界があることがわかるのです。
ここでアインシュタインの E=mc^2 を思い出しましょう。これはエネルギー(E)が質量(m)と同じものであり、質量がエネルギーに転換できることを表しています。また逆に、エネルギーがあるとそれが質量のようにも働きます。そのため、粒子どうしが高エネルギーで衝突すると、そこには質量の大きなもの、すなわち「重いもの」が生まれます。加速器のエネルギーをどんどん上げていくと、どんどん大きな重力が生じることになります。そして、重力が極端に強くなると、そこにブラックホールができてしまうのです。
(大栗博司『大栗博司の超弦理論入門』)
大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

なお、ここでは加速器による探索を考えましたが、それ以外のさまざまな方法でも、この長さが分解能の限界であることがわかっています。どんな原理を使って分解能を上げようとしても、それより小さなものは見ることができないのです。この長さは、量子力学での開祖であるプランクの名をとって「プランクの定数」と呼ばれています。
(大栗博司『大栗博司の超弦理論入門』)
大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

うーん。
このことは、とても示唆的であるように思われる。近代の科学は、ニュートン力学から、相対性理論量子力学と、より「小さな物質(実在)」の探究の旅だったと言えるだろう。そして、素粒子ニュートリノといった「物質」を量子力学は発見したのだから、

  • じゃあ、それより小さい物質は?

と問いたくなるのは自然なわけであろう。この

への追求こそ、

の究極の「アイデンティティ」だったはずだ。この「探究」が<可能>だから、それを私たちは

と呼んでいたわけだ。
ところが、である。
もしもそれに「限界」があるとするなら、上記の「問い」とは一体なんだったのだろう、とも思ってしまうわけである。
なぜ「限界」はあるのか? それはどこか「認識論」に似た問いのようにも聞こえる。なぜなら、私たち観察者である「人間」も、この物理法則に従わなければならないからであり、こういった「観測装置」も、この物理法則に従わなければんらないからであって、

のように、こういったさまざまな「法則の<外>」に、誰も行けないから、ということになる。

LHCの一京倍の加速器で実験したらブラックホールができる、と本章で書きましたが、もちろんこれは想像上の話です。現在の技術でLHCのような円形の加速器をつくると、その直径は天の川銀河の厚みほどにもなってしまいます。
(大栗博司『大栗博司の超弦理論入門』)
大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

まあ、そうなんだよね。原理的に、こういった「問い」には限界がある(原理的に

  • 科学の境界は超えられなくなっている

のだから、「無限遠点の科学」を「想像」することには、一定の<限界>がある)のではあるけれども、そもそも、天の川銀河の直径の加速器を考えることの、今の技術からの馬鹿馬鹿しさを考えてみれば、そんな問いに悩むことの無意味さも分かるわけですけどね...。
(おそらく、「科学の進歩」ということを考えている人は、こういった事態でさえ、「まったく別の新しい発想」によって乗り越えられるだろう、と考えているのだと思う。しかし、そうだとするなら、それはどこまで「根本的」なことか。少なくとも、今までの、物理学が考えていた延長や、ハードSFが想像してきた「科学的事実」とは、まったく違った発想と言っているわけで、まあ、こうなってくると、まさに科学哲学が考えてきた「科学」の進歩の歴史の延長にすらないものをイメージしている、ということになるわけで、そもそもこんな「科学の発展」が今までの人類の科学史にあったのかな、ということを疑いたくもなる、そんな規模のことが起きる、って言っているわけで、まあ。少なくとも、現代の人間である、私たちが悩む問題ではないですねw)