小島毅『靖国史観』

明治の、「国体」の語源が、幕末の水戸学派、会沢正志斎の『新論』とされるのは、有名であるが、問題は、正志斎が何を言わんとしていたか、である。

正志斎はまず古代の朝廷の記録、何々天皇がだれそれを派遣して軍事作戦を行ったという記述の列挙から始める。それはアマテラスがニニギに与えた神勅の継承発展であった。朝廷の尚武精神とは、天皇の威光と彼に属する領土が「たえず四方に広がること」をめざすものであった。

つまり、彼は最初から国防を外征の論理で語っている。「我らが国体」の護持は、消極的に所与の与えられた領土領域のなかで自分たちの世界を墨守していればよいというものではない。そこにははじめから侵略の論理が潜んでいるのだ。(したがって、私は「明治政府は当初は正しかったのだが、ある時期から道を間違えてアジアへの侵略を開始した」という歴史認識を採らない。「御一新」には最初からそうなるべき芽があったのだ。)

国体を世界に輝かすために、その事業を文字どおり突兵として担うのが、武人であった。

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)