小島毅『朱子学と陽明学』

この本について、まえがきにおいて、朱子学陽明学を「思想文化史的」に解説したもの、とある。ニーチェで言えば、系譜学ですね。アクロバティックに、さまざまな角度から、論じられていて、教科書的な整理の本とは、まったく違う。大変、能力のある最前線の学者さんだからできるんですかね。たいへん、おもしろいと思います。
朱子学とはなんだ?と、まず、こういう話になる。そこで、朱熹自身が、自分のやっていることをどう考えていたのかというと。

朱熹はみずからを二程の忠実な継承者と位置付けた。

当時の、程こう・程い、などの道学の流れで考えていたということだが、つまり、儒教の中の、解釈学の世界だと言える。だからといって、それを、現代における、科学に類する性質の学問と考えると認識を誤る。多分に、「神学」的なのだ。

そもそも、朱子学の論理構成において、祭祀は経学上の所与のものとして与えられていた。儒教思想である以上、これを無意味だとすることはできない。ここに純粋な論理に支えられた哲学的思考との本質的な差異がある。朱熹が理や気を持ち出すのは、それによって孔子以来の教説を体系的・整合的に説明するためであって、自己の思索のみに基いて森羅万象を説明しつくそうとしたからではなかった。理気論が鬼神論と矛盾衝突しそうになれ、彼は前者のほうを迂回させてそれを避けねばならなかった。あるいは、みずから進んでそう選択した。その意味で、朱子学とは儒教の神学であり、それ自体の論理を重んずる哲学ではなかった。

そうは言っても、まったく、近代西洋科学を排除するもの、というものでもない。

だが、格物究理の伝統は西洋天文学を呼び込む土壌となった。明末にカトリック宣教師たちが伝えた知識は、除光啓をはじめとする少なからぬ士大夫の心を魅了したのである。もちろん、頑迷固陋にそれを拒絶する者も多かったが、それは朱子学がそうした性質を共有していたからというよりも、彼らが既成の理気論それ自体を信仰対象としていたからである。格物致知に対する関心、朱熹その人が述べた教説を絶対化するわけでは必ずしもなかった。むしろ、西洋のほうにより妥当な見解があれば、それを吸収する柔軟な思考をする朱子学者・陽明学者も存在したのである。

ここから、この本における、朱子学における、解釈学としての成果を検討していくのだが、まず、さきほど、神学といったが、儒教における、昔からの、難問として、「性」についての、議論がある。朱子学においては、孟子性善説をとる。そして、そのキーワードは、「性即理」。ここで、私たちは、まず、つまづく。急に現れた「理」という言葉に。

加えて、唐の第三代皇帝高宋(有名な則天武后の夫)の本名が治であり、古来、皇帝の名前に使われている字は使用をはばかるしきたりであったため、唐代のかなり長期間にわたって「治」字は使用禁止となり、多くの場合「理」字で代用された。たとえば「孝治(孝によって治む)」を「孝理」というように。

理は、「○○は理だ」という述語の形で用いられる、説明のための用語であって、「理とはかくかくしかじかのものである」と主語として説明を要する語ではなかった。「性即理」にしろ「心即理」にしろ、「○○は理だ」の形になっている。

こういった形で、「理」そのものには、もともと、それほどの輪郭はつけられていない、ということらしい。ではなぜ、性を「理」によって説明する、ということになるのか。

これを自覚的に最初に宣言したのは程こうで、彼は「自分の学問は先人から学んだ所が多いけれども、ただ<天理>の二文字については、自分自身で体得した」と述べている。

秩序の根拠を指し示す語として宋学の各流派はこの語(理)を愛用した。しかし、<理>が従うべき規範であるその根拠は何かということについては、明確な提示がなされていなかった。<天理>という表現は、<理>が<天>に由来することを明確にし、それゆえ自然界と人間界を通底する秩序原理であることを示す格好の熟語なのであった。

天にあれば<命>といい、人にあれば<性>という。(『河南程氏遺書』巻一八)

『中庸』冒頭の一句「天の命ずるをこれ性と謂う」を言い換えた、程いの発言である。天には<理>があって、これが世界全体を統一し秩序づけているのだから、したがって、これらの個々の<性>はすべて<天理>の一部として同質である。

結論としては、このことで、「性は善」であるということの説明に成功した、ということらしい。さて、「性」について、朱熹は、もう一つ、別の説明を頻用する。こちらは、もう一つの儒教における昔からの議論、修養論にかかわる。

張載の「心は性と情とを統括するもの(心統性情)」という句である。ところが、この句は来歴不詳で、現存する張載の文章・語録には見えない。(中略)天の理だとされた性は、人間の心の一部でしかない。他方に情というものが存在する。(中略)

喜怒哀楽(といった感情)も、<未発>の段階ではすべて善である。それらが外にあらわれても節度にかなっておれば、ことごとく善でないものはない。(『河南程氏遺書』巻二二上

(中略)儒家思想において感情のむきだしな表出は控えるべきこととされ、これらの感情をどう統御するか、あるいは統御することが可能かが、修養論の一つの主題であった。(中略)『中庸』に「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発してみな節に中る、これを和と謂う」という文章がある。上の程いの発言は、この文章をふまえていることがわかろう。<未発>とは、感情を引き起こす対象とまだ接していないために、当該の感情が生じていない段階である。対象に接すると感情が生じる。たとえば、<怒>の感情である。人にとって感情は不可欠であり、しかも人倫にもとる行為を知った場合には、むしろ怒らなければならない。ただし、その怒り方が問題なのである。表出の仕方が節度にかなっていること、すなわち、しかるべき手順をふまえて礼に適合した形で自分の感情表出をすること。それが人格者としての君主の振舞いであるとされる。

この心論において、陽明学は、違いをみせる。

「外物に対処する際の感情を統御するために、物と接する以前の時点においてあらかじめ心を治めておく」という朱子学の敬の修養法は、日々さまざまな物事に連続・不断に接していかざるをえない、人の日常生活を無視した机上の空論にすぎない。むしろ、外物と接触するその現場において、みずからの心を正しく持っていくことを実地に身につけていく、それが陽明学にいう事上磨練であった。

このことは、結局、どこにおいて、違いが現れているか、なのだが、『大学』での<格物>にあるのだ、という。

問題は、<物>とは何か、<格>とはどういう動作かということにある。(中略)朱熹の『大学章句』における解釈も、そうした諸説並立状況に新たに一つを付け加えるという形で登場した。

<格>とは<至>である。<物>というは、<事>と同様の意味である。

(中略)そもそも、格物をめぐる解釈が古来紛糾していた主要な原因は、『大学』の中で明示的にこの語を説明する文言がないことであった。

では、陽明学における<格物>は。

格物は、『孟子』の「大人は君心を格(ただ)す」の「格」と同じで、心の不正を採り去り本来供えている正しさを回復することだ。(『伝習録』上)

(中略)王守仁においては、八条目は段階ではなくなる。物を正すということはすなわちで良知の働きによるもの(致知)であり、それには内面が誠意・正心という状態であることが必要であった。

著者は、結局のところとして、朱子学陽明学との違いは、この八条目の段階性を、認めるかどうかにある、と指摘している。
例えば、科挙の試験において、ものすごく、得点の高い、一部の上澄みだけがすくわれることの正当化に、この朱子学の考えが、反映しているように思うんですけどね。この考えの影響は、日本の高校・大学試験などでも、大きな影響を与えているかですね。
最後になりますが、朱子学は、一方で、理気二元論ともいわれます。

各人にそなわる天理としての性は、ヒトという形態を取るために必要な<気>にまじっている粗雑物、すなわち<欲>によって発現を妨害さえている。この悪の要因を除去し、本来の至善に帰することが、修養の目的であると、朱熹は説いていた。『大学』冒頭の例の一文の注解に際して、「止於至善」の説明として「天理のきわみにまで至って、ひとかけらの人欲もない」と述べているのがそれに当たる。両者は正負の関係にあり、天理すなわち明徳を明らかにすることによって、人欲を滅尽できるという論理が成り立っていた。「存天理滅人欲(天理に存して人欲を滅する)」が、朱子学の修養論における基本的立場である。

<気>という語は、<理>以上に人口に膾炙した日常語であった。漢代以降は森羅万象を説明する原理としても用いられ、医学書や占断術にも頻出することはよく知られている。道学もその言語空間に属していたから、この語が二程の語録に出てくるのは不思議ではない。

性を論じて気に言及しなければ十分ではない。気を論じて性に言及しなければ明確にならない。これらを二つの別個のものとするのは、正しくない。(『河南程氏遺書』巻六)

(中略)朱熹によって、「万人の性がみな善であるのなら、なぜあらためて後天的修養が必要なのか?」という難問に解答が与えられたのである。<気>は実世界を構成する元素として、朱子学宇宙論にとって不可欠の概念となった。

さて、なんとか最後まで、こうやって来たのだが、どう思うだろうか。いろいろと、儒教の中において、いろいろの解釈学的な解釈をやっているんだと思うし、それは、それで、鮮かなんだろうな、と思わなくはないんだけど、他方で、こういったことの、一体それがなんだというんだ、という気にならないだろうか。なによりもあの、「論語」にあったような、倫理的な緊張感のあったダイアローグについては、どこにいった?という感じですよね。なんか、世界が何でできているとか。それが、一体、なんだっていうんでしょうね。
上にも書いたけど、朱子学というのは、アジアにおける、官僚の登用や、大学の選抜などに対しての、正当性、理論的な解釈を与えたことの意味の、実践的な方が、意味が大きいんじゃないでしょうか。
格物といって、とにかく、勉強する。しかも、半端な状態では、格物じゃない、というんだから、もう、とにかく、つめこみ、ですよね。それが半端じゃない。相当の、完璧じゃないと、格物とされず、次の階梯に進めない、というわけだ。そして、<先憂後楽>といって、そのことが、将来の幸福につながるんだ、となるんだけど、もう、ほとんど、神経症ですわな。
そこで、アジアにおける、教育熱について、それは、ちょっと世界的にみても、異様な形で見られているわけですね。そして、そのことに、賛否両論があるんだけど、一方で、これほど若い頃に、勉強をしていながら、ノーベル賞の受賞の人数をみても、子供が全然勉強をしない(、でも本はよく読んでいる)アメリカが、圧倒的に多い、などということから、バランスの悪さを指摘する意見もありますね。
でも、こういったことが、もし朱子学的な、体制維持のシステムによって、要求されたものでしかないとしたら、こういったものを、そんなに評価するものか。やるならやるで、それで、前向きな、まったく違った角度からの、開放的な理念があってじゃないか、とそんなふうに思うんですけどね。ちょっと、教育批判みたいなことを言ったということで。

朱子学と陽明学 (放送大学教材)

朱子学と陽明学 (放送大学教材)