小島毅『足利義満 消された日本国王』

今回は、義満日本国王にフォーカスをあてたもの。二つの命題を提示している。ひとつは、「孟子は革命思想なのか」。これについては、歴史的に否定的な考えを示している。もう一つは、「義満国王は天皇家をのっとろうとしたのか」。こちらは、むしろ当時としてはもっと大きなことにこそとりくんでいた、というものだ。
当時の明の政策として、臣として朝貢した国でなければ、庶民レベルでも交流を認めない政策をとっていたのだから(対馬の方でいろいろあったようだが)、逆に義満が朝貢することが、どれだけ実として重要な結果であったか、ということでしょう。じゃあ、天皇が中国に朝貢すべきだったとでも言うんですかね。朝鮮通信史にしても、同じ臣として、同列であったから行われた、ということだそうだ。
そういえば、神道についておもしろい指摘があった。中国なら、儒教によって、こういった呪術信仰は、民間的には存在していても、徹底的に低く評価されてきた。当然と言いたいが、それだけ儒教の優秀さを現しているのだろう。実際に、儒教こそが日本においても、欧米の近代科学を正しく評価しえて、吸収していったところは間違いなくある。儒教はそういう意味でも先進的なのだ。カントの純粋理性批判が、儒教の延長で解釈され読まれたのは、むしろその儒学者たちのリテラシーにこそ驚かされるということだろう。
つまりそうであるのに、なぜ、日本では、神道として、一定の評価があるのはなぜなのか、とある。この視点から、戦中の皇国史観を考えることはできるだろう。
皇国史観の一つのアポリアは、その非科学性にあった。神話の世界、アマテラスやスサノオヤマトタケル神武天皇にしても、存在したわけがない。しかし、皇国史観において、こういったものの存在を信じることから、天皇の無謬性が担保されるロジックをつくった。そして、生半可な当時の欧米帰りの学者は、それは欧米でもキリスト教によって同じように行われていると思い込んでいた。
いずれにしろ、天皇人間宣言はそれを真っ向から全否定した。だから、当時の右翼はあまりに驚愕して、ほとんど茫然自失の中、なんの衝突もなく無条件武装解除が実現した。一部の人たちに言わせれば、天皇の言ったことは、自分を殺して違う人を天皇にするか、自分に従うかの二者選択を迫ったに等しいのであろう。これは面と向って言われただけに、強烈だった。
確信犯的に(あまりに融通がきかなく、毒でも使って)天皇を早く別の人に変えたがっていた連中は、こうも面と向かって言われただけに、ちょっと正面からは手を出しづらくなったのであろう。特に、平泉澄は実家であり自身も天皇をまつる神社の神官だっただけに、ここまで全否定されたのは、大きかったのではないか。これで、言ってみれば、明治以降の呪術信仰による国民の支配から解放されることによって、戦後の繁栄が実現した。戦後の日本の発展がどれだけ、この天皇による啓蒙発言によって実現されてきたか。それは分からないが、大きな影響はあっただろう。なぜなら、その意味は、今後大事なのは、神話的な因習でなく、科学だと言っているわけだから。そうなれば、国民は科学を学び、その科学を応用にして経済活動にいそしむことは、おもしめしにもかなう行為になるわけですからね。
当然、今でも、この天皇の発言に許しがたい怒りを抱いている勢力はいるだろう。神道はあれだけ、戦争中大きな力を持ち発展したのだ。その信仰がたんなる迷信の一言でかたづけられたのだ。そもそも、会沢正志斎の「新論」がそうであるように、天皇はアマテラスのご神光にまっさきにぬかづく存在であるからこそ、神として崇拝されるのであって、その天皇がアマテラスのご威光に唾するような態度をとるなら、ひきづり下して、とっかえることこそが、神の教えにかなうこと、となるわけだ。これこそ、一種の革命思想だと思うんですけどね。

足利義満 消された日本国王 (光文社新書)

足利義満 消された日本国王 (光文社新書)