網野善彦「楠木正成の実像」

網野さんが、戦中の忠君愛国の鏡、楠木正成について書いた、短いエッセイ。『中世的世界とは何だろう』という新書でも読める。
楠木正成が、なぜあれほどの生真面目なのかについて、彼のその立ち位置が、後醍醐帝についていくしかない、ほかに行くあてのないものだった、ということで説明する。
結局、言いたいことは、楠木正成が、戦中において、あれほど忠君愛国の代表のように言われ、それにこれだけはなんのゆるぎもない、とされていたのを、網野さんの一つの視点を提供したということだ。そもそも、どこかに書いてあったと思うけど、「太平記」における、楠木正成は、そんな忠君愛国のイージではないですね。大河ドラマ武田鉄矢だったそうで、そのへんのイメージですな。
例えば、平泉澄「眞木和泉守 楠子論講義」

先哲を仰ぐ

先哲を仰ぐ

をみると、ちょっと、行くところまで行ってますよね。楠木正成の死は、最終的には、天皇家(後醍醐帝)存続しか達成できず、建武の中興は続かなかったわけだから、その時点で目的を成就しているとは言えず、無駄死のようにも見えるが、彼の天皇に命を捧げるその姿が、その後の長い歴史の中に、模範となって、多くの後陣を生んだ、そういう意味で、無駄どころか、誰よりも顕彰すべき存在なんだというわけだ。しかし、そんなに純粋なのか、ということだ。
例えば、平泉は、楠木正成が、親も子供も天皇のために死ぬことを命令したことをこそ、礼賛する。血族がたとえ滅びようとも、天皇制度さえ守れれば、って、ここまでの「まじめ」とはなんなのだろうかね(北欧の騎士道精神との比較までは分からないけど、ここまでくると、東アジアの伝統的な「孝」の民間習俗とも、違うような。なんか、土俗的な因習、シャーマニズムの世界なんじゃないですかね)。野蛮ですね。
やっぱり、東アジアの伝統的な血族意識と、日本の家制度との齟齬が起きているのではないか。
もともと、日本で家制度ができてくる以前から、日本では、かなりの近親相姦がゆるく許されてきた伝統があるんですよね。それで、天皇家なんて、かなり弱い遺伝子になっている。日本の宮廷文化があれほど、軟弱なものになっているのも、近親相姦的なものから、生命力が弱くなっていたことも影響があるのかもしれない。アジアでは、同姓間の結婚は忌避されてきたし、そういう意味で、強いですわな。
日本の明治の最初の徴兵制では、実際に兵役についていたのは、一割くらいらしいのだが、金持ちの子供は免除されていたそうだ。また、次男、三男から選ばれていたそうだが(長男は家を継ぐからということで、そうでもしないと、当時は同意が得られなかったのだろう)、ここにも、日本の家制度の考えがありますね。