保坂正康「引き裂かれる平成皇室」

この対談を読んで、ずいぶん考えさせられるものがある。おそらく、雅子様は、うつ病なのであろう。もしそうなら、このまま、天皇妃となることはできるのであろうか。
しかし、それ以上に、このことが、なにを象徴しているのか。
やはり、思ったのだが、天皇が日本の歴史の表舞台に登場するときというのは、やはり、侵略的な行動にでるときのように思うわけです。外の国に攻め込んでいくとき、その御旗として、天皇が担ぎ出される。これは「日本書記」から、宿命付けられたわけだ。日本人は、侵略するときは、天皇と、一言言うと、みんな理解し納得するわけです(逆に、戦争をやめるときまで、天皇といえば、納得してしまう傾向だったというわけですが)。じゃあ、それ以外のとき、天皇はなにをしていたか。なにもしていないわけです。ぼーとしてるだけ。ボーとして、朝夕のお祈りと、ハンコ押しをしてただけ(今の中間管理職みたいなものです)。聖徳太子の時代は違うかもしれませんが、源平の頃からは、完全に、なにもやらないから、天皇なんですね。外国との貿易を主導してもいないし、民衆のトラブルの裁判を裁いたり、仲裁したりもない。そんなんで、あなた、なんでエライってことにされてんですか?、ってなもんですな。
日本は戦後、平和憲法を選択しました。しかしそれは、かなりの割合で、昭和天皇がかかわっていることが、わかっています。そうだとするなら、そもそも、昭和天皇は、戦後日本をどう考えていたのか。他国を侵略するときだけ、政治の表舞台にひっぱり出される、天皇制を、身をもって知り尽していた当事者である彼が、完全に、他国への侵略のできない憲法を選択することで、なにを意志していたのか。なぜなら、それは、完全に天皇制そのものの存在意義を局限まで、薄める行為に思うからですが。そんな、自分たちが不要になる方向を目指して、つき進んで、どうしたかったのか。
ちょっと上でそんなふうに書いたんだけど、本当に、うつなのだろうか。早い話が、病気だということにしてしまえば、ていよく追い出して、次を迎えられる。その方が、男の子が生まれやすいでしょう。

文藝春秋 2008年 04月号 [雑誌]

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