浅野裕一「『孔子伝』の信託」

白川静というのは、中国古代の、文字の学者というイメージがあると思う。この前も、NHK で、故人をインタビューしたものを編集して流すような番組があって、彼を特集していた。そこでは、一個一個の漢字の解釈を積上げていって、一つの辞典にまでなるんだけど、積上げればずいぶんな作業に見えるけど、一つ一つ、やっている分には、チリツモだから、たいしたことない、みたいなことを言っているものであった。
白川静のもう一つの私の印象は、

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

である。これは、あとがきだったかで、全共闘の頃に書いた、みたいなことが書かれていて、正直、これが、学会のスタンダードかどうかとか、あまり考えることもなく、ざっと流すように読んだ。ちょうど、マンガの諸星大二郎の『孔子暗黒伝』の参考資料になっているということだったけど、このマンガの方は手元にはあるんだけど、まだ読んでいない(あまり読む気にもならないが)。
それで、なんで、白川静なのか、なんだけど、

雑誌「大航海」No.66 2008/03 新書館
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が、中国特集をやっている。その中の記事に、礪波護「京都の中国学」、というのがあって、その記事後半に、

三浦雅士白川静問題」

アステイオン (67) 【特集】新しいヨーロッパ

アステイオン (67) 【特集】新しいヨーロッパ

への言及がある。そういえば、文芸批評家の三浦雅士は、「大航海」の白川静特集で対談をしていたな、と。
なんのことはない、アステイオンの三浦さんの記事を受けて、「大航海 No.63」で、白川静の特集をくまれて、その中で、三浦さんは、白川静の一般向けのエッセイや講演での、日本の中国への態度について、問題にされた。そこから、そもそも、中国って、どう考えればいいの?ということで、「大航海 No.66」で、中国の特集になった、と。まあ、どうでもいいや、そんなこと。
それで、いろいろ、話題があって、多岐に、おもしろい(あんまり、細かく読んでないんですが)。その中には、上記の「京都の中国学」の、日本の学者たちの、微妙な関係もあったりして、いい。でもやっぱり、中国問題全般は、簡単に語れないところもある。
で、白川静なのだが、日本の学者の中でも、彼の甲骨文や金印の文字学研究ほど、世界的に引用される人もいないんじゃないか、といったこともどこかの記事に書いてあった。
個人的には、浅野裕一「『孔子伝』の信託」、をおもしろく読んだ。浅野裕一儒教 ルサンチマンの宗教』をおもしろく読んだのが、ある意味、『孔子伝』は、それに先駆けた、大胆な読解の本の一つだとも言える。
この論文では、その浅野さんが、『孔子伝』を批評したということになる。
孔子伝』では、孔子の出自を最も下層の階級の出自としたことや、孔子を陽虎と同列の存在とみなしたことなど、かなり、つっこんだ、キレキレの認識が示されている(こういうのは、おもしろいしいろいろ考えさせる)。
他方で、孔子をかなり、呪術的な伝統の中に、位置付けているということを強調するのだが、そこがちょっと気になる。

著者は孔子が無名の巫女の子だったと思われる理由を色々と挙げるが、どれも確実な証拠と言えるほどのものではない。だが孔子の出自を巫祝者と推測した点は、本書の特色となった。

あまりこの部分は、ちょっと分からない。そこまで孔子が「ミコミコ」してるって、強調できるのかなあ。あんまり、そこまでは、わからない。『孔子伝』も、そこは全然、証明的じゃないですよねえ。かなり思い込みで突っ走っているように思えるけど。たしかに、その後の、儒教の伝統で見てしまうから、自分たちには、その辺りがピンときてないだけで、白川さん的に、論語の漢字を見ると、そういうイメージがどんどん浮かび上がる感じなのかなあ。
よくも悪くも、そこが白川論語の特徴ということなのか。

雑誌「大航海」No.63 2007/06 新書館
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