葦津珍彦『国家神道とは何だったのか』

この本は、神道の側からの、明治維新から戦後までの、国家神道論となる。
なかなか、おもしろかったが、神道側にとって、仏教の動きに大きく影響された面もあったようだ(対抗意識が強かっただけに、その動向はかなり詳しく書かれている)。
だから、キリスト教の弾圧のためもあって、江戸時代は、仏教強制の時代で、神道は、神仏習合というけど、ようするに、仏教に従属してあって、神主も仏葬をしてたのだそうだ。
例えば、真宗系の、月性、黙霖、は、吉田松蔭など、長州に多きな影響を与えているし、西本願寺がかなり、長州をサポートする立場にあったようだ。それだけに、廃仏毀釈はあっという間に終わった(それでも、すさまじかったようで、九州は、今でも大きな寺はないそうだし、美術品の3分の2は、この時期、無くなっているようだ)。
だから、私たちが普段見る神社というのは、かなり起源があやしい。この明治維新の最初の頃に、かなり寺が神社に変わっているし、実は、この頃、神社ができたというけど、ようするに、なにか天皇がすべての神社を統合する、天皇のための神道みたいに、完全に日本中の神社が天皇をまつるものに再編成されたところはありますね。
しかし、古事記にしろ、日本書記にしろ、そのほか多くの当時の文献にしろ、発掘された考古学の出土品からも、各地方地方でいろいろな共同体があり、それぞれに、また、神々がいて、まつられていたのでしょう(それを、天皇家がどんどん、侵略して統一していったというわけか、中国の律令の考えもあり)。古事記、日本書記は、完全に地方のいろいろな言い伝えを盗用して寄せ集めて、勝手に天皇家の起源の物語であるかのように書きかえたものでしょう。でも、その勝手なパクリを完全に隠せないから、そこら中にボロがでまくっている。
だから、そういった地方の各神様をまつる伝統は、各地の豪族の伝統とあわせて、わずかだろうけど、残ってる部分はありますよね。それで神道だけど、源平の頃くらいから、ちょっと理論みたいなのが、その頃、勝手に整理されて、少し、秘伝伝承みたいにやってた。
いずれにしろ、戦中を含めて、言うほど、神道って、一人勝ちって感じじゃ、なかったと言うのだ。だから、国を中心に、右翼がさかんに言っていたのは、天皇ですからね。神道というのも、それは天皇をまつるためにすばらしいと言ってるだけで。実際、右翼がすごく増えて、活動がさかんになったのは、ロシア革命の後、日本にも共産革命が起きるかもしれないと言われ始めた、大正時代くらいからなんだそうで、もともと政府主導のイデオロギー対抗運動のようなものなんですね、起源は。当時の政府は、国民を操作するのにさかんにヤクザとの関係をつかってもいたようですし。
だから、北一輝によって、天皇中心の共産主義を唱えられると反論できない。もともと、農村とか、すごい貧困ですから、共産主義の人気を止められるわけないんですけどね。
だから、平泉澄神道は、明治に、仏教からの転向の天皇礼賛目的の神社ですし、闇斉神道の流れで、どっちかというと言ってること、儒教ですしね。なんだかわかんないけど、大学内の学生がみんな共産主義者になっていて、フランス革命ロシア革命のように、王制、自分の天皇制が追放されることに恐怖を覚えたのでしょう。でも、だったら、天皇中心の共産主義を自分も一緒になって進めばいんじゃねえかと思うんだけど、そこが、国家主義者。なんだかわからないけど、お国、官僚の言ってることはなんでもその通りになることを祈るし、国が戦争するっていえば、うまくいくように祈るし、国が人殺すといえば、いっぱい殺せるように祈るし。まあ、そんな態度ですから、それ以上に、軍部内の派閥争いにまきこれて、どんどんつっこんだんでしょうが。
たしかに、教育勅語をみても、あまり、神道の神がかりの、土着的で淫祠的なアニミズムを礼賛するようなものじゃないし、そういうものを否定する儒教そのものですからね。おもしろくないでしょ。また、日本書記自体が天皇家自身が仏教徒になることを宣言するための書物でしょ。だから当然、今でも天皇家仏教徒なんであって(そうでなかったら先祖からの伝統をなんだという話でしょ)、まあ、そんなことおかまいなしに、仏教弾圧をしたのが、明治の水戸学派や平田学なんですかね。
しかしじゃあ、神道関係者が、反天皇の側面があるかというと、これがまた、まったくそういう声はない。そういうのもありますけど、明治の頃に完全に天皇中心に回収された、そういう側面があるでしょう。もちろん、それ以前からの、神道内でのさまざまないっぱいある流派間の神学論争は全然解決されるわけじゃないし、政府による一律の強制は、反発を強めるわけだけだったでしょう。しかしねえ。こういう、弁明一辺倒の話はうさんくさいですね。またうざい。それなりに、天皇中心でかたまって、それなりに援助もされて、それなりの役割も演じて、それで、戦争で多くの人が死んでるわけですからね。
あと、おもしろくなかったのだが、そこが逆に興味深かったのが、

国家神道は生きている

国家神道は生きている

で、文章は読みにくいし、言ってることは屁理屈の連続で、とほほなんだけど、それ以上に、この人とは、絶対話が合わねえなと感じる(この人は神道関係者というより皇国史観論者ですね)。ようするに、戦中の皇国教育のイデオロギーを今でも譲らない口振りで、まあ、敗戦に導いた当時の政府や軍の指導者には批判的なところはあるが、それ以外は、戦前のまま。国が戦争をすることがあるのは当たり前だし。もう、天皇制を否定するだけで、敵扱いでしょうね。口もきかないし、本も読まない、そういう奴らの情報を排除する。
こういう、皇国史観を今でも執拗にこだわっている人の特徴として、当時、それなりに資産があった資本家の家とか、江戸からの武家の続いているところとか、あとはもちろん、神社関係、あと、勉強のできた優等生、こういった人に多いですよね。
学校の仲間とは同じ教育を受けているわけだから、会えばその教育をベースに話すだろうし、当時の教育を受けた人たちの考えはそう簡単には変わらないのかもしれませんな。教育とは恐しいですな。

国家神道とは何だったのか

国家神道とは何だったのか