森木亮『日本国増税倒産』

マックス・ウェーバーの言葉でしたか、権力は腐敗する。
いったい、この国は、どこまでどん底まで落ちたら気がすむのか。平和というのは、常に嘘なんでね。平和というのは、権力の腐敗と常に等価なわけだ。日本の、この、恐しいまでの、借金の額。いったい、これはどうなっているのか。
むしろあまりに異常なのは、この状態に、学者がなにも言わないことですね。経済学者は言ってしまえば、戦略として、このひどい状況に言及したり、しなかったりしているが、社会学者というよく分からん連中は、ほとんど無知のくせに、この問題に言及しないで、その他のことに饒舌をかましてやがる。それだけに、たちがわるい。どうでもいいような、刑事事件がどうとか、そんなことばっかり言っている。
しかし、なぜ、これほどの借金になるのであろうか(こんだけの借金をかかえて、福田はサミットで何を言うつもりなんでしょうね。だれがこんな国の言うことに耳を傾けるというのか)。
源泉徴収、年末調整。なんなんだ、この制度は。この二つがセットになっていることの問題についても、そもそも、例えば、シャウプ勧告の頃、シャウプはこの源泉徴収に徹底して反対したそうである。しかし、大蔵官僚は、自分たちの既得権を手放さず、骨抜きにした。以下は、当時の大蔵官僚の谷山治雄のコメント。

私も当時大蔵省に勤めていたのでシャウプと会っているが、とても真面目で公平な紳士だった。「税制で一番大事なのは『公平である』ということだ」というのが口癖で、たとえばサラリーマンの給与所得にかかる税金を一部控除する「勤労控除」に対して、シャウプは「農民も漁民も『勤労』しているのだから、サラリーマンだけ認めるのはおかしい」と指摘していた。そこで大蔵省の役人は知恵を絞り、勝手に名前を「給与所得控除」に変えてごまかしたわけである。
ことほど左様に大蔵主税局はシャウプの主張する「税の公平性」を骨抜きにした。そればかりではなく、裏から手を回してマッカーサー司令部の了解を取りつけ年末調整の温存を図ったのだ。このときばかりは主税局も戦勝気分で、赤飯を炊いて大喜びしたという(『サピオ』2008年3月28日号、「日本の税金」特集記事)

すごいですね。国民にとってなにが大切なのかなどなんの関係もない。省益守って祝杯あげる人たちですよ。赤飯炊くんだそうだ。日本は官僚の省益、勝ち逃げによって、ボロボロになるんでしょう。今でも、政治家なんて、官僚の言いなりで、官僚に逆らうとスキャンダルでつぶされる。
しかしこの、特別会計というのは、なんなのか。各省庁の役人は、特別会計を決っしてやめない。ガソリン税でも、さんざん無駄使いをしているのに、ムチャクチャ借金をして、特別会計を余らせる。つまり、これが準備金というやつで、いわゆる、埋蔵金だ。自分ら、省庁のサイフを膨らませることしか考えていない。そのためには、ものすごい額に、国の借金が増えようが、おかまいなし、なのだ。
完全な、省益であり、独立行政法人を含めて、まず、ほとんど、(一部、教育関係を除いて)こんなものいらないのだ。もう本当に終わらないのか。だれにも、終わらせることが、できないということなのか。さんざん言われている、天下りにしても、そうでしょう。
ご存知のように、大阪の財政は終わっている。完全に、夕張状態である。 新府知事は、ただ、あがいているだけである。しかし、国家そのものが、完全に、夕張状態なのだ。
著者は、政府が行おうとしている、あらゆる、増税策を、根底から否定している。消費税から企業法人税から。そんなことをすることに、なんの未来もない。逆に、国民の生活は、どこまでも苦しくなり、まったく活力のない、一部の活力のなくなった南米やアフリカの国のような第三世界の生活に落ちる(実際に今でも、そういう兆候はさんざん出てきているが)。
今までのように、口先と複雑な税の体系でごまかせば、国民なんてなんとでもなる、と思っているのでしょう。なんたって、それだけで、自民党は何十年と国民を騙し続けられて来たわけですからね。これからだって、なんとでもなると思っているのでしょう。
まず、日本が、自国の破産を少しでも、早く宣言をして、10年くらい前の韓国のように、IMFに頭を下げろ、という。
こっちの方向もかなり国民生活をズタズタにするものだが、逆に今の状態を長く続けることは、借金の利子を返すだけで、一年の収入のほとんどを使っているような(もちろん、元手が変わってないのだから、なんにも借金は減らないどころか、増えるだけ)、こんなことを続けている現在が長く続く後の方が、本当の地獄だと(そうなっても、官僚は、自分たちの生活だけは守るか、海外にでも移住するつもりなのでしょう)。
日本における、真なる問題は、なにか。少ない稼ぎしかない人たちから、たくさんの税金が実際に取られていることなのだ。

ただ、所得税に関しては、日本の「課税最低限」が先進諸国に比較して低すぎるのは大きな問題だろう。「所得税課税最低限の国際比較」をみると、夫婦子ども2人の課税最低限は日本が325万円に対し、アメリカ401.3万円、イギリス423.4万円、フランス460万円、ドイツ558.2万円と軒並み高いのである。
これは、日本が先進国のなかで突出して所得の低い層から税金を取っていることを表している全国の2人以上の世帯のうち、年収350万〜450万円の所得層は約10%に上る。さらに、この比較は為替レートで行われており、「購買力平価」で見ると、さらに低くなる。つまり、これほど低所得者から所得を奪っている国はないのだ。それでも、政府はこの課税最低限をさらに引き下げようとしているのだから、あきれるしかない。

つまり、少し収入が少なくなったり、うまくまわらなくなっても、ものすごい税金があいかわらず、個人に襲いかかってくるため、まったく、そこから這い上がるパワーをたくわえられないのだ。そして、気がつけば、もう、生活保護、や、少ない年金しかもらえない生活、そこしか居場所がなくなる。国民の多くはその怖さがあるから、誰も精神的なバランスをもてない。常に恐怖ととなりあわせにしか生きられない。
これが、いつまでたっても、国民のだれも、日本が先進国の一員になったなんて思えない最大の理由じゃないですかね。簡単に、ホームレスや貧困層が、ふくれあがってしまう。
どうして、こういうことになるんでしょうね。そもそも、日本人って、困っている人に冷酷じゃないですかね。自分がそういう立場になると涙流して苦しがるのに、ちょっとでも、そういう人を見下ろす立場だと、ものすごい冷血漢そのものでしょう(家族で旅行とか、そんなことばっかり話してやがる)。
前に、斎藤貴男が言ってたと思うけど、日本で、困っている人を助けよう、と講演などで言っても、その反応は、ものすごく少ないのだそうだ。なぜそうなのかを聞いてみると、要するに、そんなのは、家族がなんとかするべきだ、とか、親戚がやればいい、みたいな反応なんだそうだ(こんなこと言ってるから、官僚に連帯保証人制度みたいなのを押し付けられるんだ)。なんと言うか、結局、結婚だって、いまだに、家がどうした、とかやってるわけで、あいかわらず、東アジア的イエ制度で、ずっといるんですよね(こういったものを根底から批判したのが、魯迅なんでしょうかね)。結局、ダメなんじゃないですかね。冷酷な国民と官僚がグルになって、どこまでも行くんでしょう。

日本国 増税倒産 (光文社ペーパーバックス)

日本国 増税倒産 (光文社ペーパーバックス)