今村仁司『儀礼のオントロギー』

今村仁司の本である。さまざまに、儀礼について考察している。
ようするに、礼という行為は、人間がこの世界に存在する限り、絶対に存在する、と言いたいようだ。
しかし、犬などの集団でも、リーダーへの恭順のポーズをとりますよね。権力者にぬかづくことは、こちらの動きを制限して、権力者に危害を加えにくくする意味がありますよね。
もっと言って、あらゆる人間の行動は、礼だと言えなくもないんですよね。そもそも、意味のある行動ってなに?すべて、無駄な動きと言えなくはないでしょう。
なにか、礼行為が、人間という言語を使う存在に、必然的なものであり、人間にこそありえる、そういう見方みたいなのは、なんなのかね。

彼らは、近隣の農牧民とは対照的に、いっさいの呪術や妖術をもたない。また、ブッシュマン社会には、祖先崇拝や祖霊信仰は存在せず、人が死ねば、掘った穴に埋めるなどの簡単な埋葬を行うこともあるが、墓を作ることは原則的にしないという。その意味では、ブッシュマン社会は、宗教以前の社会ということができる。

ブッシュマンは、農耕を行わない。基本的に狩猟民族だというのだ。しかし、なんと、祖霊崇拝がないというのだ。いやあ、こんな人間たちがいるんですね。私は、こんな人間たちがいることに、ずいぶん驚いた。
もしかしたら、この方向にこそ、いじめなどという概念の成立しない、国家にこびへつらい嬉々としてシッポを振って呪術師きどりで振舞うことなく、また、靖国神社を総括し乗り越えられる。日本人も、縄文時代は、狩猟中心だったんですかね。その、(アマテラスも天皇もカケラも存在しなかった)縄文日本人の精神の復活にこそ、そういう何かがあるのかもしれませんね(他方で、なんか、そんな時代がまさに実現してきているじゃないかというような気もするんですけどね)。

儀礼のオントロギー  人間社会を再生産するもの

儀礼のオントロギー 人間社会を再生産するもの